王都ゼラムのほぼ中心に位置し、住民達の憩いの場として愛される導きの庭園。
その隣には、珊瑚色の石畳に周囲を覆われた巨大な建築物ある。石畳と合わせた赤い煉瓦の外壁を持つ建物には人間用の入り口の他に巨大な横穴が開けられており、その奥からは長い舌のようなレールが伸びていた。
召喚獣列車駅。
荷物や人を運ぶ、巨大な馬車の駅として機能する建物だ。もちろん、名前の通り馬車と例えても実際に車を引くのは馬ではなく、小さな山ほどの大きさはある召喚獣ということになる。
工業区と一般住宅区をに挟まれるように西へと真直ぐに伸びるレール。
しかし、その先。ゼラムの街をぐるりと囲む城壁の外へと伸び、南のファナン、遠くは西のサイジェントまで引かれる予定のレールは、スラム街の外れ数百メートルといった場所で、基礎を組む事も止め、放置されていた。
召喚獣列車駅といっても、それはまだ開発途中の施設だ。
赤い煉瓦の立派な駅舎も、出来上がっているのは外壁ばかりで、内装は丸裸も同然。多くの観光客を迎える予定の吹き抜けのホールも、今はまだ白い肌を覗かせているだけで、色とりどりの壁画も、商店の立て看板も何もない。
莫大な資金がかかる、と一度は凍結された召喚獣列車駅建設。
近年、金の派閥からの資金援助でその計画が再開され、ようやく物資の補給や工事関係者等の人通りも見かけるようになったこの場所は、『門番のいない』街への入り口としての顔を持っている。
スラムの子どもが港湾施設へと仕事を貰いに通う程度であれば、可愛らしいものであったが。特定の時間以外は人通りの少ない工業区と、憲兵の見回りが高級住宅街に比べ少ない一般住宅街に挟まれたこの開発区は、正規の城門前で行われる検問をくぐり抜けられない商品や、お尋ね者とされる人間が街へと出入りするためにも、多く利用されていた。
そして、この抜け道を通る者は、人間や商品だけには留まらない。
主人から逃れ、身分証明書や通行書を持たない『はぐれ』召喚獣も、この『道』を利用する。
ゼラムに住む人間からは『再開発区』と呼ばれる場所を歩きながら、ここならば少しゆっくりできる。追いかけてくる鎧を着た人間も、嘘を付く人間もいない。そう辺りを確認すると、ユエルは手にした金の首飾りを見つめる。
萌ゆる緑の輝きを放つ石は、温かで、それでいて切なそうに煌めいていた。
今は遠く離れてしまった故郷を象徴するかのような緑の輝きに、ユエルはそっと指で石を撫でる。そうすると、緑の石はまるでユエルの指に甘えるかのように、ほんのりと光った。
手の平を見つめながら俯き歩くユエルの視界には、薄汚れたオレンジの手袋に包まれた自分の手と、緑の石がはまった金色の首飾り。
それから――――――
「おっと」
不意に視界へと飛び込んできた影。
続いて聞こえた声に、ユエルが身構えるより早く、影の主はユエルの肩を捕まえていた。
自分以外の誰かに『捕まえられた』。
両肩を掴まれ、身動きが取れない。
このままでは自分の宝物である首飾りを、何者かに取り上げられる。
懐かしい輝きを持つ石を、誰かに無理矢理奪われるぐらいなら、噛んででも、引っ掻いてでも逃げのびてやる。
そう決意し、ユエルは首飾りごと拳を握りしめる。
それから、急所を狙い必ず一撃で仕留めると、ユエルが肩を掴んでいる者を見上げると――――――
「下ばかり見ていたら、あぶないよ」
見上げられた人間の少年は、寂しそうに微笑んでいた。
「……ご、ごめんなさい」
寂しそうな顔をした少年に、ユエルは殴り掛かる準備をしていた拳を解き、反射的に謝る。
自分を召喚した人間や、街中を徘徊する鎧をきた人間達のような悪意は感じない。おそらくは、昼間出会った人間の少女のように、自分の敵ではないと判った。
「いいんだよ、今度から気をつけてくれれば。
僕の方こそ、キミにぶつかりそうになったわけだしね」
言いながら苦笑いを浮かべた少年に、下ばかり見ていて危なかったのは、自分だけではなかったのだ、と知る。おそらくは、少年も自分と同じように何かに気を取られて俯き、ユエルとぶつかりそうになったのだろう。少年とユエルの差は、前方から近付きつつあるお互いの存在に、気が付いたか、付かないかの差だけだ。
「……お兄さん、どうしたの?
元気ないね?」
「え……? そうかな?」
節目がちな少年の雰囲気が気になり、ユエルは首を傾げる。
本来なら『人間』が困っていようが、『召喚獣』であるユエルには関係がない。普通の召喚獣であれは、人間が困っていようが手を貸してやるいわれはないし、良い気味だと思う。
が、ユエルは違う。
生来素直な性質をもつユエルは、人間はすぐ嘘を付くし、卑怯で汚い奴等だとは思うが、相手が悲しそうであったり、困っていたら、手を貸さずにはいられない。昼前、お金を落としたという少女を手伝ったように、寂しそうな雰囲気をまとった少年が気になった。
「すっごく寂しそうだよ」
「寂しい……か。そうだね、そうかもしれないね」
「?」
『寂しそう』と指摘され、そうと認めた少年は、どこか遠くを懐かしむような目をして押し黙る。
その表情に、見覚えがあった。
リインバウムに召喚されてから見た、水に映った自分の顔。
メイトルパにいた頃も稀に水鏡に映った自分の顔を見た事があったが、あの頃はしおれた花のように元気のない顔などしていた事は一度もなかった。いつも元気いっぱいで、お日さまのように輝いていた自分の顔が、ユエルは大好きだった。集落の年上の男達には『もう少し大人しくても良い』とからかわれていたが、彼等もユエルが今のように元気をなくす事は望んでいなかっただろう。
見知らぬ異世界に一人きりで召喚されて。
悪い人間に騙されて、誰かを傷つけるのは嫌だ、と逃げ出し、本当に一人きりになって。
中には良い人間もいるだろうと知っているが、人間の中には混ざる事ができなくて。
故郷に帰れぬ寂しさと孤独。
目の前の少年から感じる、自分と同種の郷愁に、ユエルの手のひらで緑色の石が同調するように輝いた。
「……うん、そうだね」
ほんのりと輝く緑の石に、ユエルは答える。
言葉はないが、なにかを呼び掛けられた気がした。
「お兄さん、ちょっとだけ……コレ貸してあげる」
「え?」
ユエルは手にした金の首飾りを少年に差し出すと、少年の目をまっすぐに見つめた。
「でも、ちょっとだけだよ?
このペンダントはユエルのだから、すぐに返してね」
正確には拾った物なので、ユエルの所有物ではないが。
ユエルはもう、この懐かしい故郷を思いださせてくれる首飾りを、自分から手放すつもりはない。
目の前の少年に貸すのも、『ほんのちょっと』だけだ。
ユエルは僅かに瞬く少年の手に首飾りを乗せ、そっと寂しそうな瞳を見上げた。
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(2010.03.20)
(2010.03.25UP)