「あなたのような方が、なぜボルガノのために戦っているのです?」

 トランバンの護衛隊とハイランド軍兵士の双方に囲まれ、ウェインはイグラシオへと剣を振り下ろす。
 それをたやすく受け止め、横へ流しながらイグラシオは眉をひそめた。

 ウェインの口から洩れる言葉は、毎日のように自分を苦しめていた疑問だった。

「彼が市民を苦しめていたのは、あなたも知っているはず」

「たとえ主君がどんな人間であろうと忠誠を尽くす。
 ……それが騎士道というもの」

 市民を苦しめるボルガノに仕えながら何度も自分に言い聞かせてきた言葉を、イグラシオはウェインへと返す。
 言葉と共に振るわれるイグラシオの剛剣を受け止め、ウェインは眉をひそめて確信した。
 やヒックスに慕われる男が、悪党と呼ばれる領主に仕えている訳を。

「違う。あなたは間違っている」

 そう確信を持って、ウェインはイグラシオの答えを否定する。
 騎士が守るべきものは、主君だけではない。
 もっと他にも、守るべき大切なものがあった。

「何だと」

 何度も自分に言い聞かせてきた言葉をまだ歳若い騎士に否定され、イグラシオは眦を吊り上げる。そのまま憤りを押し付けるかのように豪腕に任せて剣を打ち込んだ。ウェインはイグラシオの猛攻を避けることなく全て受け止め、耐える。
 が言った。騎士を理解できるのは、同じ騎士だけだと。
 そして自分はに答えた。閃光騎士団に守られたボルガノを必ず倒すと。
 それはつまり、向き合うことを許されていないに変わり、自分がイグラシオと向き合うという誓いだ。
 その豪腕から打ち込まれる重い一撃から逃げたくはない。それら全てを受け止め、騎士としてのイグラシオと向き合いたい。
 に頼まれたこともあるが、それ以上にイグラシオという一人の騎士を前にして、ウェインの中の騎士がそう叫ぶ。

「騎士である前に、あなたも人間だ。
 ならば騎士道を守る前に、まず人の道を守るべきだ!」

 イグラシオの猛攻を全て受け止め、ウェインは反撃に転じる。
 イグラシオと向き合って出たウェインの答えは、が出したものと同じだ。

「あなたが本当に守るべきものは、
 領主ボルガノではなく、トランバンの弱き市民だ」

「……」

 一瞬だけ、イグラシオの瞳に迷いがよぎる。
 イグラシオをまっすぐに見据えていたウェインは、その一瞬の隙を見逃さなかった。

「イグラシオ殿。あなたなら――――――」

 気合一閃、ウェインはイグラシオの懐へと踏み込んで一息に間合いを詰める。

「わかるはずだ!」

 受け止めたイグラシオの一撃、一撃の威力を全て叩き返すような気持ちで、ウェインは剣を振り下ろす。
 イグラシオの想いはすべて真っ直ぐに受け止めた。
 今度はウェインがそれを押し返す番だ、と――――――






 勢い良く振り下ろされたウェインの剣に、騎士の誇りであるイグラシオの剣は根元から折れた。






「騎士道よりも、人の道か……」

 根元から折れた剣を呆然と見つめ、イグラシオは膝を折る。
 折れた騎士の誇りは、まるで今の自分のようだった。

「私は騎士道を重んじるあまり、人としての道を見失っていたのか……」

 本当は判っていた。
 何が大切で、本当に守るべきものなのかを。
 判っていたからこそ、何度も自分に『言い聞かせて』いたのだ。
 どんな人物であれ、主君に忠誠を尽くすのが騎士なのだと。

 剣を折られ、自分と同じく真っ直ぐな騎士と向き合うことで、ようやくそれに目を向ける勇気が持てた。

 折れた剣を見つめ、イグラシオは深いため息をはく。
 ようやく楽になれた、と。






 憑き物が落ちたかのようなイグラシオに、ウェインは視線を後方に控える自軍へと向けた。そこで馬から下り、自分達の一騎打ちを見守っていた幼馴染の姿を見つけ、呼びつける。

「リンク、彼女をここへ……」

「ここにいます!」

 リンクを使い、後方に構えた陣へとを迎えにいかせようと思ったのだが、意外なほど身近な位置から聞こえてきたの声に、ウェインは瞬いた。
 兵士の合間からチラチラと黒髪を覗かせて、はウェインとイグラシオの元へと到着する。
 折れた自身の剣を見つめていたイグラシオは、『ここには居ないはず』の娘の声と姿に瞬いた。

「……? なぜ、ここに……」

 孤児院にいるはずでは? と自分の顔をまじまじと見つめ、眉をひそめたイグラシオには苦笑いを浮かべる。
 あの雨の夜以降、実にひと月ぶりとなったイグラシオの顔が、少し気恥ずかしい。
 預けられた身で勝手に孤児院を出てきたことが申し訳ない。
 そして何よりも――――――驚いて瞬いているイグラシオの顔がおかしかった。

「ハイランド王、ウェイン様をお連れしました。
 トランバンの未来を、ウェイン様に託してみませんか?」

 片膝を落としたままのイグラシオに並び、は腰を落として視線を合わせる。
 予期せぬの出現に瞬いていた青い瞳は、すぐにその言葉の意味を理解した。
 何故、ハイランド軍がトランバンへと侵攻してきたのか。
 何故、タイミングを同じくして領民の一斉蜂起が起こったのか、を。

「……では、この大規模な暴動を引き起こしたのは……」

 おまえか、という確認の言葉をは首を振って否定する。

「あれはトランバンに住むみんなの意思です」

 が行動を起さなくても、蜂起の兆しは最初からあった。
 癒しの力と同じだ。はウェインを呼んでくる事で領民たちがまとまるきっかけを作っただけで、他は何もしていない。

「みんな、ボルガノの支配からの開放を望んでいた。
 だからこそ……」

 言葉を区切り、はウェインを見上げる。
 その視線を追って、イグラシオもウェインを見上げた。
 自分が膝をついているせいもあるが、逆光を浴びて目の前に立つ歳若い騎士は、自分よりも数倍大きく見える。騎士であると同時に、彼が『王』である証だろう。

「トランバンの民は、ハイランドの助力を受け入れたんです」

 自分達だけの力ではどうにも出来なかったからこそ、僅かな希望に賭けた。
 他国の力に頼り、新しい君主がどんな人物であれ、ボルガノよりはマシだろうとささやかな希望をこめて。

 トランバンの領民がハイランドの協力を受け入れた事には、橋渡し役にヒルダとが立ったこともある。
 ヒルダは元々義賊として領内では人気があったし、もハイランドへの旅の途中無償で癒しの奇跡を扱っていたため、本人の与り知らぬ場所で人望を集めていた。
 その二人がハイランドとトランバン領民の間に立つことで、ハイランドの王であるはずのウェインはトランバン領内での信頼を得ている。

 自分を見上げるとイグラシオに、ウェインは苦笑を浮かべながら『余計な』一言を追加してくれた。

「女性の身ではるばるハイランドへと
 トランバンの実情を訴えに来たの気持ちも汲んで欲しい」

「ウェイン様……」

 なにやら多分に含みを感じるウェインの言葉に、はほんのりと頬を染めて目を伏せる。
 ニーナにしろ、ヒックスにしろ、みな何か誤解をしていた。

「わたしは、その……
 イグラシオさんのためだけにハイランドに行ったわけじゃぁ……」

 恥らって段々小さくなるの声に、ウェインは人の良い笑みを浮かべながら首を傾げる。

「違うのかい?」

「……イグラシオさん『達』お世話になった人に、ご恩返しができればと……」

 ニーナやヒックスが言うような『気持ち』は持っていないつもりなのだが、の声は聞き取れないほどに小さくなった。
 イグラシオは隣でなにやらゴニョゴニョと弁解しながら恥らうに視線を落とし、実感する。
 自分が守りたい『もの』は領主その人ではなく、ウェインが言うように力を持たぬ『弱き民』だ。

 例えば、今一番身近くいるのような。






「……ウェイン殿、どうやら私が間違っていたようだ」

 深くため息を吐いた後、そう口を開いたイグラシオには視線を移す。
 イグラシオは自分を見てはいなかった。
 ただ真っ直ぐに―――迷いの消えた目で―――ウェインを見つめ、その清々とした『初めて見る』イグラシオの顔には見惚れる。
 イグラシオは元々整った顔立ちをしてはいたが、見惚れたことなど今までにない。
 先程のウェインの言葉とは違う意味で頬を染めながら、は目を逸らすことなくイグラシオの横顔を見つめた。

「私は自分の罪を償いたい。そのためにお願いがある」

 続く言葉には、やはりまだ葛藤があるのだろう。
 一度言葉を閉ざしたイグラシオを、ウェインは急かすことなく待った。

「……どうか、貴殿の軍に私を加えてはいただけないだろうか」

 迷いを振り切ったとはいえ、そう簡単に生き方を変えられないのが人間だ。
 迷いながら、葛藤をしながらも決意の言葉を口にしたイグラシオに、ウェインは手を差し出した。

「もちろんだ。
 ハイランドは喜んで貴殿を迎えよう」

 差し出されたウェインの手に、イグラシオは自分の手を重ねる。
 その瞬間、の長いようで短い旅が報われた。