幸村との関係がぎこちなくなってから三日目。
今日は一度も会話をしていない。
しかし、風呂に行こうと思ったらばったり幸村とあって
彼は顔を真っ赤にしながら、黙って横を通り過ぎた。
の顔も見ず。
状況は、変わらず。
とりあえず、そんな中では佐助に助言を求めることにした。
何とかしてもらおうとは思わないが
とりあえず、これ以上微妙な空気を二人で醸し出していては
周囲にもそれが伝染するかもしれない。
それならば、幸村の部下で、中々親しそうな彼に助言を求めるぐらいはいいだろうと
はそう考えたのだ。
…分かっている。逃げだ。
どうにも長期戦にもつれこみそうな気配のするこの問題に、
が耐え切れなくなっただけの話だ。
いっそ幸村に触れないで置けばいいだけの話だが、それはが気持ち悪い。
家においている以上は、それなりに和やかな関係でありたい。
仲が悪いのなんて、両親とだけで十分おなか一杯だ。
ここ二年ほど口も聞いていなかった両親との関係を思い出して
は無言で眉間に皺を寄せた。
…とりあえず、そういうわけでこれ以上仲が拗れるのだけはごめんこうむりたいのだ、は。
は夕食後、全員が解散したのを見計らって、佐助の部屋の扉を二度ノックした。
「はいはい?」
すると佐助はすぐに部屋から出てきた。
彼は部屋をノックしたのがだと分かると、いささか驚いたような表情を浮かべたが
は黙って彼を手招く。
佐助はの用がなんとなく分かったようで、招かれるままにの後をついてくる。
は無言で二階に上がり居間を通り抜け、キッチンの冷蔵庫の扉を開けた。
「………どうぞ。お座りなってください」
「はいはい」
がさりと、会社帰りに買ってきた袋を冷蔵庫から出し
食卓の前に座るよう佐助に促して、もまた食卓の前に座った。
そうして、袋の中から、缶ビールとカクテルとカップ酒とつまみを机の上に置き
それから佐助に向かってスイートポテトを差し出す。
「……佐助さん、お酒と、山吹色のお菓子でございます」
「それ、本物のお菓子でしょ。山吹色のお菓子は黄金の小判だからね。
ちょっと似てるけど違うからね」
「…分かってますけど、賄賂ですよ」
「賄賂、賄賂ねぇ。俺様甘いもの嫌いじゃないけど
ちゃんとか旦那みたいに病的に好きってわけじゃないのよ」
受け取りながら言う佐助に、は困って彼を見る。
それは知っているが…。
「だって、それぐらいしか思いつかなかったんですよ。
それで駄目なら、今度佐助さんの好きなご飯作りますから」
「安い。っていうか、ちゃんの持ち札ご飯関係だけなの」
言われて考えてみるが、が出来ることといったらそれぐらいしかない。
がこくんと頷くと、もっと他にもあるでしょと佐助は呆れた調子で言った。
………ない気がする。
「まあ、いいや。とりあえず、俺も置いてもらってる立場だしね?
家主の相談事ぐらい聞いてあげるよ。
で、旦那の件?」
「話が早くて助かります。………どうにかしてくれとは絶対言いませんけど
私がどうにかできる方法ありませんか」
真剣な顔で言うと、佐助は少し眉間に皺を寄せる。
「俺様にどうにかしてくれって、言う相談じゃないの?」
「いえ、それは全く。デリケートな相談事ですし
大体こういうものは、他人にでばられると拗れるものと相場は決まっています」
「なるほどね。そりゃそうだ」
頷いた佐助は、机の上の酒に手を伸ばし、それからぴたりと動きを止める。
「どうかされました?」
「いや、これどうやって開けんの?」
「あぁ」
開け方が分からなかったらしい彼に、とりあえずカップ酒の蓋を開けて
手渡してやると、佐助はくいっとカップをあおる。
一気に半分ほど減った中身に、もう一つ開けてやる。
「で、どうしたらいいでしょう。
近づいても駄目だし話しかけてもあれだし、空気がおかしいし。
とりあえず、家の中の人間と、仲が拗れるのは避けたいんですが」
「え、でも、あれでしょ。両親とは不仲だったんでしょ?」
言われて、は佐助の顔を見る。
彼はごく平然とした顔をして、を見ていた。
…………とりあえず佐助は、ちょくちょく
人となりを試すような言動をとるのは止めて欲しい。
「今疲れてるんですよ、人格調査は他のときにしてください、佐助さん」
「疲れてるからやってるんでしょうが。
っていうか、こういうの気が付かれると台無しになるから
出来れば気がつかないでくんない?俺様ただの嫌な人になっちゃうでしょ」
「いや、もう十分に」
は缶ビールを開けながら否定する。
気が付いても付かなくても、今の佐助の発言はただの嫌な人だ。
そりゃあ、人が言われて嫌なことをいったときに
その人の反応である程度の人となりは測れるだろうが。
くいっとあおって、が佐助を眉をひそめながら見ると
彼はカップ酒を片手にの言を否定する。
「気が付かれなかったら俺様の中でのちゃんの人格調査だけど
気が付かれるとそうじゃないでしょ」
言われて、それはそうだとは思ったが
やはりこちら側からすると嫌な人というのには、変わりない気がする。
「…しかし、佐助さんの調査も続きますね。
この間のあれで、一応終わりだと思ったんですけど」
「そんなわけないでしょ。ちゃんと旦那に縁がある限り
俺の調査は続くよ。当たり前でしょ。
主に危害が加わる可能性を調べるのも、忍びの役目だよ」
「…お仕事お疲れ様です」
人を疑うというのは、には中々にしんどい。
佐助がしんどいかどうかは別にして、は酒の缶を一本佐助に差し出した。
それから、もう一口ビールに口をつけて、はふぅっとため息をつく。
「いやね、そりゃあ両親とは不仲でしたけど。
それはまた別の話で。
というか、正直ですね、家の中で仲が拗れるのなんて、両親とだけで十分です。
どうして、家に帰って来てまで疲れないといけないんです。
和やかにしてたいんですよ、家では」
「ま、だよね。悪いね、ちゃん」
ほんの少しだけ、佐助の眉が下がったのに、は黙ってビールを飲んだ。
嫌な人間でなく、嫌な役割をしている人間を怒る趣味はには無い。
お仕事でしょう?と返して、もう一口ビールを飲むと
佐助はため息を何故かついた。
「……ちゃん、怒られた方が楽なときもあるって、知ってる?」
「知ってますけど…怒るが嫌いというか、怒りどころがどこか分からないので」
眉間に皺を寄せて言うと、佐助も眉間に皺を寄せる。
「…難儀な性格してるよね、本当」
……実に失礼だ。
さすがに睨みつけてやると、佐助はふっと笑みを浮かべた。
反応が分からない。
半分に減った缶ビールを置いて、つまみを開けると
佐助がおもむろに、でもさぁと口を開く。
「でもさ、旦那とちゃんって、風呂の時の話も
旦那が帰ってこなかった話も、旦那が態度おかしい話も
膝突き合わせてはしてないんでしょ?」
「まあ、そうですね」
は、素直に頷いた。
「しかも怒ってないんでしょ?」
「はい」
「それじゃ、旦那も自分の主張は出来ないよね。
それは良くないんじゃない?」
「………そうですね」
考えてみれば、は幸村の言葉を聞こうとはしていなかった。
ただ自分勝手に、許すと決めて、自分勝手にそれを示しただけだ。
本当は、幸村が飛び出して帰ってきた朝。
あそこで嘘でもいいから怒っておけばよかったのかもしれない。
多分はあそこで、感情を剥き出しにするエゴを押し付けない
という自分のエゴを、幸村に押し付けたのだ。
真剣に考え込むに、佐助はふっと優しい目を向けて
「………話してみたらいいんじゃない?
部屋の中かどっかに閉じ込めて、逃げられないようにしてさ。
案外膝突き合わせて話してみりゃ、あっけなく元に戻るかもよ」
さらりと言った佐助に、はつまみを差し出して酒類を全て佐助の方へと押し出す。
「…え、何その反応」
「ありがとうございます。やってみますという、お礼の気持ちです。
お受け取り下さい」
「え、えぇー。こんなので、っていうか、こんだけでよかったの?
もうちょっと『でも』とか『そんなの』とか」
「佐助さん…普段どれだけ相談されてごねられてるんですか…」
「だって城の女中さんは、これぐらいじゃ引かないよ。
俺様今晩一晩潰れるの覚悟してたのに」
佐助の言葉に、はひくりと顔を引きつらせる。
なんだそれは。そして佐助はどれだけ付き合いが良いのだ。
「途中で切り上げて、帰ればいいのに」
「いや、さすがに任務の前の日とかにはしないけど。
でもじゃあさ、逆にちゃんはそれ出来るわけ?」
問い返されて、はぐっと言葉に詰まった。
…正直出来る気がしない。
そのの態度に、ほらぁという表情を佐助が浮かべたので
は無性に悔しくなったが、言い返せる言葉もなく、結局押し黙るしか出来なかった。
…本日の教訓。
自分に出来ないことを言ってはいけない。