は朝の空気を胸に吸い込んで、つめたっと零す。
変則的なシフトにももう慣れた。
少しばかり給料は安いが、仕事の内容を考えればそれほどではない。
がやっているのは、外の警備でなく、ビルの警備室に詰めて
時々見回るだけの簡単な仕事だ。
退屈では、あるけど。
誰一人も歩いていない朝の街を歩きながら、ははぁっと自分の吐いた白い息を眺めた。
車を停めている駐車場まではあと少し。
凍える指先をこすり合わせて、は駐車場までの道を歩いた。
家に帰ってみると、姉の靴が無い。
「あれ」
思わず玄関で立ち止まっていると、背後に気配を感じては振り向いた。
「あ、小十郎さんだ、おはよ」
「ああ。よく帰ったな。なら出かけてるぞ」
「あ、あー…どこに?」
「甘いものを食べに行くんだと」
「なるほど」
「朝飯は作って行ってるぞ。風呂も入ってるが」
「起きてから食べる。起きてから入る」
「そうしろ」
頭の上に、ぽんっと手が置かれる。
どうも、この人には子ども扱いをされているような気がするが
まぁ、仕方が無い。
はそういうキャラだ。
いつのまにか、妹・子供ポジションを確保している自分に
悲しみを感じながらも、とりあえずは靴を脱いで家に上がる。
小十郎はそのまま洗面所のほうへ行くかと思ったが
の横を通り過ぎたところで、ふと立ち止まり
「俺が行くまで、寝るんじゃねぇぞ」
言って、すたすたと歩き出す小十郎の言葉に
見えないながらも頷いて、は寝室へと向かった。
一人で寝かせないでくれるのだから、本当に人が良い。
夜勤で帰って来た時には、誰かしら寝室にいてくれるのだから
ありがたいというか、申し訳ないというか。
とりあえず、夜勤シフト減らしてもらおうかなぁ。
今月は確定しているから、とりあえず来月から。
会社の方に掛け合ってみようと思いながら
敷かれた布団に倒れこむ。
まだ制服のままだが、替えはある。
洗濯してアイロンかければいいやぁ。と思いながら
はうとうとと眠りに誘われかけたところで、踏みとどまる。
小十郎を待たなくてはいけない。
ぎりぎりの淵で踏みとどまること、しばらく。
ようやく寝室の扉が開き、小十郎の足が見えたところで
は躊躇わずにその意識を手放し、眠りに落ちた。
すぅっと、寝息を即座に立て始めた女に、小十郎は呆れを隠せなかった。
女が男の前で、そんなに無防備に寝るものではない。
大体がこの姉妹は、無防備すぎる。
これが落ちてきたのが自分や、主である政宗、真田主従だったから
良かったようなものの、無法者だったらどうしていたというのだ。
いや、自分たちだとて、男なのだ。
何かの拍子に、「なにか」があったらどうするつもりだ。
小十郎は、眠るを見つめる。
これで醜女であれば、そういう心配もしていないのだろうと納得もできたが
はすこぶる可愛らしい顔をしていた。
のほうも、と比べればやや地味ではあるが、それでも整った顔立ちをしている。
まぁ、女という空気ではないが。
どうにも性別というものを感じにくい、目の前の女の姉を思い浮かべて、つい思考が逸れる。
あの、真田幸村が女を感じず、ごく普通に付き合えるというのだから
あれはあれで貴重な逸材であるだろう。
見た目はごく普通だというのに、どこか捩れた優しい女を
脳裏に浮かべながら、小十郎はへと視線を戻す。
彼女は実に安らかな顔をして寝ている。
顔だけ見ていると、とても二十一には思えない。
せいぜいが、十六・七だろう。
政宗様も完全に年下扱いをしているようだしなと、
昨日も散々からかい、いじめたおしていた主の姿を思い起こして
小十郎はそれはそれでまた、頭が痛くなる。
どうして気に入った人間は、からかわずにはいられないのだろう、あの方は。
性格の問題だと分かっていながら、ため息をついついつく。
勢いがあるように見えて、思慮深く、それでいて弁えた出来た主ではあるが
年相応な一面も持ち合わせている。
「仲が良いのは良いこと、だがな」
ぽつりと呟いた言葉には、含みがあった。
杞憂だとは分かっている。
しかし、男と女だ。
いつ前田の風来坊がよく言うような愛だの恋だの、
そういう感情が起こっても、不思議は無い。
特に、主はこの女のことをいたく気に入っているようであるし。
小十郎は無粋は嫌いだ。
しかし、臣下として、言わなければいけない時もある。
政宗が伊達家当主である限り、昨日のように。
昨日の事にしても、「政宗」が、「自分から」作業をするといえば、小十郎は止められなかっただろうが
「」が、「大した理由」もなく「政宗」を農作業に誘ったのだから、止めねばならなかった。
これが、の部分が、例えばこの間起こった一揆を率いていたいつきという少女だったのだったら
もしくは伊達の領民であったのならば…
まだ、小十郎も強くは止めなかったのだろうが。
一番上に立つ人間が、誰とも知れないものに、どうともつかない、暇そうだから、などという理由で
やるべきでないことを、やるべきでない。
「誰」でも、「理由」でも、どちらかでも揃えば、止めなくてもすんだが
生憎、そうではなかった。
政宗様が分かっていらっしゃるのが救いだが、自分が土いじりを止めるとは、何たる矛盾かと
小十郎は自嘲の笑みを浮かべる。
「ん……」
「……おい」
その、絶妙なタイミングでが寝返りをうち、小十郎はきつく眉間に皺を寄せた。
寝入った彼女の背中が、服がずり上がりむき出しになったからだ。
「もう二十一なんだろうが。しっかりしろ」
本人に聞こえない小言を言いながら、小十郎は布団をかけなおしてやった。
全く、世話の焼ける。
どうにも世話を焼かせる、焼いてしまう女に、小十郎は娘が出来たらこういう感じかと考えて
それから、自分で思ったことに自分でへこんだ。
…娘という年でもないだろう。
まだ二十九のはずなのだが、すっかり保護者の思考が身についている自分が
小十郎は、非常に物悲しかった。
(それもこれも、弁えているくせに、行動してもよい部分では
必ず飛び出してくれる主のせいなのだが、小十郎はあえてそこからは目をそらした。)
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