外の風は冷たい。
季節はあちらと変わらず冬のようで、暦の上でも変わらず師走なのだという。
今では、師走は十二月までで、今は一月、睦月なんですけど
と、教えてくれたの声を思い出しながら、幸村は対峙した政宗の顔を見つめる。
彼の顔は、酷く冷たく鋭く尖り、皮肉げな笑みをその顔に貼り付けていた。
「OK、真田幸村。で、お前はそれを俺に教えて何が望みだ」
「何も」
武田がなそうとしている、朝倉浅井を使った、対織田・徳川計略。
その全てを語り終わった後の、政宗の疑惑を孕んだ声に
幸村はゆっくりと首を振る。
「……何だと」
「何も、望みはござらん」
そのようなものは、何一つとして。
その幸村の返答に、政宗は鋭い殺気を一瞬放ったが
すぐに幸村の態度に、その言葉が真実であると悟ったのか
虚をつかれた様な表情を浮かべた。
しかし、それもまた一瞬で、馬鹿にされたと感じたのか
彼は憤怒をもって、幸村を見る。
「同情をくれてやるって、そう言ってんのか、手前」
「そうではござらん。部下を持つ身として政宗殿の状況を見過ごすようでは
武士とは、真田のものとは、武田のものとは
名乗る事が出来んと、そう思ったまでのこと」
冷静さを失っては、必ずこの話し合いは拗れる。
それが分かっているから、幸村は殺気を向けられようと
挑発するような台詞を吐かれようと、決して冷静さを欠かぬよう
心を必死で律している。
それが、功を奏したのか。
それとも、武田にはまだ信玄という頭がいるが、
伊達の頭は「ここ」にいるという、両者の心の優位性が明暗を分けたのか。
風が木の葉を揺らす音だけが、ざわざわと暫く辺りを揺らしていた後
ちっと政宗が舌打ちを一つ零した。
「仲良しこよしやってんじゃねぇんだぜ。
同盟を破棄した後、いや、帰った後からでも俺がこの情報を
悪用するとは思わねぇのか」
「政宗殿は義理堅い御仁だと、刃を交わして某は思っているでござる。
また、それが外れたところで、某の目がなっていなかったと言うこと。
無論、そうなればお館様が腹を切れと仰られるならば、切る。
切らなくて良いと仰られるならば、そのような些細事
障害にもならぬようにしてみせる」
偽悪的な言葉に、きっぱりと言い切ってやると
政宗は苛立ち髪の毛をばりばりとかいた。
「……………shit!」
そして、舌打ちをもう一回。
くそったれという意味の異国語を、吐き捨てるように叫んで
政宗は幸村の眼をまっすぐに見た。
その瞳から、隠していた焦燥感や押し殺した怒りは消えていた。
「………礼は言わねぇ。が、借りは返す」
「借りなど。それよりもただ、某との決着をいずれつけてくだされば」
「…そういう言い方されると、踏み倒すつもりでも返さねぇといけなくなるだろ。
あんた策士だな」
「そういうつもりでは…」
「くっ。It is a joke(冗談だ)」
笑う政宗の顔からも、いくらか力が抜けていた。
これで、お館様にどのようなお叱りを受けても悔いは無い。
このような状況で、力量を認めた相手の窮地を見過ごして
なにが武士ぞ。
ようやっと、肩の力を幸村が抜くと、政宗がすっと表情を引き締めた。
「悪いが、これは小十郎にも話すぞ」
「そのつもりであった。構いはせぬ」
「OK」
ただ、小十郎と佐助を連れ出すと、寝室が手隙になるため
政宗一人を呼び出しただけのこと。
なんら問題はないと頷くと、政宗は寝室へ戻るのか
幸村に背を向け
「…小十郎の分は礼を言っとくぜ。Thanks」
数歩歩いたところで、ひらりと手を振って去ってゆく。
「そういうところが義理堅い」
その行動にふっと笑いを浮かべると、幸村は空を見上げる。
空には煌々と輝く三日月と、きらきらと光る星星。
「空は、変わらぬのか」
大地はこんなにも違うというのに。
そう思ったところで、ひゅうっと空を光が横切ってゆく。
最初は流れ星か、それとも忍びかとも思ったのだが
ひょっとしてあれが、教えられていた空を飛ぶ機械
飛行機なのかと思い当たり、幸村は顔を歪ませ笑う。
「いや、空も違ったな」
………いかに、武田にはお館様と呼び慕う武田信玄公が残っているとはいえ。
幸村だとて、不安でないわけがないのだ。
分かるからこそ、政宗を見捨てられなかったのも、計略を話した理由の半分。
「武田は今どうなっているだろうか…」
一日程度では、動きは無い。
無いはずだと信じたいが…。
「必ず、戻りますぞお館様」
気合の入った誓いを口に出し、幸村はすぅっと夜の空気を吸い込む。
澄んでいる筈の夜の空気は、戦場の空気よりも、より濁った苦々しい味がした。





玄関から入ると、二階から光が漏れているのに気がつき
幸村は不審に思って階段を上る。
と、そこには居間の食卓の前に座り、階段のほうを見ているが居た。
殿?」
「さなだ、さん」
その怯えたような表情に思わず名前を呼ぶと、呆けた声で名前を呼び返される。
しかし、彼女が正気を取り戻すのは早かった。
二度瞬きをする間に、みるみる表情を取り戻し
は食卓をぽんっと叩いて
「……上がってきます?」
緩く笑って幸村に誘いをかけた。
生憎と、感傷的な気分で居た幸村は断ろうかとも思ったが
いや、このまま眠ろうとしたところで、悶々と悩み眠れないに違いない。
思い直して、こっくりと誘いに頷く。
そのままとんとんと階段を上って近づくと、は家長であるというのに
入り口に一番近い、一番の下座に座ったまま、ぽんっと上座の位置を叩いて幸村を促す。
「どうぞ?」
「上座ではないか」
その位置には座れないと渋ると、彼女はあらっと笑いながら立ち上がる。
「上下なんて気にしませんよ。お茶、入れてきますね」
そのまますっと台所に歩いてゆき、チチチチチと、火を起こす音が聞こえた。
まこと、便利なものよ。
文明の利器ですよ、と説明をするの言葉にも、全くだと頷くしかない。
押すだけで火がつくなど、持ち帰ればどれぐらい役に立つことか。
思ってはみたものの、基本的に供給施設が無いと
こういうものは役に立たないのだと、から説明を受けていたので
口惜しく思う。
このまま持ち帰れれば、天下を取ることも容易いというのに。
いや、しかしそれはお館様の力で取った天下と言えるのだろうか。
自領で開発したわけでもない技術で、
容易く取った天下で世を統べて、本当にお館様が望む天下がそれで作れるのか。
…っく……この幸村…未だ未熟…………
……………叱ってくだされお館さまあああああああと
今度は違う方面で幸村が悶々と考えて
というか、むしろ暴走しかけていると
絶妙の間でことりと目の前に湯飲みが置かれた。
「座っててくださって、結構だったのに」
意識を現実に戻すと、苦笑するの顔が飛び込んできて
思わず幸村はすとんと腰を下ろす。
しまった、上座だというのに。
思わず腰を浮かそうとした幸村だったが
が当たり前のように元居た場所に座り
また、幸村が上座にいることを気にした様子も無いので、また腰を落ち着ける。
おそらく、本当に上座下座を気にしもしないのだ、この時代では。
抵抗があるが、ここで幸村の礼を貫くのもいかがなものか。
ぐっと我慢していると、が気がついたような顔をして
湯飲みに手を伸ばした。
毒見をしようとしているのだ。
幸村が手を伸ばさぬわけを、毒見が無いからだと思ったらしい彼女は
湯飲みに手をかけ、それを幸村は押し止める。
「いや、結構」
言って、湯飲みを持ち上げ、茶を一口飲む。
それを驚いた顔で見ていたは、ごくりと、幸村が茶を飲んだのを確認して
心配そうな顔で、階段を見た。
「…真田さん、そんなことして猿飛さんに怒られません?」
「怒られたとしても、置いて下さる方を疑うなど
某には出来ませぬ」
「…いいのかなぁ」
呟く彼女の口調からは丁寧さが抜けていて、夜のせいなのかどうかは分からないが
大分気が緩んでいるようだった。
というよりかは、何かに疲れているような?
殿は、疲れておるように見受けられるが
…某達のせいでしょうか」
「いえ、そうじゃない。そうじゃないんですけど」
言いながら、顕著にの表情が沈み込んだ。
それから、食卓の上に乗る黒い塊に視線をやって
彼女は湯飲みを強く握った。
「…少し、見つけた事がありまして」
「それは、某達に関係することでござるな」
その硬い声に、直感して幸村がそういうと
は驚いて、それから目を伏せる。
「…………やだなぁ、鋭い」
ぽつんと言って、は前髪を触った。
迷っているのだと、その仕草から感じ取り、幸村はただ黙って待つ。
本当は問い詰めてしまいたい。
隠すな、帰れる何かが見つかったのか。
そう言えば、きっと心のままに振舞った幸村は、楽になれるだろうが。
という人物は思慮深いと、幸村はこの一日見ていてそう感じている。
だから、彼女が話さないならば、それ相応の理由がきちんとあるのだ。
それに。
彼女は非常に優しい。
だから、幸村達に黙って抱えているのは、不可能に等しいだろうと
幸村は茶を啜りながら考える。
佐助辺りは、利己的な節があると感じているようだが
本当に利己的な人間が、伊達政宗、片倉小十郎がこちらに来ていない段階で
幸村と佐助に滞在の許可など出すものか。
武器を持って歩くことを許し
気を使って、大皿で料理を出し、
毒見として一番に料理を食べることを黙認している辺りで
気がついてもよさそうなものを。
佐助が疑う疑わないは別にして、幸村はそう思う。
…直感的なもので、疑わずに見ているものと
職務上疑わなければならないもの。
その二つの差が出ているだけなのだと、気付けぬ辺りが
まだ幸村が若い証だろうか。
これこそ、お館様と呼び慕う武田信玄公が知れば
精進せよ!!と叱られそうなものだが、幸村はそれには気がつけず。
そうして。
少しばかり、静かな時間が流れた後、
が一口茶を啜って、机の上の黒い塊を撫ぜた。
「……今回の件に関しては、全てが推論です。
確かなことなど、化け物とあなた達の存在しかない。
けれどね、推論とはいえ、私は上手く纏っていないことを
他人に喋るのは嫌いなんですよ」
「上手く纏らない。殿ほどの御仁でもそのような事があるのか」
が言った言葉に、幸村は素直に驚いた。
大抵理路整然と説明をしてくれる彼女の頭脳を、幸村はその人柄と同じように高く評価していた。
そのが纏らぬと零すのならば、よほどのことなのだろうと思っていると
はそんな幸村に苦笑しながら手を横に振る。
「…そんなに頭良くないですよ、私。頭良い風に見せかけるのが得意なだけで」
言って、はふぅっと息を吐いて、茶を啜る。
一口、二口飲んでから、はもう一度、ふぅっと息を吐いた。
「あなた達のことなのに、申し訳ありませんが…
……大丈夫、心配しなくてもすぐ話せるようにしますよ。
あなた方を帰すことで生まれるメリット…利益は
私たちにだってちゃんとあるんだから、隠すようなことはしません」
「いや、殿の冷静な事の運びぶりは
今日一日で確認させていただいているでござる。
殿の良いようになされよ」
「……ふっ……ありがとうございます」
礼を言って笑みを浮かべただったが、その表情には如実に疲れが滲んでいた。
夕餉の時には、ここまで疲れてはいなかったのだから
やはり彼女をこれだけ疲弊させたのは、彼女が知った情報なのだろうが…。
一体、何を知ったのだろうと、幸村が知りたくも恐ろしいような気持ちを味わっていると
がぱちぱちと瞬きをして、何か思いついたような顔をした。
「……ところでですね、真田さん」
「何でござろうか」
応えると、彼女は言いにくそうに少し口ごもり
それから机に頬杖をついてこちらを見た。
「…うーん、ちょっと聞きたかったんですが、
真田さんはの傍には行かないですけど、苦手ですか?」
「ぶっ!!」
直球で来た質問に、幸村は思わず口に含んでいた茶を吹いた。
飛沫が電光に照らされきらきらと舞い、幸村は茶が器官に入ってごほごほとむせる。
「わ、きたなっていうか、大丈夫?!」
「だ、だ、だ、大丈夫、大丈夫でござるが」
「顔面が大丈夫じゃないから。全然大丈夫じゃないから!」
「す、すまぬ」
慌てながら、タオルを取ってきたが、幸村の顔にそれを押し付けて
茶でぐしゃぐしゃになった顔面を拭く。
「………直球過ぎたかな、ごめんね?」
謝りながら幸村を拭いてくれるの身体は非常に近くて、
例えばこれが、こちらに来る前についていた侍女だったりしたならば
幸村は迷わず破廉恥と叫んでいただろうが…。
目の前の女性と、それからその妹を頭の中で比較して
どうという違いは無いのにと、疑問に思いながら
幸村は少し肩を落として答える。
「いや……そんなに分かりやすかっただろうか」
「えぇと…正直ひとっことも喋って無いと思うんだけど、気のせい、なのかな」
拭く手を止めて、が微妙に顔を曇らせる。
「……………苦手?あの子あんなに見えるけど、良い子なのよ。
いや、好き嫌いも苦手もどうしようもないんだけれど、
表面上だけで判断されると、姉としては、少し寂しいというか」
「いや、そういうことではなく」
言いながらしょんぼりと肩を落とし始めたに、
慌てて否定して、幸村は口を詰まらせた。
できれば、言いたくない。
情け無いにも程がある。
周りからは時折戦ではあんなに…と陰口を叩かれ、
女中連中からは生暖かい目で見られ
お館様にも精進せい!と叱られるようなことなのだ。
言えば、失笑されるのではないかという不安が幸村の口を重くする。
しかし、目の前の彼女は不思議そうに首をかしげているし、
こうなれば言わないわけにはいかず。
幸村はしどろもどろになりながら、強張る口を動かす。
「…そ、某、女子は………あまり得意ではなく」
「あぁ…そういう……………え?」
笑われるだろうと。
そう思っていた幸村の予想を裏切り、ごく普通に頷こうとした
しかしその動きをぴたりと止めた。
幸村との距離は、ひどく近い。
少し手を伸ばせば触れ合える距離にいるのに、ごく普通の顔をして居る幸村と
女子が苦手だと、言った内容の乖離に目を瞬いている
幸村はまた、言葉をつまらせる。
これは、あんまりだとは自分でも思う。
佐助に言われるのも当然だ。
しかし。
「えぇと、うそ?」
幸村と自分との間で手を動かし、その距離を測っている
幸村は怒られるのを承知で口を開く。
「……………………佐助には、言うなといわれておったのだが」
「うん?」
殿は、その、女子のような気が、せぬ、のだ」
「………………………」
「す、すまぬ。いや、殿が男に見えるとか、そういう話ではないのだ。
ただ、女子のあの特有の感じがせぬというかっ
どちらかというと、落ち着いた男子と喋っているような……ち、違う、本当に違うのだ」
押し黙ったに、幸村は余計墓穴を掘るような言い訳を懸命にする。
しかしそれは、幸村にとっては本当のことで、
なぜだかからは女の匂いがしない。
こちらを検分してくるような、あの特有の感覚。
熱を帯びた視線だとか、縋るような気配。
肌の露出だとか、男女のあれこれだとかとは別の所で
苦手な何かが、には全く無かった。
それを言い募っていると、がふいにくすりと笑う。
「まぁ、よく言われるから。そんなに気にしないで」
「も、申し訳ない」
「ほんとにいいのよ。そういうの、特に興味ないし。
…それにしても、そっか、女の子苦手なんだ。
そりゃあ、苦手かもね…………………………です。
あれであの子、女の子らしいところあるので」
「そう、なのでござるか?」
ですますが抜けているのに気がついたのか、途中で無理矢理につけたし
言葉遣いを修正したに、やや信じられない気持ちで問いかけると
彼女はためらい無く頷いた。
「うん。まあ、見えないかもしれないですけど」
「……少し」
「正直!」
くすくすとが笑う。
怒られると思ったのに、逆に機嫌が良さそうな
幸村は驚きながらも安堵の息を漏らす。
花よりも鍛錬の方が良いといえば怒り、
外に出たいというから、遠駆けに行けばよいと言えば嘆き
何か話せというから、戦のことを喋ると立ち上がる
故郷の女性達を思い出しながら
女子が皆、彼女のようであるなら楽なのだが。
と、幸村は非常に無茶なことを思うのだった。