が裏庭に出た時には、イータとイオタの喧嘩は終了していた。
 というよりも、アルプハによる喧嘩両成敗という名の『仲裁』がなされた後だった。

 くだんのイオタはアルプハに肩車をされ、畑の畝の間を走り回っている。その喧嘩相手であったイータの方は、の腰へとしがみついたまま頬を膨らませていた。何があったのかテータの説明ではよく解らないが、少なくともアルプハの仲裁には納得していないことが解る。
 むすっと頬を膨らませたままのイータの頭をテータと一緒に撫でながら、は空を見上げた。
 夕焼けにはまだ早いが、そろそろ日が陰る時間だ。

「……そろそろ、お洗濯物を取り込もうか?」

 空を確認した後、視線を落としては双子を誘う。
 それに対する双子の反応は早かった。

「洗濯籠、取ってきてくれる?」

「はーい」

「ん」

 普段とは真逆に涙目を拭うイータの手をテータが取り、の要望に応えるために双子は孤児院の裏口へと走り出す。その小さくなる双子の背中を見送った後、は先に洗濯物を干した表へ移動しようとして、双子と入れ替わりに裏口から出てきた『カイ』に気がついた。

「あ……」

 と目が合うと、『カイ』は苦笑を浮かべる。

「ああ、あんたかい。さっきはありがとうよ」

「はい?」

 いったい何の事を言っているのか。心当たりのないが首を傾げると、『カイ』は言葉を追加した。

「あたしのこと、ネノフに黙っててくれただろう」

「ああ、そういえば……」

 言われてみれば、そんな事をしたかもしれない。
 『カイ』からの『おそらくは目配せ』に応え、ネノフの居る場所での盗賊業に対する言及を自分はやめた。

「……シスターは『カイ』って呼んでたけど、違いませんでした?」

 はっきりとは思いだせないが、イグラシオが盗賊に対して呼んでいた名前は違ったはずだ。少しは知名度のある盗賊らしいが、にこの世界の世情に対する知識はない。
 後回しにしていた疑問を口に出すと、の頭に次の疑問が浮かんできた。

「あれ……? イグラシオ様も、ここの出身だったはず……?」

 はネノフから、イグラシオは今のエプサイランよりも小さな時に良家へと引き取られたと聞いている。ということは、引き取られる前の数年は『ネノフの家』で暮らしていたことになり、その時の繋がりからイグラシオはこの孤児院に援助をしてくれていた。となれば――――――イグラシオと『カイ』は、孤児院という『家』で考えるのならば兄と妹の関係になる。

 つまりは、あの夜。
 騎士と盗賊に別れた兄と妹が剣を向け合っていたのだ。

 そう気がつき眉をひそめたに、『カイ』は苦虫を噛み潰したような顔をした。
 先ほどネノフの前でもそうであったが、この女性はイグラシオの名前が出てくることに対して良い顔をしないらしい。もっとも、騎士と盗賊の関係だと知っていれば、それも無理のないことだと思えた。

 微妙な表情をしたまま、『カイ』はの疑問に答えるべく口を開く。

「あたしのここでの名前は『カイ』。
 今の名前は『ヒルダ』だけどね」

「?」

 自分の物言いに対してますます首を傾げたに、ヒルダは続ける。

「考えてみなよ。自分の育てた孤児が、
 女だてらに盗賊団の頭目をやってるだなんて、あのネノフが知ったら……」

「……卒倒しそうですね」

「だろ?」

 眉をひそめながらも真顔でそう結論づけたに、ヒルダは笑う。その明るい表情に、は瞬く。

「あのお金も、どこかから……」

 盗んできたものか? と、言い終わるよりも早く、ヒルダの中指がの額を弾いた。予期せぬ―――所謂デコピンによる―――攻撃に、は額を押さえて痛みに耐える。

「いっつぅ……」

「このヒルダさんを舐めるんじゃないよ。
 テメェの家に入れる金が、汚いもんな訳ないだろ」

「……すみません」

 ヒルダは、一応『盗賊は悪い事』だと理解しているらしい。
 盗賊をしている女性がどこから綺麗な金を稼いでくるのかは解らなかったが、ネノフに渡した金は彼女なりに考えるのならば筋の通った物らしい。

 盗賊という職業は『悪い事』以外の何物でもなかったが、ヒルダという女性自身は『悪い人間』ではない。
 そう理解して、は首を傾げる。

「でも、不思議な感じ。盗賊が孤児院に寄付だなんて」

 盗賊といえば、他者の財産を盗み出し、自分の物にする者だ。いくら過去に世話になった家とはいえ、他者に財産を譲る盗賊など聞いたこともない。

 首を傾げたまま疑問を口にするに、ヒルダは目を細めた。
 の物言いは、間違ってはいない。極当たり前の感想であろう。

「……閃光騎士団ってのは、知ってるかい?」

「イグラシオさんの居る騎士団、ですよね?」

 騎士団団員の顔はエンドリューとヒックスの顔しか知らないが。
 『閃光騎士団』という名前は何度も聞いている。イグラシオに出会った夜、エンドリューの名乗り、ネノフの説明、ヒックスの口からも聞いた。

「そう。その閃光騎士団」

 の答えに満足気に頷き、ヒルダは視線を周囲へと泳がせる。タイミング良くイオタを肩車したまま畑の中を走り回って遊ぶアルプハが、畑から飛び出してきた。

「アルプハ!」

 ヒルダに名を呼ばれ、アルプハは声のした方向へと顔を向ける。視界にとヒルダの姿を捉えると、顔を輝かせた。

「あ、カイ姉ちゃん!」

 イオタを肩車したまま走り寄ってくるアルプハに、ヒルダは微笑む。その微笑みを盗み見て、は眉をひそめた。
 子ども達に向ける微笑は優しく、ネノフに似ている。とてもではないが、あの夜イグラシオに短剣を向けていた盗賊と同一人物だとは思えなかった。とはいえ、あの夜の盗賊だとは、本人に認められていたが。

「いつこっちに来たの? 今日は泊まってく?」

「いいや、もう帰るよ」

「……そう」

 ヒルダの言葉にしゅんっと肩を落としたアルプハは、続いて足された言葉に再び顔を輝かせた。

「ネノフにお土産渡しておいたから、後で皆で食べな」

「え? ホント?
 何? 何もって来てくれたの?」

「トランバンで買った飴玉」

 お土産という言葉に、アルプハは如実に反応した。イグラシオの持ってきてくれる物は生きていくために必要な物が主だが、ヒルダが持って来てくれる物には嗜好品が含まれる。ヒルダが顔を見せるのは半年から一年の間がある。頻繁ではないからこその贅沢だろう。
 『飴玉』という言葉にヒルダの周りを走りまわり始めたアルプハの頭上で、イオタが目を回している。ヒルダに対してなんの反応を見せないところを見ると、イオタとヒルダは初対面なのだろう。孤児院に引き取られてくる年齢は、皆バラバラだ。ミューを覗けば、一番新しく孤児院に来たのはデルタとイオタの兄弟になる。

「……で、喜んでるとこ悪いんだけど」

 イオタを肩に乗せたまま走り回るアルプハを、ヒルダは手招く。その招きに応じるアルプハは、食事を前にした時の表情と同じだ。

「なになに?」

 なんでも言って。なんでも答えるし、なんでも聞くよ。
 そう目だけで訴えるアルプハに、ヒルダは苦笑を浮かべた。

「閃光騎士団って、知ってるかい?」

 先ほどにしたのと同じ質問を、ヒルダはアルプハにした。
 は質問の意図が解らず、首を傾げる。
 閃光騎士団なら、アルプハも知っているはずだ。イグラシオが預かる騎士団の名前なのだから。
 当然、アルプハもと同じことを答えるのだろう。そう思っていたのだが――――――アルプハの答えは、の物とは真逆だった。

「悪い領主の取り巻き騎士団だろ?」

 なんでそんな事聞くのさ? と、これまでに見せた事のないような不快な表情をして、アルプハはそう言い捨てた。
 露骨に眉をひそめたアルプハに驚き、は肩車をされているイオタを見上げる。驚くことに、イオタもアルプハと似たような表情をしていた。

「そう、その閃光騎士団。どう思う?」

「悪い領主の味方をしてる、悪い騎士」

 アルプハとイオタの意外な反応に瞬くを横目に確認した後、ヒルダは質問を追加する。
 その答えを聞いて、ようやくはヒルダの意図したことを理解した。

「……ついでに、イグラシオ様の事はどう思う?」

「え? イグラシオ様? 優しくて、強くて、カッコイイ!
 俺もいつか、あんな騎士様になりたいんだ!!」

 臆面もなくそう答えるアルプハに、ヒルダは苦笑いを浮かべる。
 アルプハは知らないが、ヒルダは知っていた。
 アルプハが今絶賛したばかりのイグラシオが、その『悪い騎士』であると。

 アルプハの答えに戸惑いながら、はヒルダに視線を向ける。
 苦笑いを浮かべていたヒルダはと目が合うと、肩をすくめた。

 騎士と盗賊。
 否、イグラシオとヒルダ。
 視点と立場を変えて見れば、やっている事も、見え方も同じだ。

 にとって、騎士イグラシオは恩人であり善人だ。そしてヒルダは盗賊であり悪人ということになる。
 が、孤児院にとってのこの両者は、共に寄付を運んでくれる元・子ども達であり、子ども達にとっての2人は顔を見せてくれると嬉しい兄・姉である。
 そして、アルプハにとっての閃光騎士団は『悪い騎士』らしく――――――盗賊団について聞くことは、さすがに躊躇われた。もしも聞いたとして、盗賊団こそ善人である。そう答えられた日には、何を信じたら良いのかには判らなくなる。






ママ〜!」

「ママ!」

 洗濯籠を仲良く2人で持ちながら、双子が表方向から走ってくる。どうやら孤児院の裏口から入り、建物の中を抜けて洗濯物の干してある表へ向かったらしい。もそこで2人を待っているつもりだったが、ヒルダと話し込んでしまったため、待ちかねて裏庭まで戻ってきたのだろう。

「かごとって来たよ」

「来たよ〜」

「……ありがとう」

 側に走り寄ってきた双子に、はぼんやりと答える。
 アルプハの言葉にというより、自分の感想とはあまりにもかけ離れたイグラシオの評判に驚いていた。

「アルプハ、手伝ってやんな。
 あんたたちの『ママ』と、もう少し話しがしたいからさ」

「うん、いいよ」

 ぼんやりと瞬くの横で、ヒルダがアルプハに言う。
 アルプハにはの異変の理由は解らなかったが、常とは違うの様子に、アルプハは素直に従った。

「行くぞ、イータ、テータ」

 イオタを肩に乗せたまま表へと誘うアルプハに、双子は首を傾げながらも従う。途中、テータが何度か振り返っていたが、結局イータに続いた。

 去っていく子ども達を見つめたまま、ヒルダはため息まじりに呟く。

「……『ママ』って呼ばれてるんだね」

「え? ええ、……まあ」

 ネノフが『ミューのママ』と呼び始め、ズィータがそれに続き、双子、ビータ、エプサイラン……最近ではアルプハまでもがそう呼んでいる。今ではその呼び方を利用していないのは、イオタとデルタだけだ。
 自身がそう呼ぶように言ったわけではないが、いつの間にか『ママ』という呼び方が定着してしまっていた。

 そしてもう一つ気がつく。

 が来る前から子ども達はネノフの元にいたわけだが、子ども達は決してネノフの事を『ママ』とは呼ばない。みな揃って『シスター』と呼び、もそれに習った。

「……あたしも、ネノフを『ママ』って呼びたかったよ」

 寂しげなヒルダの横顔を見つめ、は首を傾げる。

 現在孤児院に身を置く子ども達の年齢からすれば、ネノフは『ママ』という年齢ではない。『シスター』以外の呼び方をするのならば、『祖母』だろう。
 が、ヒルダの年齢であれば――――――ネノフを『ママ』と呼んでもギリギリ違和感はなかったのではないだろうか。

「呼ばなかったんですか?」

「いつも優しいネノフだったけど、『ママ』って呼ぶことだけは許してくれなかったね。
 たぶん……あの男も同じじゃないかね」

 少しだけ遠い目をしたヒルダに、あの男とはイグラシオの事を差しているのだと解った。そういえば、イグラシオもネノフの事を名前で呼んでいる。孤児院の子ども達はみな『シスター』と呼んでいるが、喜ぶべき事だが孤児院を出てからは離れてしまった身が寂しかったのだろう。愛情と親しみを込め、幼児期の呼び方から卒業し、『ネノフ』と名前で呼んでいるのだ。

「理由はわからないし、聞いちゃいけないんだろうなーって、子ども心に思ったものさ」

 寂しげに笑うヒルダに、は目を伏せる。

 目の前の女性はイグラシオに傷を負わせた盗賊で、元孤児。
 そして孤児院の子ども達に優しく、孤児院を出た今でもネノフを『ママ』と慕っている。――――――そう呼ぶことを、許されていなくとも。

 ヒックスといい、ヒルダといい、イグラシオといい――――――みなそれぞれに悩みを抱え、辛そうだ。

 ヒルダの横顔にイグラシオを思い出し、は考える。

(……悪い領主に仕えているって、イグラシオさん……)

 いつかの自分の失言の正体に、ようやく気がついた。
 あの時が『馬鹿』といった相手こそが、イグラシオが仕えている主だったのだ。
 のイグラシオに対する思いは、アルプハの評価となんら変わらない。
 優しくて、強い騎士だ。
 が、閃光騎士団としてのイグラシオは、それとはまったく違う一面を持っていた。
 不快気に眉を寄せたアルプハに、そう知らされた。

 イグラシオを想い、は眉をひそめる。
 
 優しくて、強いイグラシオ。
 まるで物語の中の騎士そのものであるかのような彼は、『悪い領主』と子どもにまで称される主人に仕え、それを本当に善しとしているのだろうか、と。


 納屋で黙々と鍬の柄を削っていたイグラシオの背中を思い出し、はそっとため息をはいた。