―視点 伊達政宗




事情は聞いた。
だが、納得できるかどうかは別だ。
前を歩く女の後姿を見ながら、政宗はそう思う。
前田との戦をしていたと思ったら見知らぬ場所で、
先んじて来ていたらしい真田も、真田の忍も声を揃えて「ここは未来なのだ」という。
shit!狂ってやがる。
が、しかし。
南蛮のものにしても見たことのない家の内装も、家の住人だという女の服も
目にするもの全てが見たことがないのは確かで、苛立ちは募るばかり。
おまけに常ならば、そんな政宗を諌めるはずの小十郎も
今はまた、この状況に苛ついているようだった。
無理もない。
その気持ちを、痛いほどに政宗は理解できる。
前田との戦。
総大将を討ち取り、伊達領へと撤退する最中、ここに飛ばされてきたのだ。
もしも。
もしも、撤退中に織田の軍勢に奇襲を受けたならば。
そうでなくても他の軍勢に、例えば豊臣方に、領に攻め込まれたならば。
大将も、その右腕も居ない、おそらく動揺の最中にある伊達軍がどれほど戦えるか。
薄暗い想像だけが政宗の頭に浮び、その心を波立たせてゆく。
つい頭をかこうと上に手を伸ばすと、髪の感触が掌に伝わってきて
それもまた政宗を苛立たせた。
あの化け物。
あれが原因なのだろうと、真田と忍の言った化け物に
簡単に背後を取られたことも、とっさに兜を外して難を逃れたものの
斬りかかる前に、兜を取られたまま消えられたことも、何もかもが気に食わない。
思わずくそったれと口をついて出そうになった瞬間
「ここが、お風呂」
女が立ち止まり引き戸を引いた。
狭い室内が露になる。
何に使うのか分からない白い箱に、材質の分からないもので出来た鏡台…のようなもの。
室内の中で、籐かごだけが政宗の分かるものだった。
「えぇっと、これタオル。これ髪のタオル。
で、そこで服脱いで、このかごの中入れて」
部屋の隅にあった籐かごの棚から、ぽいぽいと白い布を取り出して
女は政宗と小十郎に投げてくる。
ごわごわとしたそれを受け取ると、女は政宗たちの様子も気にせず
横をすり抜け、白い扉をがらりと開けた。
「で、ここお風呂。今から湯、入れるから」
言うが否や、室内へと入っていって女がちょろまかと動くと
途端にそこかしこから湯煙が上がり、ざぁざぁと水音がしだす。
ぎょっとする政宗たちをやはり気にせず、女は室内を見回すと
よしっという声を上げて。
そこで初めて気がついたような顔をして、政宗たちのほうに意識を向けた。
「……えっとーお風呂分かる?」
「分かる」
「あそ。ならいいんだけど」
言いながら、女の視線が政宗と小十郎の腰を行き来する。
より正確に言うなら、腰に刺した刀を、戸惑うように女は見ている。
「…気になるか?」
「気になるっていうか、それ、本物…だよねぇ」
「刀に偽者も本物もないだろう」
聊か冷たい小十郎の言葉も気にした様子もなく、女は眉間に皺を寄せると
まぁいいかと呟いた。
「気にしても仕方ないし、いいや。
とりあえず、さっきも言ったけど、服脱いで、かごの中入れて。
湯船につかる前にシャワーで身体流してから入って。
で、上がったら渡したタオルで身体拭いてくれる?」
「二人入れるようには見えねぇけどな」
狭い湯殿(らしい)を覗き込むと、女は半眼でこちらを見てくる。
「いや、交代交代ではいればいいじゃないの。
まぁ…入りたかったら入れるよ。父さんと母さんは二人して入ってたし」
「ふぅん、仕事に出てんのか?」
姿の見えない存在を尋ねると、女は少し躊躇った様子を見せる。
その様子を政宗と小十郎が勘違いする前に、女は難しげな顔をしてそっと喋った。
「ううん。もう居ないの。……一月前にね」
「…戦か?」
その、無常さをかみ締めるような様子には見覚えがあって、
思わず問いかけると、女はまずぱちくりと目を瞬かせ
それから困ったような笑いたいような表情を浮かべた。
「……い、いくさ…」
水音に掻き消されそうな声で女が呟いたそれに、政宗は愕然とする。
女の声は、例えば山の中から出たことのない人間に、海のことを問いかけたような
随分と遠いもののことを言う響きだった。
これは、この声は生半に出せるものではない。
横を見ると小十郎も驚愕した面持ちで、女を見つめている。
そこで初めて政宗は、ここが随分と遠い場所なのだと
素直に受け止めることが出来た。
「………いやさぁ、うん。薄々気がついてはいたよ。
リビングの話は聞こえてくるし、そんな格好だし。
だけど、そんな真剣に戦って」
天下を目指して戦っている世界で、こんな声を出せる人間が
まして、こんなことを言える人間が居るはずもない。
……本当に、遠い。
「戦は無いのか」
「まあ、大体六十年ぐらいは」
「一揆は」
「え、えぇ?!そんなのもう何百年も前に遡らないと無い…と思うよ、多分」
真剣に眉をひそめた女の顔に、政宗と小十郎はただ立ち尽くすしかない。
ここはあまりにも、生きて来た場所と違いすぎる。
ざぁざぁと水音がする。
「………………あーもうやりにくい!」
女の背後で、水が惜しげもなく垂れ流されてゆくのを
ただ黙って眺めていると、女が突然ばりばりと頭をかきむしった。
「ほんとはさ、色々言おうと思ってたの、きついこととか!
だって殺されかけたんだよ?文句の一つも言いたくなるってもんじゃないの。
でも戦とかそんなの普通に言えちゃうような人たち相手に
今、あれこれなんて言える訳ないじゃん!!
良い。不問にする!玄関のこととか言わないどく!」
癇癪を起こした子供そのままの様子で言うと、女は政宗たちの横をすり抜け
それからくるりともう一度政宗たちのほうを向く。
「じゃ、どうぞごゆっくり。
肩までつかって、ちゃんと温まってのんびりするといいよ!
でも湯冷めしないように、髪はきちんと乾かしてね!!」
ぴしゃんと扉が閉められて、どすどすという足音が遠ざかってゆくのが聞こえる。
「……あそこまで言ったら、言ったも同然だと思うんですが…」
「……………Certainly(確かにな)」
台風のような勢いで去っていった女の姿に、
政宗は思わず苦笑を浮かべて前髪をかき上げる。
「………小十郎」
「は」
「とりあえず、認めろ。ここは俺達が居た場所じゃない。
戦も無い、実にwonderfulな所だ」
「…そのようです」
「で、だ。俺達がやるべきことは何だ?
不貞腐れることか?それとも知らない誰かに八つ当たることか?
Do not talk about foolishness(馬鹿言うなよ)
一刻も早く帰る手段を探すことだ。Okay?」
にやりと笑って言うと、小十郎はゆっくりと頷いた。
その瞳に先ほどまでの揺らぎが無いのを確認して、
政宗はゆっくりと瞼を閉じる。
…別に、不安や焦燥感が消えたわけではない。
ただ現実逃避を止めるだけの話だ。
(大体下のもんが居る前で、これ以上取り乱したところは見せられねぇしな)
いくら竜の右目とはいえ、家臣は家臣。
政宗は弱気を見せず、伊達の当主らしく振舞わなければならない。
独眼竜は孤独を背負いながらも、その時ようやっと現状と向き合ったのだった。