
足利義教 追悼 嘉吉之乱

将軍此ノ如キ犬死、古来ソノ例ヲ聞カザルコトナリ ――『看聞日記』
追悼記念第二弾ー 足利義教ー
1441年6月24日、室町幕府八代将軍足利義教、赤松満祐一党に暗殺されたですよ(爆)
もう結構笑えるんですけどね、満祐は以前にのりりんの兄・義持が将軍だった頃に
一度所領を取り上げられそうになって、それを赤松家庶流の持貞に与えるかという噂が沸きました
この持貞、モッチーと男色関係にあって寵愛されたためとかもいわれますが
ワタシ到底あのヒト嫌いのモッチーが心許す存在がそうそういるとも思えないので(爆)おそらく赤松家排斥のための工作だったんじゃないかなと思います、はい
そのときはその持貞が
モッチーの侍女と密通するという馬鹿かお前という失態 を犯したため
スルーになりましたこの話 が
兄ちゃんの意思を継ごうと思うのりりんが今度は持貞の甥にあたる貞村に所領をという噂がででんと
んでまたこの貞村とのりりんが男色関係だという話ですが年齢差からみても以前にたどってきた経緯からみても
やはり単なる赤松家排斥のための工作としか思えませんワタシはい
そんなことはどうちらでもいいとして(爆)
『今度こそ殺される!!一族が滅ぶ!!いやだぁあああ』
はやとちりに狂った満祐は
親子の鴨をみにこんかとのりりんを自宅に招待
のこのこいくのりりんも大丈夫かお前 というかんじですが、そこで案の定
さよならっ!さようならっ!さよならっ! AH〜もうすぐそこは暑い夏手前でぶっころされました(爆死)
のりりんの行った政治があまりに急進的かつ妥協を知らなかったため、多くの人間から疎まれていたので
自業自得だといわれました、でも自分はのりりんのやった政治自体は非常に高度なものだと思っています
のりりんが暗殺されたとき、彼を最期まで守っていたのは愛人だといわれた貞村でも、管領細川持之でもなく
大内持世と山名煕貴と細川持春、飛鳥井実雅という近臣たちのみであった
ちなみに山名持豊はどうしたかというと
何食わぬ顔で逃げておりますあいつ!!!(爆笑)ちうか、やはり刀は別個で描いて合成すべきだよ自分(反省)
そしてもっと裸体の研究と龍くらい自分で描きましょう…(ため息)
配布絵にしようかとおもったんですけど、龍が二次配布になるので断念です、ごみんよ〜(誰も要らないから)