ふと足を止め、は歩いてきたばかりの道を振り返った。
連なる山々の合間に、孤児院のあった村は見えない。もう何日も歩いているため何キロ進んだ等の距離感はまったくなかったが、相当な距離を離れてしまったはずだ。5ヶ月暮らした村を出て、その隣村、さらにその隣村、とすでにいくつかの村も過ぎている。
背後を振り返り、そっとため息をもらしたは背負った荷物の位置を直すと、足元の街道―――といっても獣道に近い。整備されているとは言いがたい現状の道だ―――を見下ろした。
街道沿いに歩を進めているため、山や森の中を歩くよりは進みが速いはずだが……あと何日歩けば目的地に着けるのだろうか。
旅慣れては来たが、孤独でもある一人旅には二度目のため息をはく。
孤児院を出て、解ったことがいくつかある。
孤児院のある村はイグラシオの寄付でなんとか食いつないでいたが、他の村は違った。
飢えた子どもが道に溢れ、村人の表情は一様に暗い。先日が立ち寄った村では一家心中の葬儀が行われていたし、間引かれた赤子は葬儀すら行ってはもらえない。
働けば働くほど苦しくなる暮らしに、領主に対して不満を持たない者はいなかった。
が村々で聞いた話では、ボルガノの圧政のせいでトランバンの治安が悪化し、盗賊や山賊も増えたらしい。ネノフにも気をつけろと言われていたが、街道を歩く旅人を狙った山賊には、村を出て早々にも出くわした。
武器をもって襲い掛かってくる山賊は、にとっては確かに脅威だったが――――――驚くことに、彼らにとってはこそが脅威だったらしい。
には癒しの力がある。
その力を逆に作用させれば、相手の命を奪うことも可能だと、孤児院を出る際にネノフから注意を受けていた。
事実初めて山賊に襲われた際、殺さない程度にその力を使って以来の前に山賊は現れてはいない。否、一度現れた。が、彼らはの顔と服装を見るなり一目散に逃げ出して行った。
彼らにも、彼らなりの情報網があるのだろう。
失礼極まりない話ではあったが、には想像もできない情報網を使い、一件獲物になりそうな一人旅の娘がいるが手を出すな。あれは危険だ、とでも言われているのではないか。そう考えれば腹も立つが、道中の危険が減ったと思えば、悪い事ばかりではない。
それに、珍事も起こる。
まさか、盗賊から自分達の仲間にならないか等と誘われるとは思わなかった。もちろん、丁重にお断りしたが。
は自分をスカウトして来た『盗賊』の顔を思いだし、苦笑を浮かべる。
(ヒルダさん達、もう無茶はしないといいんだけど……)
無理だろうな、と街道で再会した金髪の盗賊を想う。
『癒しの力を持った僧侶が一人旅をしている』という噂を聞き、ヒルダがの前に現れたのはつい先日のことだ。
怪我を負った仲間の治療をと僧侶の前に現れたのだが、噂の僧侶がだと知るとヒルダは瞬いた。それからが一人旅をしていると確認をすると、盛大に驚き、すぐに孤児院へ戻るようにと薦められた。
孤児院の外は、のようなのん気な娘が一人で歩けるような場所ではない、と。
はそれに対し、対抗手段があるから大丈夫だと伝え――――――今度は仲間へと誘われた。
を一人で徘徊させるよりも、そのほうが孤児院へと送り返しやすいし、自分の用件―――怪我を負った仲間の治療―――も果たせるとヒルダは考えたのだろう。
ヒルダの好意は嬉しかったが、は仲間の治療だけをして、盗賊への転向は断った。
これも孤児院を出て知ったことだが、ヒルダはいわゆる『義賊』として他の村々では人望があった。その盗みの主なターゲットを領主とし、閃光騎士団の追捕の手を何度も潜り抜けている、ちょっとした英雄扱いだ。
そのヒルダの仲間が負った傷となると、傷を負わせた者は閃光騎士団の誰かという事になるだろう。もしかしたら、それはイグラシオやエンドリューかもしれない。
(孤児院に帰れ、か……)
仲間入りを断ったに、ヒルダは改めてそう言った。
身を包む真新しい白の修道服を見下ろし、はそっとため息をもらす。
孤児院を出る際の騒ぎを思いだして、ほんの少し寂しくなった。
あの日、朝食の後ネノフから告げられたが孤児院を出るという決定に、子ども達は猛反対した。
意外にも一番怒ったのがデルタで、彼にはもう二度と『ママ』とは呼んでもらえない気がする。叫ぶデルタを抑えようとアルプハが年長者の意地を見せ、真っ先に泣くと思われた年少4人は、いつもはリーダーとして自分達を纏めているビータが部屋から出てこない理由を悟った。ビータの慰めに回ったため泣く機会を失った4人から離れ、エプサイランは冷静だった。エプサイランは子ども部屋から一着の白い修道服を持ち出してくると、それをに差し出した。
時々、ネノフから教わりながらビータとエプサイランが部屋に籠もって作っていた物は、売り物にする手芸品ではなく、のための服だったらしい。
何もかもをネノフのお古で賄っていたへの、彼女たちからの贈り物だ。おそらくはイグラシオの用意した布であろうが、質素な布地に絹のような光沢はなく、厚く丈夫なだけが取り得の飾り気が一切ない白地に、彼女たちなりに工夫を凝らした丁寧な刺繍が襟や袖口を縁取っていた。
は襟を飾る水色の刺繍糸を指の腹で撫でる。
(紹介状を書いてくれたネノフと、泣いてくれたあの子達には悪いけど……)
には、トランバンに移り住む気はない。
ほんの少しハイランドの様子を探ったら、また孤児院に戻るつもりだ。
たとえ『ゲームとしての記憶がある』からといって、『大筋』に関わるつもりはない。
には『武将』の一人として『戦う』力はなかったし、『勝つと解っている戦』にも興味はなかった。
ただ、に興味があることといえば――――――大恩のあるイグラシオの心労と、孤児院の子ども達の生活を守ることだけだ。
決して、イグラシオ個人に特別な想いがあるわけではない。
そう自分を納得させつつ、は再び歩き始める。
木々の狭間から遠目に見える家々の屋根に、村が近いことを知った。
すでに真上から大きく傾いている太陽を確認し、今夜はあの村で屋根を借りようとは決める。
(……今日はここまで、かな)
別れ際ヒルダに聞いたハイランドまでの道筋と、そこに点在する村の数をかぞえて、は三度目のため息をはく。
あと何日歩けばハイランドにたどり着くのだろうか、と。
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