あの後暫く、佐助と二人で飲んで。
酒が尽きたところで、相談会もお開きにして
手伝おうかという佐助を断り、一人後片付けをしていたは
ふと、窓の外、竹林の方がちかりと光ったのに気が付いて
窓の外を覗きこんだ。
「………」
無言で目を細め、光った方へと目を凝らしていると、やはりちかり、と光が瞬く。
その光は赤色をしていて、はふと、先日見た幸村の炎をその色に思い出す。
……どうしようか。
間違ってるかもしれない。でも、そうかもしれない。
は缶を入れたビニール袋の口をきゅっと縛りながら、一瞬迷って
それから手を洗い、タオルで手を拭いて、急いで玄関へと向かう。
違ったなら違ったで良い。
けれどもそうであるのなら、相談したこの勢いのまま話をしてしまいたい。
どうか、そうでありますように。
祈りながら靴を履いて、玄関を飛び出す。
コートも何も羽織ってこなかったから、身を切るような寒さがを襲ったけれど
は上着をとりに帰ろうともせず、まっすぐに竹林に向かって走った。
「…見間違いじゃない」
竹林のなかに、光が見える。
赤い光だ。
その光の判別がつくようになったところで、は走るのを止めて歩調を緩める。
赤い光は、やはり勘通り、幸村の炎だった。
幸村は真剣な顔をして、槍に炎宿らせたまま振り下ろし突く。
現代の服を着たまま、武器を振るう幸村のその姿には
酷く違和感があって、はやはり帰らせないといけないと漠然と思った。
彼は、戦の世に生きる人間だ。
「誰だ!!」
が、そう思った瞬間に、鋭く幸村が声を上げこちらを向いた。
見たこともないような、びりびりとした気配を纏う幸村に
は一瞬息を呑んで、それから手を上げて幸村に声をかける。
「です、幸村さん」
「……殿?」
「…近づいても、いいですか?」
戸惑った気配の幸村に問うと、彼は数瞬迷った後、首を縦に振っての問に肯定を示した。
は、ゆっくりと近づいて、幸村と、少し離れた場所で、止まる。
話がしたいのに、逃げられてはたまらない。
真っ赤になってギクシャクとする最近の幸村の様子を、思い出しながらがそこで止まると
幸村が「もう少し近づいても大丈夫でござる」とに声をかけた。
「…今は暗くて顔が良く見えぬゆえ…」
躊躇いがちにかけられる声に、今度はが迷った後、二歩、前にでる。
ごく普通に向かい合う距離に近づいても、幸村は彼の言葉どおり
顔を赤らめる様子はなかった。
「暗ければ、大丈夫。みたいですね」
「そのようでござる…」
会話は、ぎこちなかった。
しかし、そのぎこちなさはこの数日のものとは違い
二人してお互いに言いたいことを言うタイミングを探り合っているぎこちなさだ。
どういう風に、言えばよいのだろう。
何も考えずに、勢いだけで珍しく飛び出してきたのはいいものの
どう切り出すか、全く考えていなかった。
どういえば、良いのだろう。
話を聞かなくてごめんなさいだとか、そういう切り出し方でいいのだろうか。
どうしたら、ちゃんと話ができるようになるのだろう。
思って迷っていると、先に幸村が口を開く。
「………破廉恥なことを、申しても、よろしいだろうか」
「……どうぞ?」
許可を出したのは、幸村が幸村であるからだ。
彼の破廉恥は破廉恥じゃない。
幸村の顔を見上げて、次の言葉を待っていると躊躇いがちに、彼は口を開く。
「手を出してくだされ」
その、他愛ないお願いは、やっぱり破廉恥ではなかったけれども
はそこには触れず、黙って手を差し出す。
すると、幸村はそのの手へ、顔を赤くしながら自分の手を重ね合わせた。
夜の寒々しい空気に、長時間晒されていた幸村の手は冷たく
ひやっとした感触には肩を震わせ、黙って耐える。
しかしすぐにの体温は奪い取られて、冷たいのも良く分からなくなった。
ざらざらとした固い感触の、幸村の手へは視線を落とす。
固い肉刺の感触だとか、所々が異様に固い皮膚だとかは
幸村が武人なのだとに改めて感じさせ
大きな、一回りも二回りも違う大きさの彼の手は
彼が男なのだと、に教えた。
それは、彼も同じようで。
の指先だけが少しだけ固い、柔らかな手。
自分よりも、一回りも二回りも小さなそれを暫く見た後、ぽつりと言葉を零す。
「やはり、違うな」
「…………」
「殿の手は、女子の手だ」
なにを今更とは思わない。
幸村は、を女子だと思っていなかったから、今まで普通に話してくれていたのだ。
その認識が改まってしまったことを、はやはり寂しく感じる。
ぼんやりと、いやだなぁと考えていると、再び、幸村がゆっくりと口を開いた。
「…申し訳ないとは、思っておるのです。
ここ数日の某の態度は、決して褒められたものでは、いや叱られて当然でござった。
ただ、某何をどうやって、殿と話しておったのか」
「………分からなく、なってしまいましたか?」
「情けないながら」
見上げた彼の顔は、本当に情けない顔をしていたけれど
は笑うような真似はしなかった。
彼は真剣に悩んでいる。
…ただ、から言わせてもらえれば、それは非常に簡単な問題だ。
「佐助さんや、政宗さんや、小十郎さんと話すみたいな態度で
幸村さんの、好きなことを話してくれれば、いいんです。
なんでも、いいから」
なんでもいい。
なんだって、いい。
そんな考え込んでくれなくったって
天気の話でも武具の話でもいい。
それを素直に告げると、幸村は探るような目でを窺う。
「例えば、甘いものの話でなくても。
戦の話でも良いのだろうか。某、他には何も知りませぬ」
「はい。お聞きします」
「呆れた顔は、しませぬか?」
「しませんよ。だって、話してくれるんでしょう?
幸村さんのことでしょう?誰もしやしませんよ、そんな酷いこと」
首を振って強く否定する。
「…某、女子が苦手なのは、扱いが分からぬせいもあるのです。
何か話せというから、戦の話や馬の話をしても、呆れた顔をするばかりで
それなのに何をして欲しいのかと問うても、何もと言う」
「幸村さんにそうした人は、私じゃないです」
首を振って更に、強く否定する。
そんな失礼なことをしたのは、じゃない。
…聞いてあげればいいのに。
戦の話も馬の話も、きっと真剣に幸村は話してくれる。
………聞けばいいのに。
もう一度繰り返し思ってから、は自分の吐く白い息を見た。
かじかみ始めた指先の冷たさを感じていると、幸村もまた白い息を吐く。
「…そうでござるな。失礼なことを言った」
「いいえ」
静かな彼の声に、ほっと一息をついていると
幸村はいきなりがばりと、に向かって頭を下げた。
「風呂場を覗き見た事、改めて侘びを申す。
申し訳ござらん」
屈んで頭を上げるように促すと、彼の表情は真っ赤な困り顔に変化していて
その表情の変化の早さに、は緩く笑った。
「いいんですよ、心配して見に来てくれたんでしょう?」
「それはそうでござるが、破廉恥な考えを抱いたことに代わりは…」
「破廉恥?」
「いえ、何でもござらぬ」
今度は真っ赤なのは変わらず、しかし焦り顔になる幸村に
は吹いてしまいそうになるのを堪える。
どれだけ、顔に素直に出るのだろうこの人は。
…発言の内容については、まぁいい。
不問としよう。
せっかく元に戻ろうとしているものを、
自分の手で叩き壊すような趣味はにはなかった。
幸村は若い。
女の裸を見れば、そういう気持ちになることもあるだろう。
例えそれがの身体であっても。
自分の身体を見下ろして、それからは幸村に
「とりあえず、寒いから家に帰りましょう?」
と促した。
これ以上このままここにいたら、二人とも風邪を引いてしまう。
寒々と手をこすり合わせるに、幸村も頷き
二人で連れ立って家に向かう。
その途中、はこれだけは言っておこうと思って、幸村を見上げた。
「ね、幸村さん」
「なんでござろうか」
「ところでどうでもいい事なんですが」
「はい」
「私、幸村さんに避けられてとても寂しかったので」
「は」
「できれば今後は、こういうことはないようにお願いしますね」
言い切ったあと、はほんのりと頬が染まるのを感じる。
こういうことを言うのは、恥ずかしい。
それでもいつも言いたいことを飲み込むのではなくて
たまには口に出すのもいいだろうと、佐助に言われて思ったので。
「あ、あぅ…」
「幸村さん?」
しかし、他意なくそれを言い切ったは、
その言葉が、相手の耳にどう聞こえるのかなど全く考えてはいなかった。
この辺り、まだまだ彼女が年若い証拠だが
考えてないものは気付かない。
よっては、幸村がの言葉に呆然とした後
真っ赤になってしゃがみこんだのを、不思議に思って首を傾げる。
「いや…なんでも。何でもござらん」
ギクシャクとした動きで、口元を手で覆いながら
幸村が立ち上がる。
「え、いや…なんでもないようには」
「某の修行不足が原因なのだ。気にしないで下され」
「は、はぁ」
叱ってくだされお館さぶぁあぁあ!!と、以前が言った言いつけを守って
声を落として器用に叫ぶ幸村を、はただ不思議に思って見ているしかなかった。
とりあえず、普通に喋れるようになったのだったら良いのだけれども。
明るいところでもう一度話をしてみようと思いつつ
はいつまでも吼えている幸村を前に、寒さに震えながら腕を擦った。
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