「こ〜んにちは!」

 勝手知ったるなんとやら。
 元気良くチョコレート色の重厚な扉を開き、パッフェルは上司の部屋へと歩を進める。
 ふわふわと沈む最高級の絨毯が敷かれた部屋の中に、目当ての上司と――――――

「あれれ? グラムス様は御機嫌ナナメですか?」

 目当ての上司の他に、この部屋にいるとは思っていた人物であったが、なにやらいつもと様子の違う風体に、パッフェルは可愛らしく首を傾げた。
 常からして感情の起伏が乏しく、無表情に近い男ではあったが、今ははっきりとその感情が判る。
 ムッと眉と唇を引き締めた姿は、誰がどこからどのように見たとしても、機嫌が悪い。
 それも、手の施しようもないほどに、突き抜けた不機嫌だ。

「ケーキを無理して3個も食べたからね。
 さっきからずっと気分が悪いらしい」

 苦笑を浮かべながらそう説明した上司に、パッフェルはわざとらしく眉をよせ、残念そうな顔を作る。もちろん、毛ほども気の毒には思っていない。ただパッフェルは、自分の容姿が他人にどのような印象を与えるかを熟知しているだけだ。男を魅了し、油断させるために身に付けた所作は、出す必要のない場所でも無意識に表へと出てくる。

「ありゃりゃ。今月のお勧めケーキをチョイスしたんですが……
 やっぱり無理でしたか」 

 甘党の弟子と、辛党の弟子を持つこの男が、いったいどちらに属する者なのか。
 ほんの少しの悪戯心をもって、やや甘味の強いケーキを選んでみたが、どうやら彼は甘党ではなかったらしい。いつか何かの用事にかこつけて激辛料理を配達してみよう。
 そう心に留め置いて、パッフェルは胸焼けに苦しむグラムスに合掌した。――――――もちろん、これも心の中で。

「それで、さんとは楽しくお話できましたか?」

 薄いピンクのメイド服にも似た制服を着た娘は、数日前に蒼の派閥へと侵入してきた自称『クレスメント』の姓を持つ少年の召喚獣だ。街の中で強引に本人達を捕獲する事はできないが、偶然を装って派閥の中へと誘い込むことはできる。

「なかなか躾の行き届いたお嬢さんだったよ。
 ……主人のプライベートについては、口が堅い」

 自身のことについては、隠し事ができない性分なのか、落とした主人の金を弁償するために飛び込みで仕事をさせてもらっている、と結局ばらしてしまっていたが。
 色々手を変え、品を変えて探っては見たが、主人である少年の事は話さなかった。

「まあ、彼女の主人は、悪い人間ではなさそうだったよ。……一応ね」

 おしゃべりが大好きな年頃の少女。
 お茶とケーキに機嫌を良くし、口も軽くなるかと思ったが。
 年齢に見合わぬ――使用人としては身に付けていて至極当然な――誠実さから、マグナと名乗った少年が、真実トリスの血縁者かどうかは確かめられなかった。

「もう少し、様子を見る必要があるかな。
 頼むよ、パッフェル」

「はぁい。お任せください」

 正体不明のクレスメントの末裔に対する態度は保留。
 放置もできないが、捕らえる事もできない。
 現段階でマグナに対してとれる派閥としての処置は、観察だけだ。

「ああ、そうそうエクス様」

 当面の指示を出され、まずはマグナの泊まっている宿屋の一階の酒場にウエイトレスとして忍び込もう、と次の行動を決めたパッフェルは、さも今思いだしたとでも言うように懐を探る。
 隠しポケットから白い封筒を取り出したパッフェルは、ロウの変わりに封をするようにキスをし、その封筒を目の前の少年へと差し出した。

「これ、私からのラブレターです。受け取ってください」

 若い娘が好んで使うような可愛らしい封筒の中身は、言葉通りに恋の綴られた手紙ではない。夕方近くに高級住宅街で起こった乱闘騒ぎとその顛末についての報告だ。そこにはもちろん、乱闘に巻き込まれた住人の名前も、その場にいた召喚師の名前も記されている。
 襲撃者:謎の黒い鎧の一団
 被害者:蒼の派閥召喚師/ギブソン・ジラール、ミモザ・ロランジュ、ネスティ・バスク、トリス。その他/冒険者2名、ゼラム外の一般人3名。

 ほんの数日前。
 王都ゼラムを旅立ったはずの者の名前も、そこには綴られていた――――――






 

(2010.03.16)
(2010.03.18UP)