「政宗様!!」
しかし、小十郎は素早く、そして思い切りが良かった。
動揺している政宗をその腕で突き飛ばす。
政宗は強かに床に身体をぶつけたが、穴からは逃れた。
だが、小十郎のほうはといえば、にたりと笑う化け物に
その腕をつかまれ、引きずり込まれかけている。
「小十郎!」
「くっ…!!」
小十郎は、呻き声を上げ抵抗するが、両方の手が掴まれている為に
身じろぎをするぐらいしか出来やしない。
折角渡された小刀も、政宗を突き飛ばしたときに、の方へ転がってしまっている。
政宗の方も、それは同様で、突き飛ばされたときに小刀は飛んでしまった。
すぐさま届く位置ではない。
「Shit!!」
舌打ちをする余裕もなく、政宗が転がった小刀へと腰を浮かし、手を伸ばす。
怒りと焦り。
浮かべたたちに伝わるその間にも、じりじりと、小十郎の体が穴に吸い込まれていく。
「旦那!」
「分かっておる!」
幸村と佐助が走り出すその前に。
化け物が現れたら逃げろと、言われただろうが、足元に転がった小刀を素早く拾った。
あっという間もなく。
制止する暇も無く。
彼女は拾い上げた小刀の鞘を抜くと
「こっのぉおおお!!」
小刀を構えて、穴に向かって思いっきり突き刺す。
「――――――――――――!!」
穴の中から、音ともつかない叫び声が響いた。
同時に、にゅぶりと、不愉快な水音も。
赤黒く、それでいて紫がかった液体が、ゆらゆらと空を舞った。
「小十郎さん!」
に名前を呼ばれて、はっと気がついた小十郎が穴から腕を引き抜く。
指先まで出たのを確認して、ほっとが表情を緩めたその、刹那。
「あっ!?」
の胸まである髪の毛が、化け物の腕につかまれた。
穴ががばりと広がり、を頭から飲み込もうとする。
だが、そのまま穴が閉じて、の頭が切り落とされることはなかった。
………刺された意趣返しなのか、穴は、じりじりとほんの少しずつ
ゆぅっくりとその大きさを縮めてゆく。
小さく小さく、僅かずつ。
……の頭を切り落とすことだけを、目標に
「ひっ…!」
!」
恐怖に顔を引きつらせるの表情を見て、は堪らず駆け出した。
幸村と佐助の間をぬって、のもとへと駆け寄ろうとするが。
がくんっと、身体をつんのめらせて、はバランスを崩す。
殿!」
幸村の声がすると思った次の瞬間には、床に小刀が突き刺さっていた。
小刀が突き刺さる間際に、混沌色をかすかに視認した
あれのせいでこけたのだと気が付いて、ぞっとする。
危うく引きずり込まれるところだったのだ、自分も。
だけれども、ぞっとしてばかりも居られない。
の方へ視線を移すと、小十郎がの肩に手をかけ
穴から引きずり出そうとしている。
しかし、の髪を化け物が掴んでいるせいで、上手く引きずり出せない。
穴から僅かに覗く化け物の顔が、まるでこちらを嘲笑うかのようににまりと歪む。
「くっ…」
小十郎は呻き声を漏らした。
小刀があれば、髪も切れる。
しかし小刀は、が捕まったときに、穴の中に落ちてしまった。
それでもの身体を離さずに居ると
「小十郎、どけ!!」
小十郎の後ろから政宗が鋭い声を上げた。
その声に小十郎が身体をずらすと、雷撃を纏った小刀が空気を切り裂いて駆け抜ける。
小刀は見事に化け物の顔に突き刺さり、の頭が穴から引きずり出された。
化け物はまたも悲鳴を上げて、穴が閉じる。
それに巻き込まれて、の長い髪の毛が、ばさりと切り落とされ
はらはらと数本が宙を舞い。
………小十郎との体が床に倒れこんだ。
一秒、二秒。
息も詰まるような時間が流れる。
……化け物は、現れない。
現れ、ない。
一分も経った頃。
化け物がいつまでも現れないのに、奴は退いたのだとようやく実感して
は床に倒れこんで、大きく息を吐いた。
怖い、怖かった。
出てきた涙を隠れて拭って、が顔を上げると
を胸に抱きかかえる形で、倒れこんだ小十郎が険しい顔でを見下ろしている。
「………こじゅうろ、う、さん?」
「何を、考えてやがんだテメェは…」
低い、恫喝するような声に、の表情が強張った。
「何を考えてるって、だって、小十郎さんが…」
「だってじゃねぇ。俺は、さっき。ついさっきだ。
テメェに現れたら逃げろと、言ったな?聞こえなかったか?聞こえただろう。
頷いただろうが」
「だ、ま、待ってよ!あの状況で逃げれるわけないでしょ。逃げるなんて」
「それでテメェが死に掛けてどうする!!!
自分の力量を超えた無茶は、馬鹿のするもんだ!!死にてぇのか、っ!!」
「こ、小十郎さんだって政宗相手にした…」
肩をつかまれ怒鳴られたが、声を震わせながら小十郎に反論すると
小十郎は表情も緩めずに言い切る。
「俺は、政宗様の部下だ。政宗様相手に命をかけると誓っている。
だが、テメェはどうだ。テメェが俺達相手に無茶をする理由がどこにある。
自分のことをもっと考えろ、。テメェの姉の気持ちも、だ」
小十郎の言っていることはもっともだ。
政宗に助けられたから良かったようなものの、
のやったことは、川で溺れている人間を助けようとして
自分も川で溺れたようなもの。
やった行為が悪いとは言わない。
むしろ、褒められるべきだが、けれどもそれとこれとはまた話が別で
のそれは蛮勇だ。
そして、それは本人も分かっていることで、は言葉を詰まらせた。
も、庇う言葉を持っていない。
庇いたくないわけじゃない。
のやったことは、分かる。
助けられるのならば、自分だってしたかもしれない。
だけど、それで助けられても、が死んだら助けた相手はどうなのだ。
だから、は小十郎がを叱るのを止められない。
ゆっくり息をはいて見守っていると、黙りこくる
自分の言い分が理解してもらえたのだと思ったらしき小十郎は表情を緩め
「………分かったら、これっきり無茶は」
「……………だって」
俯くに、肩から手を外して小十郎が話を終わらせようとするのを遮って
がぽつんっと、呟いた。
「だって、死んだら、おわり、だよ?」
「…………」
が絞り出した声は、頼りない、小さな子供のような声だった。
普段のそれとは全く違う声音に、小十郎が息を呑んだのが見えた。
「死んだら、もう、会えないんだよ。生きてないんだよ。死んじゃうんだよ。
あのまんま、だまってみてたら、こじゅうろうさん死んじゃって、
おとうさんとか、おかあさんみたいに、いなくなっちゃ……」
ぽろっと、の目から涙が零れる。

「だ、って、おとうさんとおかあさんが死んでも、あたし悲しかったのに。
目の前で死んでないのに、体ぐちゃぐちゃだったのに、
おとうさんとおかあさんかどうかもわかんなかったのに、かなしかったのに。
なのに、小十郎さんが目のまえで死んじゃうの、あたしにだまってみてろっていうの…?
死んじゃうのをぼけっと、ほかのひとが助けてくるのを、
だまってみてろって、みてろって、いうんだ…
ひどいよ…そんなのひど………………ひっぅ……」
耐え切れず、ぼろぼろと泣き崩れるに、以外の全員が呆然とした。
普段の様子から見れば、が泣き崩れるなど予想もしない。
親が死んで一月。
それを気にした様子もなく、ごく平然と振舞う姉妹に、
事実を知っていながらも、こんな風に爪痕が残っているなどとは
来訪者達は誰も予想すらしていなかった。
けれど、考えてみれば、そう。
近しい人間が死んだばかりの者に、再び死が他者に
しかもどのような事情があるにせよ、一緒に暮らしている人間に訪れるのを
ただ黙ってじっと見ていろとは。
そういう意図でないにしろ、なんて残酷な。
無茶を窘めるつもりで言った小十郎は、目のまえでぼろぼろと泣く
言葉を詰まらせながら、彼女の名前を呼ぶ。

「……ぅ……ひっ……く…」
、悪かった」
「こ…小十郎さんは悪くないの…言ってること分かるの。でも、やなの。
しんじゃやだぁ……」
小十郎の服を握って、いやいやとが首を振る。
泣き声を漏らすまいとして、唇を噛むに小十郎が眉をしかめる。
唇が切れる、と指の腹で唇を撫でて、止めるように促す小十郎に
が抱きついた。
ぐずぐずと胸ですすり泣くの身体を抱きしめ返して
小十郎は彼女をあやすように慰める。
その光景を、は胸が痛くなる思いで見た。
はきっと、あんな風には言えない。
ちっとも、遺体を見ても悲しくなかったのを思い出して
は目を閉じて、開く。
化け物は、やはりもう現れない。
勝負は次回に持ち越し、か。
とりあえず、全員、無事でよかった。
壁にもたれかかってため息をつくと、佐助から小声で
ちゃんが落ち着いたら、武器のある下に降りよう、と促されて
は黙って頷いた。