とっぷりと日の暮れた街道を、馬の背に揺られながらエンドリューは進む。
 ゆらり、ゆらりと揺れる馬の背で、エンドリューは懐に忍ばせた蒸しパンに手を伸ばす。
 雨漏り修理のお礼にとが作った蒸しパンは、の勘違いにより住人の数よりも多く出来上がっていた。数が足りないよりは良いが、多いというのも困りものだ。大きな塊であれば皆で均等に分ければよいが、分けるほどの大きさはなく、また数もない。結果、早い者勝ち――――――と抜け駆けをしようとしたアルプハに女の子達が一斉に抗議し、現在エンドリューの懐に納まることとなった。
 子ども達から『いつもありがとう』の気持ちを込めた、イグラシオへのお土産として。

 食堂での喧騒を思いだし、エンドリューは苦笑を浮かべる。
 それから、指先に触れた蒸しパン―――すでに冷めきってしまっているが、出来立てはとても温かく、美味しかった―――に眉をひそめた。

 気が重い。

 イグラシオになんと報告をすれば良いのだろうか、と冷たい包みに触れながら考える。
 ネノフにも子ども達にも変わりはなく、も孤児院での生活に慣れきっていた。

『『線』は確かにあったのかもしれません』

 不意にの言葉を思いだす。
 梯子から降りた後、は戸惑いがちにそう口を開いた。

『わたしは、少し……『ここ』の『普通』とは違う環境に生まれたから』

 話の内容は、それほど重要ではない。
 否、重要でないといえば、やはり重要な内容ではあったが。この際、横に置いておくべき内容だ。むしろ、横に置いておきたいのはエンドリューひとりの想いかもしれなかった。

 問題なのは、の様子だ。

 戸惑いがちに話してはいたが、決してイグラシオに保護された直後のような混乱状態にはなく、以前の自分の暮らしを話せるぐらいには回復している。保護された直後は、あまりに支離滅裂な言動から、混乱しているのだろう、とを気遣ったネノフに深く言及することを止められたが。

 今のからならば、自分の帰るべき場所を聞きだせるかもしれない。

 そう思い、当然エンドリューは『帰る場所を思い出したのか?』とに聞いた。
 それを受けたは、曖昧に微笑みながら――――――だが、本心を言っているのだろうと判る表情でこう答えた。

『帰る場所は、最初から忘れていません』

 ただ、帰る方法がわからないのだ、と。
 相変わらず矛盾のある言葉ではあったが、それこそがにとって嘘偽りのない事実なのだろう。数ヶ月の付き合い―――合った回数となると、驚くほどに少ない―――でも判る。は上に馬鹿のつく正直者で、嘘はつかない。言葉が足りないこともあり、誤解を生むことも少なくはない。
 そのが、慎重に言葉を選んでの結果が『忘れてはいないが、方法がわからない』だ。
 つまりは、言葉の通りなのだろう。

(……方法がわからないとは、どういう事だろう……?)

 馬の背に揺られながらの言葉の意味を考えてみるが、それらしい答えは浮かんでこない。
 帰るべき場所は、の家だ。移動サーカスの団員ででもない限り、家が移動することはない。遊牧の民であれば、あるいは家が移動することもあるのかもしれないが……トランバン周辺に遊牧民はいない。
 そして『方法』とは『目的のための手立て』だ。決められた道筋を頼りに、あるいは地図を参考に『帰るべき場所』まで歩いていけばよい。その場所が遠いのならば、馬や馬車を利用することもあるだろう。海を渡る必要があるのなら、舟に乗ることもあるかもしれない。
 が、は『方法』そのものが解らないという。
 徒歩や馬、舟では行けない場所など、あるのだろうか。

 そうも思うが――――――

(いや、それよりも……)

 の言葉を、イグラシオにどう伝えた物か、とエンドリューは考える。
 イグラシオは何も言わないが、の事を深く気にかけている節があった。の混乱が落ち着き、彼女が帰る場所を思い出したということは――――――が孤児院を出て行くという事になるだろう。

 ということは――――――



 深く沈む答えのない問いに、エンドリューはそっと月を見上げた。