銀色の睫毛を物憂気にそっと伏せ、女性とみまごう白い繊手が舞い踊る。
しなやかな指先に弾かれた弦は、ポロンと丸みを帯びた音色を奏でた。
養い子曰く、どこか物悲しい旋律。
それが誰もが抱く感想なのか、マグナ特有の感想なのかは判らなかったが。
マグナを拾った当時、幼い彼を寝かし付けるために毎夜のように聞かせた曲。
彼が生まれた地方では、誰もが知っている子守唄。
彼とその妹が母親から聞かされたかは知らなかったが、それなりの効果を見せていた事を思えば、やはりこの曲の世話になっていたのだろう。
単純なメロディライン。
機械的に何度も奏でたせいで、今では目を閉じていても奏でられる。
(……?)
不意に視線を感じ、レイムは顔をあげた。
大通りを挟んで少女が二人、自分の方を見ている。
別段、珍しい事ではない。
自分の容姿が人目を――得に女性の目を――惹くことは自覚していたし、だからこそ意図的に華美な意匠を纏い、吟遊詩人の真似事などもしている。
レイムは物陰に潜むのではなく、進んで目立つことで、逆に間者の役割を担う己の存在を隠していた。
(どこかで……?)
二人連れの少女と目が合うと、レイムは銀色の髪を揺らして小首を傾げる。
どこかであった事がある気がした。
それも、少女二人ともと。
同時に会った記憶はない。
おそらくは、別々に一人ずつ、どこかで会った事があるのだ。
いったいどこで――――――? と記憶を探りはじめると、少女達は通りを越えてレイムの側へと近付いてきた。
「えっと、ごめんなさい。お邪魔しちゃいましたか?」
「いえいえ、そんな事はありませんよ」
やや無造作に肩より上の位置で揃えられた黒髪を揺らし、ばつの悪そうな顔をして小さく詫びる少女にレイムは微笑む。
間違いなく、どこかで出会った事がある。
少女の纏った蒼の派閥の制服から、召喚師を物色している時に候補の一人として気にかけたのかもしれないとも思ったが、見て取れる少女の魔力は並以下だ。視界の端の捉えたとしても、認識に足る存在ではない。
申し訳無さそうに顔を曇らせた少女に、レイムは笑顔を張り付けたまま背後に建つ酒場を振仰ぐ。
「人前でこうして楽器を奏でることが、私の仕事ですからね」
昼は食堂としての酒場の客の呼び込み。
夜は店の中で演奏を聞かせます、という営業も兼ねている。
もちろん、『吟遊詩人』としての仕事だったが。
「ひょっとして、吟遊詩人さんですか?」
「ええ、そうですよ」
蒼の派閥の少女に少し遅れて追いついた少女に目を向けて、レイムは自然な仕種で少女を観察する。
先の少女に心当たりはないが、こちらの少女には心当たりがある。
榛色の瞳と、同じ色をした腰まで届く長い髪。白と青を基調とした清楚な服そう。
――――――報告書に書かれた『レルムの聖女』と外見が一致する。
ということは、どこで会ったかも思いだせない少女は、報告書にあった聖女に加勢していた召喚師なのだろう。
お近づきになれば、損はない。
「私は吟遊詩人のレイム」
……といっても、まだまだ修行中なんですけどね、とレイムは戯けて見せる。極上の微笑みを浮かべて、そのまま少女二人に芝居がかった会釈をした。大概の女性であれば、これだけでレイムに心を許す。少女達も例に漏れず、ほんのりと頬を染めた。
「そんなに上手なのに?」
「ふふふ、お世辞でも嬉しいですよ」
きょとんっと瞬く黒髪の少女に既視感を覚え、レイムは微笑みを張り付けたまま内心で毒づく。
既視感の正体に、気が付いてしまった気がする。
これが間違いでなければ、最高に間が悪い『再会』だ。
「ええっと……」
間違いであっては欲しいが、その可能性に気が付いてしまえば確認しないわけにもいかない。
何気なさを装い首を傾げたレイムに、黒髪の少女は邪気のない笑顔で彼に最後通告を突き付けた。
「あ、あたしトリスです」
(……どうりで、見覚えがあるはずです)
にこやかな笑顔を浮かべたままレイムは少女二人との談笑を続けるが、思考はまったく違う事を考えていた。
黒髪の少女の顔に見覚えがあったのは、勘違いではなかった。
男女という性別の違いこそあれど、彼女の双児の兄を養子として長年手元で育ててきたのだ。きょとんっと瞬く間抜け面など、成長期に入る前のマグナと瓜二つと言っていい。
(それにしても)
間が悪い。
(あの莫迦息子。
無駄に悩むぐらいなら、何故もっと正確な情報を集めなかったんでしょうね)
マグナが北を目指すか、南を目指すかと悩んで数日潰している間に、妹のトリスはレルムの村へと向かい、また王都ゼラムへと戻ってきていた。
ということは、少なくとも先日レイムがマグナに南行きを進めた時には、同じ町の中にトリスはいたという事になる。
(まだゼラムに居るということは……ないでしょうね)
僅かな可能性を見い出し、レイムは自分でそれを否定する。
マグナの直情かつ直線的な行動は、嫌と言うほどに把握していた。
きっと今頃はレイムの勧めに従って、莫迦正直にファナンへと向かっているはずだ。
(さて、どうしましょうか)
少女達と他愛のない談笑を続けながら、レイムは改めてトリスを観察する。
見て判る魔力は、マグナには遠く及ばない。
双児の兄妹だと言うのに、この差はなんだろうか。
召喚術を扱う才能の全てをマグナに吸い取られたのか、残りカスのような物だ。先日配下が捉えてきた召喚師の方が、遥かに才能と魔力に溢れていた。一般の召喚師と比べても劣るのではないだろうか。蒼の派閥を探れば、高い確率で『落ちこぼれ』という評価が出てくる事だろう。
養女として手元に置いても、なんの役にも立ちそうにない。
それに比べ、正体不明の『聖女』から感じる魔力は素晴らしかった。
魔力を使うことに慣れていないのか見て取れる力はまだほんの小さなものだが、奥に秘めた才能を感じる。『聖女の奇跡』も、おそらくは使い方を知らない彼女の力が僅かに漏れでた産物なのだろう。微かにサプレスの気配を纏っていることは気になるが、それだけだ。育てれば『化ける』と現時点で確信させた。
(トリスさんが聖女を見捨ててくれれば、放置しておいてもいいのですが……)
このまま放置して、いずれどこかでマグナと再会すればいい。
が、トリスがアメルと一緒に行動をしているということは、トリスは黒の旅団と対峙することになる。
となれば、トリスはルヴァイドの敵となり、いつかあの黒い暴風の兇刃に倒れることとなるだろう。
(……総司令官殿に丸投げしても、面白そうですね)
もちろん、ルヴァイドには聖女と一緒にいる召喚師がマグナの妹だと教えたうえで、聖女捕獲作戦の続行を。
ルヴァイドが苦悩しながらも命令に従う様がありありと浮び、レイムの唇が本心から綻ぶ。
駒としては役に立ちそうにないトリスであったが、玩具としては自分を楽しませてくれそうだった。
「――――――見つかるといいですね、その歌」
「ありがとうございます。
その時には、ぜひお二人にも聞かせて差し上げますよ」
会話を結ぶトリスに、レイムは機嫌良く微笑む。
思考は別の事を考えていたが、少女たちとの会話もちゃんと成立させていた。他愛のないおしゃべりの締めくくりに、レイムは再び竪琴を奏でる。
「?」
慣れた仕種で1曲奏ではじめたレイムに、トリスは首を傾げた。
会話が途切れたというのに立ち去る様子を見せないトリスに、レイムもまた首を傾げる。
「……どうかしましたか?」
「いえ、その曲……
どこかで聞いた事がある気が……するんですけど……?」
首を傾げたまま記憶を探るそぶりを見せるトリスに、レイムは小さく瞬く。
少しだけ、驚いた。
マグナの妹にしては、記憶力がある……かもしれない。
マグナはすでに忘れている曲。
拾った当時も、すでになんの曲だったのかを彼は知らなかった。
北の街の子どもは、誰もが慣れ親しんだはずの――――――
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(2010.10.18)
(2010.10.21UP)