本日も十六時出勤、二十時退勤でござい。
そして、家の中の空気は相変わらずおかしい。
部屋に篭もっている幸村。
主に合わせてか、活動しない佐助。
静観している政宗に、小十郎。
どこか気落ちしている、姉。
………………………日中家にいない姉は良いが、日中家にいるとしては
息苦しいことこの上ない。つーか極まりない。
「ぎ、ぎぎぎぎぎ…」
「変な声上げてんじゃねぇぞ、
居間のソファーに転がって、死にそうな声を漏らしていると政宗に突っ込まれた。
はちらりとすぐ横の政宗を見る。
彼は今日も分厚ーい推理小説を読みふけっている模様。
ちなみに一巻進んでいる。
文体とページ数にそのシリーズを読むことを断念した的には
そんな短期間で読んじゃうか?それ。という心境である。
「…………」
いろんな意味ですごいな、政宗と思って見ていると、
彼はその視線に気が付いたのか、おもむろにの頭に右肘を置き
体重をかけてきた。
「……………」
無言でそれを受け入れて、黙って潰れていると、二階に上がってきた小十郎が
なんともいえない表情を浮かべる。
「何をやっておいでだ、政宗様」
「肘置きに使ってる」
多分、そういう返答が欲しかったんじゃないと思う。
苦々しい顔つきの小十郎に、は思った。
しかし、小十郎は大体常に苦々しい表情を浮かべているな。
………心の中で合掌して、それからはぱたんっと右足を動かした。
左足の方も、ぱたん。
ちらりと時計を見る。
時刻は十時。
出勤まで後六時間。
このまま家の中に居るのは、なんだか嫌だ。
いや、そこまで重々しい空気なわけでもないが、心情的な問題で。
こう……家の中に居るとくさくさするというか、なんというか。
はよしっと一つ頷いて、政宗の肘を乗せたまま二人を見上げた。
「そうだ、植物園に行こう」
「は?」
「だから、植物園に行こう」
ソファーを叩いて誘いをかけると、政宗はを見下ろした後
小説に視線を移して、それから更に小十郎へと移動させる。
「小十郎、行って来い」
「は、政宗様は」
「俺はこれがある」
「…………」
物言いたげな表情を浮かべて、小十郎が政宗を見る。
しかし政宗は意に介さぬ顔で、小十郎に
を一人で野放しにするわけにはいかねぇだろうが。
かといって、今の真田の様子も気にかかる。
なぜなら俺は真田に借りがあるからだ。借りを返す機会は逃したくねぇ。Okey?」
元の場所まで持ち越したくねぇんだよ。と、いう彼の言葉の意味はには分からない。
というか、前半の台詞は聞き捨てならなかったのだが、気のせいか?
ただ、小十郎は納得したようで頷くと、に向かっていつから行くんだと問いかける。
それにはもう一度ちらりと時計に視線をやって「十時半」と、簡潔な答えを返した。


「すいません、大人二枚」
「二千四百円になります……ありがとうございます」
植物園の受付でチケットを買う。
受付のお姉さんの目が、こんな平日の昼間からデートかよ、死ねといっていたが
残念。保護者と被保護者で、そんな色っぽい関係ではない。
残念だったな。
と、思いながら小十郎の元に戻ってチケットと一緒に貰ったパンフレットを差し出すと
彼は黙ってそれを受け取った。
「植物園ってのは、何をするところだ」
「えっと、いろんな植物が植えられてる。世界の植物、みたいな」
「………もういい。なんとなく分かった」
人に説明を求めておきながら、の足りない説明に小十郎は頭が痛そうだ。
あたしに説明を求める方が間違いじゃない?
貰ったパンフレットに説明が書いてあるはずなので、とりあえず
該当箇所を探して、小十郎にそれを差し出す。
彼はそれを受け取ると、納得言ったような顔をした。
…最初から、パンフレット見れば良いのに。
それがなにかも分からない人間に向かって、無茶を思いながら
人の居ないゲートをくぐって中に入ると、
棚段になった花壇のそこらかしこに花が咲いているのが見えた。
「冬なのに、いっぱい咲いてるねぇ」
「見たことねぇ花が多いな」
「そりゃあ、植物園ですから」
日本に自生してない花だって、たくさんありますとも。
というか、それをいうなら庭の花壇だって、小十郎たちが見たことない花で一杯だ。
横文字の花しか、基本植えてないからねぇ。
日本の花でも植えるか?とも考えるが、考え付くのは木の花ばかりだ。
山茶花とか、水仙とか、千両とか?
ひねり出した花・植物たちを思い浮かべてみるが、どうも馴染みが薄い。
日本人なのにねと、パンフレットを眺めつつ思って
は順路を指差す。
「小十郎さん、こっちから回る」
「ああ」
バラ園・ハーブ園・熱帯の植物ゾーン。
多種多様な植物のあるこの園は、回りきるのに二時間はかかる。
帰りの時間なども考えると、ぼーっとしているよりも回らなくては。
蔦植物が這わされたアーチをくぐりながら、まず第一ゾーンであるバラ園へ向かう。
冬は冬なりに、どこも花が咲かされているので、たおやかに咲き誇っている植物を観覧しながら
と小十郎は植物園を見て回った。
沼の植物のコーナーで、冬のくせに飛び回っている蚊に刺されてみたり
近くを飛び出してきた蜂に驚いてみたり、植物と虫の切っても切れない関係に
笑ったり怒ったりしながら、半分ほど見て回ったところで
はそれにしても、と小十郎に話しかけた。
「それにしても、小十郎さんが付いてきてくれるとは思わなかったな」
「テメェが誘ったんだろうが、
「え、でも政宗来ないって言ったじゃん。だから、じゃあ小十郎さんも来ないかなって」
思ったことを正直に言うと、小十郎は眉をひそめる。
「いつもいつも、政宗様のお傍にいるわけじゃねえ」
「そりゃそうだけど、長時間は空けないじゃない?」
言うと、一瞬ピクリと眉が動く。
気が付かれてないとでも、思っていたのだろうか。
はそんなに馬鹿じゃないし、姉も無論気がついているだろう。
そういうとこ、いつまで経っても舐めてるよなぁと
どうにも姉妹の観察眼を、軽く見すぎな異訪人達には口を尖らせる。
「テメェから目を離すのは不安なんだろ。政宗様も、俺もだ」
それぐらいは、気が付くよ。
さすがにねぇと、黙っていると、小十郎がぼそりと口を開いた。
その言葉に、は思わずえぇっと声を上げる。
「……どんだけ信用ないの、あたし」
「本屋での一件、忘れたとは言わさねぇ」
「あは、はは。でもあれ。うん、控えないとなとは思ってんだってば」
「ほぅ?」
今度は眉を上げた小十郎の顔が、信用ならねぇなと語っていて
は口元を引くつかせた。いや、真剣にそう思ってるんだって。
「あのさ、ほら。最近道場通えてないから。
鍛錬もしてないのに、そんなしゃしゃりでてたら怪我するから。
一応それぐらいは弁えてるから」
本心では通いたいが、これだけ時間にばらつきがあると中々行こうという気になれない。
というか、家から出るのが億劫になる。
いかんなぁとは思いつつ、は就職してからこっち絶賛引きこもり中だ。
そんなだから、自分でも大分腕が鈍っているのは感じているし。
二桁単位で瞬殺できていた昔のようにはいかんだろうと、拳をぎゅっと握る。
「我慢できるかどうかが問題だろ」
しかし、次の小十郎の言葉がもっともすぎて、はははとは笑った。
「そこはほら…そろそろ大人にならないと」
いや、真剣に。
力で解決するだけが、解決法では無いだろう。
例えば運動が苦手な姉なら、違う方法で解決するだろうし。
例えば店員呼んできたり警察呼んできたり。
……出来るかなぁと、堪え性のない自分の性格を考えて
それから、それでもやらなければと、思いなおす。
怠けて衰えてゆく力を当てにして、いつまでもやんちゃしていたのでは
前々から姉に言われている通り、いつか怪我をしてしまう。
「卒業ってことよね」
「そうしろ。政宗様も、テメェのことは大分気にかけていらっしゃる」
危ないことはするなと、言う小十郎の台詞に含みを感じて、はぴたりと歩みを止めた。
小十郎もまた、そのの動きに歩みを止める。
「………………随分含みのある言い方するけど。
小十郎さんが心配してることは、あたし分かるかな」
……………それはそれはまた、勘ぐりすぎな考えで。
十中八九当たっているだろう、自分の勘を確信しつつ、
そこは政宗との友情に賭けて否定しておこうと、は口を開く。
「何がだ」
…答える小十郎の声は素っ気無い。
表情は見ないけれども、おそらく動揺は欠片も出ていないのだろう。
それに肩をすくめながら、は真っ正直に言葉を紡ぐ。
「誤魔化さなくたっていいのに。あたし、政宗のことは好きだけどそういう好きじゃないし。
政宗もあたしのこと多分結構好きだけど、そういう好きにはならないよ?」
そうして、言い終わってくるりと、振り返って後ろを見ると
小十郎は、初め動揺の欠片もない表情を浮かべていたが
ひらすらに見つめていると、やがて苦々しい顔つきに変化する。
「…勘か?」
「勘だよ」
にこりと、笑って言うと小十郎は自分の頭に手をやって、髪の毛をくしゃりと掴む。
「…かなわねぇな。勘が鋭いにも程があるだろう」
「そうかな、よく言われるけど」
分かるものは、分かるのだから仕方あるまい。
あはっと笑って誤魔化して、は再び歩き始め、同じく歩き始めた小十郎の横に並んだ。
しかしそれにしても、そんなところまで気を配らないといけないなんて…
「やっぱり政宗って、お殿様だから自分で恋愛とか出来ないの?」
「……絶対に出来ねぇってわけじゃねぇが、口うるさいのが居ることは確かだ。
それに、今の世じゃ、婚姻も重要な政治の道具。
政宗様も、それは分かっていらっしゃるはずだ」
本当に、政宗がこうと決めたのであれば、小十郎は反対派には回らないが。
そうでない人間も大勢いる。
国を統べる立場にあるのだから、当然だが。
「……あー…あー…偉い人は大変だねぇ」
その小十郎の説明には、的に、言いたいことは色々とあるけれども
言うのはルール違反というものだ。
も、政宗たちの世界の常識には口出ししない。
彼らも、この世界の常識に口出しはできるだけ控える。
常識の違うもの同士が上手く折り合いをつけるための、暗黙の、家のルール。
だから、言葉を飲み込んで、は笑う。
「偉い人は大変だねぇ。でもまぁ、勘だけど」
「良く当たる勘か」
「そう、そのよく当たる勘で言うけど、政宗がもしも誰かを好きになってしまうなら
ほんとに普通の子を好きになる気がするなぁ。
優しくて、普通の感性を持ってて、ごくごく普通の、そこら辺に居るような子。
いいお母さんになりそうな感じの」
「………母親、か」
呟いた小十郎の声からは、どう彼が思っているのかは分からない。
政宗に、痛々しい傷を残したままの、彼の母親に対して
この小十郎という男が好感を抱いているとも、には思えなかったが。
小十郎さんはとても、政宗の事が好きよね。
主思いの部下の顔を見ないまま、はこくんと、頷いた。
「そう。たぶんねぇ、政宗も、求めてるものを恋人に欲しがると思うのよ。
だから、勘だけどそういうタイプかなぁって」
「求めてるものといったな、。政宗様から何か聞いたのか」
その、の言葉に隣の小十郎の気配が変わる。
鋭いものを含んだ声に、は小十郎の顔を見上げ、答えた。
「ちょこっとさわりだけ。小十郎さんは詳しいこと知ってるんだよね」
「まぁ、それなりにな」
「大丈夫だよ、聞こうと思ってないし。
大体聞きたくないかなぁ。他人のでも、そういう話は痛いでしょう?」
警戒する様子の小十郎に、は笑う。
人の痛い話は嫌い。
それが親に関する話なら特に。
親に関する話は自分のことだけで手一杯です。
情けないことを考えていると、小十郎がふと訝しげに眉をひそめた。
「も、とも言ったな」
……あら。
失態に、は唇を指で押さえる。
うっかり口が滑ってしまった。
しかし、口をついて出た言葉は今更戻せやしないので、
何気ない風をしながら、は言葉を肯定する。
「言ったねぇ。…政宗は、多分母親の役目をどっかで恋人に求めそうな感じするけど
あたしは父親をどっかで、恋人に求めると思うのよね。自己分析だと」
「……………何があったのかは、聞かねぇが」
「うーん、まぁ、大した話でもないんだけど」
言葉を濁すのは、あまり語りたくないからだ。
両親については、の中ではいまだ決着の付かない問題で
他人に話せるようになるには、まだしばらく時間がかかる。
どうしても気になるなら、お姉ちゃんに聞いてください。
心の中で姉に嫌な役を押し付けつつ、は誤魔化しもかねて小十郎の懸念を否定する。
「とりあえず、眼帯買いに行ったときに、こういう話して
ある程度相憐れむ的な空気は生まれたから、絶対そういうのないと思うの。
これは百パーセント自信を持って言うけど」
「………十割って意味だったか?」
「あ、そか。ごめんごめん。十割。
大体、あれよ。そういう意味で言うなら、あたし小十郎さんのほうがいいな」
なにげなく言ったとたんに、小十郎側の空気がびしりと凍りついた。
なぜ、そんな風になったのか分からず、ゆっくり小十郎へ視線を向けると
彼はなんとも心中複雑。と書いてあるような顔をしている。
「…………………俺は、今こなかけられてんのか?」
「いやーそういう意味でもなくなくなくなくないというか」
「結局どっちなんだ」
言われては、ないかなと微笑んだ。
は、いずれ居なくなる人間相手に、期間限定の恋をするのは嫌だ。
好いた相手とは、ずぅっと一緒に居たい。
は刹那主義では無いので、小十郎の問を明確に首を振って否定した
好みの相手では、あると思うが。