家への帰り道を求め、は昨夜の記憶だけを頼りに村を抜け、山道を歩き、森へと辿り着いた。
昨夜は暗い夜道を歩いていたため、絶対に同じ森の同じ場所だ、という確証はない。だいたいこのぐらいは歩いたであろう、と思える距離を歩き、とりあえずは森と呼べる場所へとは辿り着いた。
施設の敷地を出てから森に辿り着くまで、家々等様々な風景を見てきたが、やはり自分の住んでいた街ではないと再確認させられただけだった。
は辿り着いた森に立ち、辺りを見渡す。
すでにため息も出ない。
ため息を吐くよりも、早く元の場所へと帰りたかった。
はゆっくりと周囲を観察しながら歩く。森を歩くという行為自体に慣れていないため、ここが本当に昨夜の森なのか? という不安は拭い去れない。が、たとえ間違っていたとしてもにはそれを知る手段が無い。
とにかく、今自分出来ることは、自分の家へと帰る手段を手探りででも探すだけだ、と自身を奮い立たせては森を歩く。昨夜の盗賊に襲われた恐怖はある。けれど、今は明るい昼間だ。たとえ盗賊が山や森の中に潜んでいようとも、昼間の間はまだ安全だろう。そう自分に言い聞かせながら。
は慎重に足を運ぶ。
青々と茂った葉の隙間から青空を見上げ、すぐに視線を落とす。足元には枯葉の山。それと下草。獣道などあったとしても、にはそれを見つけるだけの知識が無い。そんな知識があったのなら、もしかしたら昨夜自分たちが歩いた足跡から、正確な場所へと辿り着けたはずだ。
それから気がついた。昨夜の漠然とした違和感の正体に。
全体的に、木の幹が太いのだ。
の知る公園や山の木は、みな人間が植林と称して植えたものだ。いかに年輪を重ねようとも、自然に生えた木々には劣る。
それがどうだ。今の目の前にある木々は、これまでにが見たどの木よりも太く、雄雄しく天に向かって枝を伸ばしている。
の世界の木とは、根本的に生きてきた年代が違うのだ。
――――――カサッと、不意に聞こえた音に、は足を止める。
薄く乾いたものを踏み潰したような音は、枯葉を踏んだ音だ。もちろん、が歩く度にもその音はしている。が、今の音はが立てたものではない。それだけは判る。確実だ。
枯葉を踏む音は、が進む森の中から聞こえた。
「……誰?」
もしかして、また盗賊か何かだろうか? とは怖々と声をかける。
動物であれば、それで逃げてくれるかもしれなかったし、盗賊であれば――――――抵抗手段が無い。後ろからばっさりと殺されるぐらいならば、少し怖いが大人しく捕まったほうが良い。もちろん、隙があれば逃げだすことを前提に。
は震え始めた自分の肩を抱き、音の聞こえた方向へと視線を向ける。
じっとそちらを睨み身構えていると――――――木々の間から、頭に赤いバンダナを巻いた金髪の女性が姿を現した。
「……女の人?」
予想外の出現ではあったが、女性の姿にはホッと息を吐く。
相手が女性であれば、食べられる心配も、殺される心配も、売られる心配も必要はなさそうだった。
の姿に一瞬だけ驚いた金髪の女性は、自分の姿を見て露骨に気を緩めた娘に苦笑を漏らす。
「こんな森の中で、女の子の一人歩きは危険だよ?」
優しい響きをもった女性の声に、は僅かに口元を綻ばした。
なんだか、緊張しすぎた自分が馬鹿らしく、恥ずかしい。クマか盗賊かと思えば、相手は女性。それもなかなかの美人だったなどと。
「あ、はい。でも、あの……」
なんとなく頼りたくなってしまうような雰囲気をもった女性に、は口元を引き締める。
『女の子の一人歩きは危険』という言葉の意味が、昨夜が遭遇したような危険であれば、目の前の女性にも『危険』は当てはまるのだ。
「あなたも、一人歩きは危険ですよ」
そうが注意すると、女性は微かに苦笑を浮かべる。
その緊張感のない微笑みに、はなおも注意を促した。
『危険』というのは脅しではない。昨夜自分の身に降りかかったばかりの災厄なのだから。
「わたしも昨日、この森で盗賊らしい人に攫われかけましたし……」
「え?」
の言葉に、女性はようやく危険性を理解してくれたのか、眉をひそめた。それから何事かを考えるかのように幾許か沈黙すると、口を開く。
「……それは怖いね。
それで、その盗賊達に襲われたはずのあんたは、どうして無事なんだい?」
女性の一人歩きで盗賊に襲われたのならば、まず助からない。
にも関わらず、は無事にこうして森の中を歩いている。少々無用心ではる気がするが。
「え? あ、ハイ。その……騎士?
鎧を着た男の人が助けてくれまして……」
あまり思いだしたくは無いが。なぜ自分が無事なのかを説明し、金髪の女性にもその危険性を訴えようとして、は思いだした。
自分はイグラシオと名乗る男に助けられておきながら、まだ礼を言っていない。それどころか、一言も告げずに預けられた施設を出てきてしまった、と。
そう気がついたが、今更戻るわけにもいかない。
は一刻も早く、元の世界へと帰りたかった。
「それで、その盗賊達はどうなった?」
「たしか、どこかに連行するって言ってました」
「どこに?」
「ええっと……?」
盗賊の話に興味を持ったらしい女性に、聞かれるままには記憶を手繰る。
たしか、昨夜イグラシオの口から地名らしい場所が出ていた。聞き覚えがあるような、聞き覚えなどあるはずもない名前が――――――と、そこまで考えて、気がつく。
目の前の女性は、盗賊『達』と言った。
は、盗賊に攫われそうになった、としか言ってはいない。
少なくとも、盗賊が複数であったとは、一言も言っていないはずだ。
そう気がつくと、目の前の女性の不自然さが際立ってくる。
女性は『女の子の一人歩きは危険だ』とに言った。が、言った本人も一人歩きをしている。
『盗賊』としか話していないに対し、『盗賊達』とまるで複数であったことを知っていたかのようなことを言う。
おかしい。
目の前の女性は、何かがおかしい。
は無意識に一歩後ずさる。
相手は女性であったが、怖かった。昨夜の盗賊以上に。
「お嬢さん、どうしたの?」
「……いえ、あの」
の異変に気がついたのか、女性は艶やかに微笑んだ。
一歩後ろへと下がるに、女性は微笑みを浮かべたまま一歩距離を詰め――――――遠く聞こえる蹄の音に、はまた盗賊が来たのか身を硬くする。が、蹄の音に対して金髪の女性が取った行動はとは違うものだった。
「ちっ!」
金髪の女性はから飛びのき距離をとる。
と、それを見越していたかのように、と女性の間を栗毛の馬が通り抜けた。
は驚いて腰を抜かし、馬の背に乗る人物を見上げる。が馬の背にのった漆黒の鎧と銀髪に気がつくより早く、金髪の女性はどこかから短剣を抜き出していた。
「……イグラシオ、さん?」
馬の背に乗る昨夜と同じ光景に、は瞬く。
昨夜と違うのは、イグラシオが対峙する相手が盗賊ではなく、金髪の美しい女性であることぐらいだろうか。
とはいえ、その女性=盗賊と考えても間違いはなさそうだった。
と女性の間に立ち、馬上のイグラシオは静かに腰の剣を抜く。
「金髪に緋色の瞳……、おまえが盗賊どもの頭目ヒルダか」
イグラシオはと向き合っていた金髪の女を見下ろす。その容姿から導き出された情報に、眉をひそめた。
女盗賊ヒルダ。近年自治領トランバンを荒らし回っている盗賊団の頭目だ。トランバン市民からは義賊として親しまれてはいるが、イグラシオに言わせれば盗賊は盗賊だ。盗品の使い道はともかく、他人の財産を盗み出すという行為が犯罪であることに変わりは無い。
そして一つ加えるのならば、昨夜捕縛した賊の頭目でもあった。
「閃光騎士団の団長様に名前を覚えられているたぁ、あたしも有名になったもんだね」
イグラシオを挑発するように短剣を揺らし、ヒルダは目を細める。
昨夜から戻ってこない仲間を探しに来ただけだったが、とんでもない大物に遭遇してしまった。さて、これを好機と取るか、否か……と油断なく相手の出方を見守る。を背に庇い立ち、いかにも立派な騎士様といった風体のイグラシオに、ヒルダは内心で舌を巻いた。腹立たしいことに、隙が無い。さすがは領主の騎士。騎士団長の名は伊達ではない。
が、イグラシオが領主の騎士だというのならば、自分は盗賊としてそれに刃向かうだけだ。
ヒルダはゆらゆらと挑発していた短剣を引き寄せ、馬上のイグラシオへと狙いを定めた。
「大人しく縛につくのなら、丁重に扱ってやろう」
「はっ! 御大層な騎士様だって、馬から落ちることがあるって、教えてやるよ」
「騎士は、盗賊ごときに遅れはとらぬ!」
言い終わるや否や、振り下ろされたイグラシオの剣を、ヒルダはひらりと横へとかわす。馬上にいるだけ高さという意味ではイグラシオが有利であったが、身軽さではヒルダに分があった。
目の前で剣を振り回し始めた騎士と盗賊に、は後ずさり、すぐに行きどまる。背中の堅い感触に、すぐ背後に木が立っていることがわかった。力の入らない足を庇い、は木に縋りつく。そのまま重心を木に預け、はなんとか立ちあがることに成功した。
視点があがると、見えてくる風景も変わる。
見上げるばかりの騎士と盗賊の鍔迫り合いは恐ろしいだけであったが、僅かに余裕を持てた。
は胸に手を置き、深呼吸を繰り返す。
怖い。が、昨夜ほど取り乱すことはなさそうだ。
が見守る目の前で、女盗賊は身軽さを活かしてイグラシオを襲い、イグラシオは高さを活かして剣を振るう。イグラシオの乗った馬は訓練されているのか、隙あらば盗賊を蹴り飛ばしてやろうと鼻息が荒い。時々、振り上げられる前足に、盗賊はイグラシオの剣以上に、そちらに注意を向けていた。
ヒルダはイグラシオの剣を短剣で受けては横へ流し、すかさず襲い来る馬の前足を避けて後ろへと下がる。そこに再びイグラシオが剣を振り下ろし……としばらく繰り返され、ついに腹を決めた。
イグラシオ一人でも手に余る相手だというのに、その馬も良く訓練されている。
今のままでは、2対1で戦っているのと、大差はない。
となれば、先にどちらか一方を倒す必要があり、この場合狙いを定めるべきは、剣以上の脅威を持つ馬の足である。
ヒルダが姿勢を低くし馬のみに狙い定めると、イグラシオはそれに気がつき、即座に対応した。
馬の急所のみを目指して振り下ろされたヒルダの短剣を、イグラシオが弾く。
弾かれた短剣は、くるりと弧を描き――――――の頭部、わずか数センチ横の背後に立つ木の幹へと突き刺さった。
「ひゃっ!?」
立ち上がり、二人の様子を見ていたお陰で咄嗟に反応することができたは、奇妙な悲鳴を上げてその場にしゃがみ込む。さすがに、今度ばかりは腰を抜かすこともできなかった。咄嗟とはいえ、反応できなければ自分の身にも災いが降りかかる。
「……っ!」
聞こえたの悲鳴と、視界の隅で動いた人影に、一瞬だけイグラシオの気がそれた。咄嗟にを振り返りそうになり、思いとどまった時には遅かった。
「あーらよっと!」
短剣を失ったことで両手が開いた盗賊は、馬の手綱を掴む。そのまま自身の体重を利用し、勢い良く馬上のイグラシオへと足を振り下ろす。むしろ、体当たりに近かった。不安定な体制に、ヒルダからの体当たりを受け、イグラシオは不覚にも落馬した。
「ぐっ」
反射的に受身を取るイグラシオが体制を整えるより早く、ヒルダは隠し持っていたナイフを取り出す。ナイフと言うよりもナックルと呼んだ方が近い。柄の代わりに持ち手があり、刃の数もひとつではない。獣の爪のように3枚の刃がついた、殺傷力を高めたナイフだ。一見して手甲のようにも見える。
「目障りなんだよ! ボルガノの犬がっ!!」
いまだ体制を整えられていないイグラシオに、ヒルダはナイフを振り下ろす。イグラシオは反射的にそれを避けるが、間にあわない。
すっと3本の赤い筋の入ったイグラシオの左頬に、ヒルダは笑う。
不意打ちであったが、避けられた。本当ならば、致命傷を狙っていたにも関わらず。
「男前になったじゃないか」
「……女にしておくには惜しい逸材だな」
ようやく体制を整えたイグラシオは、血の流れる頬を指で撫で、傷の深さを確認する。痛みはまだ無い。が、じきに疼き始める深さだろう。傷跡も残る。
一瞬の隙とはいえ、後に残る傷を負わせてきた盗賊に対する自分の評価を改め、イグラシオは剣を構え直した。
生かしたまま捕らえる――――――その考えは、捨てた方が良い。
「あんたに誉められても、嬉しくないね」
すっと雰囲気の変わったイグラシオに、ヒルダはナイフを構え直す。
どうやら、ようやく本気になったらしい。腹立たしいことに。
次に動く時が、決着の時。
それは見守るだけのにも解った。
にらみ合う二人は一歩も動かない。
嫌な沈黙。
その沈黙を先に破ったのは、騎士でも盗賊でもなかった。
「団長ー!」
木々の間に響く歳若い声。それと同時に、規則正しい蹄の音も聞こえている。
状況が変わった。
たった一人の援軍とはいえ、騎士対盗賊の睨みあいは大きく力の均衡を崩す。
エンドリューの到着に、イグラシオは油断なく剣を構えたまま僅かに視線をそちらへと逸らす。その一瞬の隙に、ヒルダは袖の隠しから取り出した投げナイフをへと投げる。2度目のの危機を見逃さず、イグラシオをそのナイフを叩き落し――――――その新たに生み出された隙に、ヒルダは早々に逃走を決めた。
騎士2人を相手にするには、さすがに分が悪いと踏んだらしい。
への投げナイフは、イグラシオの隙を生むためのただのフェイントだ。この場でヒルダがを害する意味は無い。
木々の狭間へと姿を消すヒルダの背を見つめ、イグラシオはエンドリューの到着を待たずに指示を出す。
「あれが賊の頭目だ。追え!」
「はっ!」
そうヒルダの消えていった空間を睨み続けるイグラシオに、エンドリューは馬を止めることなく森の中へと賊の姿を追いかけていった。
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ナックルに刃がついたようなナイフは、実在するもよう。
というか、そういうナイフの写真をみて、イグラシオの顔の傷を、ここでつけてしまえ。と思った。