ブルーグレイ色の髪をした少女の行動に一度だけ瞬き、ロッカは手の平に乗せられた金の首飾りを見下ろす。
 細い鎖がのびる金の台座には、大きな緑色の石が収められている。
 林業と狩猟で生計を立てる、お世辞にも豊かとは言えないレルムの村で育ったロッカには、貴金属に対する審美眼はない。が、そんなロッカにも判る程、手の平に乗せられた首飾りは高貴な輝きを放っていた。

「……どう? 元気になった?」

「え?」

 髪と同じ色の瞳を揺らし、じっと下から気遣わしげに自分の顔を覗き込んできた少女に、ロッカは視線を戻す。少女――そういえば、ユエルと名乗っていた――はロッカの視線が自分に戻った事を悟ると、今度はロッカの手の平に乗せた金の首飾りへと視線を落とした。

「ユエルね、このペンダントを覗いていると、少しだけ寂しくなくなるの。
 なんだか、すっごく懐かしい匂いがして、メイトルパに帰れたみたいな気がして……」

 メイトルパ。
 普段はあまり耳にすることはない言葉だが、リインバウムに生まれた者ならば誰もが教えられる一般常識の中に、その言葉はある。
 リインバウムを囲むように存在する、4つの世界。その1つの名前が『メイトルパ』だったはずだ。幻獣や亜人が生活する、緑豊かな獣達の楽園。

「キミは……」

 目の前に立つ少女を改めて見つめ、その髪の隙間から生えている大きな耳に気が付いた。人間にはあり得ないブルーグレイの髪――ロッカ自身の前髪も似た色をしているが、彼の場合は自然の色ではない――と、明らかに形状の違う耳。最初は髪と同じ色をしていたため気が付かなかった。よくよく少女を観察してみれば、背後には髪と同じ色の尻尾が揺れていた。
 人と同じ言葉を使い、元気がないようだとロッカを気遣ってはいるが――――――少女は召喚獣だ。

 人間ではない。

 そして、『帰れたみたいな気がして』ということは、少女は『帰れない』のだ。
 召喚された者が『帰れない』と称する状態といえば、召喚術に関わることなく暮すロッカにも、その意味は判る。

 少女は召喚獣であり、主人から逃げ出した『はぐれ』である。

 主人が故人となり、『はぐれ』になってしまう者もいるが、自分よりも歳若い少女が、主人が『故人』となるような場所で『働いていた』とは考えたくない。
 考えたくはないが、『はぐれ』の末路は悲惨である。
 人の社会に溶け込む事もできず、闇に潜んで生きるか、狩られるか。
 理解ある召喚師に引き取られれば、人並みの生活もできるかもしれないが、そもそも少女を『はぐれ』という状況に追いやったのも召喚師だ。元凶である人間に、少女がもう一度『縛られたい』と望むとは考え難い。
 そして、一般人であるロッカが取るべき『はぐれ』に対する行動といえば、狩るか街の警備兵へと、彼女を突き出すぐらいだ。
 きこりの仕事を手伝い、村の自警団長を務めていたロッカには、『獣』を狩るための力がある。

「……慰めてくれてるんだね、ありがとう」

 ちらりと思考をかすめた『一般的はぐれ召喚獣への対処法』を、ゆるく頭を振る事でロッカは頭の片隅へと追いやった。
 自分は召喚師ではない。
 ゆえに、召喚師達の不手際で生まれてしまった『はぐれ』を、処分する筋合いはなかった。
 『はぐれ』を狩ることで処分するよりも、『寂しそう』と気遣ってくれた少女の優しさに応えたい。

「でも、このペンダントはキミの友だちで、僕は範疇外みたいだ」

 気遣ってくれてありがとう、と続け、ロッカは首飾りをユエルの手の平へと返す。無事に自分の元へと返ってきた首飾りにユエルはホッと息をはいたが、すぐに心配気にロッカを見上げる。

「お兄さん、ホントに大丈夫?」

 眉を寄せて重ねて問うユエルに、年下の少女に心配をされたままのロッカは苦笑を浮かべる。
 こんなにも幼い少女に心配されるほど、自分はなさけない顔をしているのか、と。

「……メイトルパって、キミの故郷?」

 心配そうに自分を見つめているユエルに、ロッカは話題を変えようと話しをする。見知らぬ少女ではあったが、自分ことで少女が気に病み、つられたように悲しそうな顔をしているのはいただけない。

「うん! オルフルのみんながいる、ユエルの故郷だよ」

 ロッカの目論みにのり、ユエルはパッと顔を輝かせた。が、すぐにその表情を曇らせる。

「……もう、ずっと帰ってないけど」

 困ったように眉を寄せ、ユエルはロッカの顔色を窺うように続ける。
 おそらくは、自分が『はぐれ』であると、他人に知られればどうなるか、判っているのだろう。ロッカとしては、先に予想をしていたため、改めて『帰っていない』と聞かされても驚く事はなかった。『ああ、やっぱり』と思う程度で、別に警備兵に突き出してやろうとは思わない。一般常識として、ちらりとは考えたが、実行する気にはならなかった。

「ユエル、その……召喚獣だから。
 こっちに召喚されて、そのまま……」

 言い難そうに――実際、話す必要などないのだが、ユエルは上の莫迦の付く正直者なのだろう――そう続けたユエルに、ロッカはそっと目を閉じる。
 帰りたい故郷があるが、そのための手段がない。
 言い淀むユエルに、ロッカは理解した。
 ユエルが自分を気にかけ、『すぐに返して』と言う程に大切な首飾りを『貸して』くれた理由を。

「そっか。……似ているね、僕と」

 帰りたい故郷があっても、そのための手段がないユエル。
 足さえあれば帰れる場所に故郷があっても、帰りたい時間の故郷には二度と帰れないロッカ。

「……お兄さんも、家に帰れないの?」

「悪い人が大勢やってきてね、僕の故郷は焼かれてしまったんだ」

 ユエルの『帰れない』という理由とは違うが、お互いに帰れない故郷を憂いる心を持っている。

「……ごめん。ユエル、嫌なこと思いださせて」

 メイトルパの住む獣人にとって、火事は天災と並ぶ驚異だ。
 森を焼き、家を焼き、命をも焼きつくす火の恐ろしさは、森に生きる誰もが知っている。

「いいんだ。キミのせいじゃない」

 ゆるく首を振るロッカに、ユエルは眉を寄せたまま首飾りとロッカの顔を見比べた。ユエルの寂しさをほんの少しだけ癒してくれた首飾りは、しかしロッカにはなんの効果もないらしい。やんわりと『僕は範疇外みたいだ』と返されてしまった。とはいえ、自分の失言のせいで嫌な事を思いだしてしまっただろうロッカを、このまま放っておくこともしたくない。

「……あ、ねえねえ!」

 どうにかして元気づけることはできないものか。
 そう頭を悩ませたユエルは、似た境遇ではあるが、同じではない境遇に、一つの可能性を見つけた。

「お家はなくなっちゃったかもしれないけど、
 村が無くなっちゃった訳じゃないよね?」

 建物は火事で燃えてなくなってしまったかもしれないが、村として存在した土地そのものが消えるわけではない。
 ユエルの場合は、村からユエル自身が消えてしまったが。
 ロッカの場合は、ロッカも村も同じ世界に存在する。
 無くなってしまったのは家などの建物であり、そこに住んでいた全ての住人が消えてしまった訳ではない。

「もしかしたら、お兄さんみたいに生きてる人がいて、
 またお家に戻ってくるかもしれないよ!」

 老若男女、病人であっても構わず、目の前で人が斬られ、殺されるのを見てしまったロッカにとって、ユエルの提案はただの気休めではあったが。
 たしかに、一理ある言葉でもあった。
 村がどんなに凄惨な状況下にあったとしても。
 自分と弟は生きている。
 先に逃がしたアメルと旅人も、生きていた。
 もしかしたら――――――本当にもしかしたら、他にも生き残りがいるかもしれない。
 自分達の存在がある限り、可能性はけっしてゼロではない。

「そうか。そうかもしれない」

 ゆっくりと瞬き、まだ少しぼんやりとはしていたが、力強い響きを持ち始めたロッカの声に、ユエルはホッとため息をはいた。
 僅かに下がったユエルの肩に、ロッカは微かに笑う。
 自分より幼い少女に元気づけられたことが、ほんの少しだけ照れくさかった。

「ありがとう。
 一度、村に戻ってみるよ」

 まだ襲撃者達がいるかもしれないので、まっすぐに戻るのは危険かもしれない。
 少し迂回して、他にも逃げ延びた生き残りがいないかを探しながら、村に戻ろう。そこで犠牲になった村人を弔いつつ、アグラバインやアメルが戻ってくるのを待ってもいい。少なくとも、多くの人間が焼かれ、切り捨てられたままの骸を放置しておいて良い訳もない。

 やるべき事と、やりたい事を見つけ、ロッカは元気良く顔をあげた。






 

(2010.03.23)
(2010.03.25UP)