父の実家に行った。
久しぶりにおじさんにあった。
言われた。
「働かないのはもったいない」
なんか、キュンと来た。
そうだよな、もったいないよな、と。
なんとなく、このおじさんは好き。
言われたことが素直に入ってくる感じ。
感銘を受けた、と次兄(ニート)に教えたら、納得された。
実に珍しい。
母が即座に便乗して「そうだよ、もったいないよ!」とか押し付けがましく言い始めたので、「アンタが言うと安っぽくなるから、おじさんの言葉に便乗するな」と言っておいた。
そもそも、このおじさんに3年に1回ぐらいの頻度でしか会わないのは、母が父の実家をめちゃくちゃ嫌っているから、なんだけどね。
昔、お正月に一家で顔を見せにいったら『お年玉をせびりに来た(要約)』といわれたと1時間ぐらい母に愚痴ぐち言われた。
母のことなので、真実かは謎。
勝手に解釈して、そう捻じ曲げて私に言った可能性9割。
そして、今この話をしても「そんなこと言ってないよ。あんたが変な風に捕らえてるだけだよ!」とか責任転嫁するんだろうな。
父方の親戚は理屈が通った話をするので好き。
母方の親戚は感情と思い込みと妄想で物を言うので理解できない。
父は実家&実の兄だというのに、話すことがないのかだんまり。
人間って、観察すると面白い。
父がだんだん飽きてきたのか、イライラと体を揺すり始めるのがわかるんだ。
で、母がそろそろ帰ると言い出すと、珍しくパッと笑ったのも判るんだ。
実家、なんだよなぁ?
おじさんはいい人だ。
タバコの煙が煙いといったら、すぐに消してくれた。
父はそんなことしない。
年齢を言うと祖父か? といわれる父だけど、その父とさらに年の離れたおじさんは、もうおじいちゃんの領域。
っていうか、お父さんの兄っていうより、おじいちゃん気分だった。
実は、従兄弟を叔父だと思っていたのは秘密。
ホントのおじいちゃんはほとんど記憶にない。
父方の祖母は存在すら忘れていた。
子どもの頃を思い出すと、いっぱいごめんなさいをしないといけない人がいる。
昔、『じいじ』と読んでいた人がいた。
私が10歳に満たないころだから、当然父も50歳になってないはずで。
『じいじ』は父の姉の旦那さま。
姉は私が生まれる前に死んで、その頃には再婚していたので、要は『他人』。
父の姉の旦那ということは、当時50歳行くかいかないか――――――なのに、私は『じいじ』と読んでいた。
髪が白髪だったんだ。
子どもって、残酷。
あんまり人付き合いのない父だけど、『じいじ』には『他人』になっても、老人ホームにぶちこまれても会いに行ったりしてたので、父は『じいじ』が好きだったのかも。
■明日はたぶん
母の実家に行くんだろうなぁ。
行きたくないなぁ……。
おばあちゃんが死んでから、あの家汚い。
はだしで歩くと満遍なく塵・埃を足の裏に感じる家って、そうそうない。
あの家の子どもが所謂『知恵遅れ』なのは絶対障害とかじゃない。
育ててないからだ。
小学校上がってるのにおしめで家のなか放置って、今流行りのネグレイト? とか言うのじゃないのか。