居間の食卓テーブルに向かい合わせで並び、
と幸村はしっかりと正座して向かい合った
「真田幸村さん、今日は花の金曜日です」
「はっ」
「この時代では、土曜日曜が一般的な休日なのです。
…みたいなシフト制は別にしてね。
で、私もまた、土日はお休みであります」
「あ、そうなのでござるか」
「はい。ということで、甘いもの食べに行きませんか?」
テーブルの上に情報誌を広げて誘いをかけると、幸村はぱっと顔を輝かせた。
「お付き合いしても宜しいのですか?」
「はい。付き合ってくれる人が、居た方がいいに決まってます。
おしゃべりで待ち時間も潰れるし、感想も話し合えますしね」
見えない尻尾がぶんぶんと振られているのが分かるその姿に、
は頭を撫でてやりたくなるのを堪える。
あ、可愛い、この子。
柴犬というよりかは、大きいから秋田犬みたいだけど
とりあえず、犬っぽい。
は強いて言えばマルチーズみたいだけどと
頷きながらもまったく別のことを考えているに
食卓から少し離れたソファーから、声がかかる。
「…で、それを俺様にもついて来いって話しなわけ?
俺様もここに居るってことはさぁ」
呆れたような物言いの佐助に、は下らない考え事を終わらせて
そちらを見る。
忍びで、部下なのだから、当然ついてくるものだと思っていたが。
「ついてくるのが仕事じゃないんですか?」
「そりゃあねぇ、そうなんだけどさぁ…」
重々しく、いかにも気が進まないという佐助の様子に
思い当たる節があり、はあぁ、と手を打った。
そういうことか。
佐助のいかにもの理由が分かったは、
佐助に向かって雑誌を広げ、目星をつけた店をくるくると指で囲んで見せる。
「大丈夫ですよ。行こうかなぁと思ってるのは、重たい系なんで。
大体この辺。だから、そんなに量も食べられないし、店も回らない…予定です」
「重たい系」
「こう…胃にずっしり来る類のお菓子です。
チョコレートとか、ずっしり来るんですよね…」
胃の辺りを擦りながら言うと、佐助の顔に生気が少し戻った。
…やっぱりこの辺か。
嫌いではないが、量を食べているのを見ると胸やけがするのだという佐助に
気を使ったプランを立てていて良かった。
がほっと笑みを浮かべて、雑誌を幸村の方に戻すと
彼は、少し考えているふうな顔をしながら雑誌を覗き込む。
「ちょこれーと…あの黒いのでござるな?」
「あれ、見せましたっけ」
チョコレートは、店に行ったときにも見せてないし、
家に常備してはいないはずだけどと、は不思議に思った。
すると幸村は顔を上げて、まっすぐテレビを指差す。
「この間、政宗殿と料理番組を見ておった折に
テレビでやっておりました」
その言葉に、はあぁと頷いてカレンダーを見る。
後一枚、カレンダーをめくれば2月だ。
そろそろ商戦に入るのだろう。
「…バレンタイン近いですからねぇ」
言うと、幸村も佐助も不思議そうな顔をした。
そうか、まだバレンタインは伝来してないし
お菓子会社の戦略も無論生まれてはいないか。
彼らの世界で生まれるかどうか分からない、バレンタインに思いを馳せながらは。
「チョコレート贈る日です」
物凄く簡潔な説明を彼らにした。
だって、結局こういう日だし。
義理チョコだの友チョコだの自分チョコだの。
どれだけの人間が本命チョコと共に、愛を告白するというのだ。
バレンタインはチョコを贈る日。
製菓業界がそう決めた。
「なんと、そのように良い日が!」
「なんかさ、勘なんだけど。大分省略してない?」
すると幸村はふぁああと顔を明るくし、一方で佐助は物凄く眉間に皺を寄せる。
「大まかには合ってますよ」
すごく、大まかには。
外に出ないんだしいいじゃないと、が大雑把に考えていると
佐助があからさまに呆れた表情を浮かべて、を見た。
「大雑把だよね案外さぁ!」
「認めます」
頷くと、そこで認めないでくれる?と佐助。
そう言われても、大雑把なのは自覚しているし、嘘をつくほどのことでもない。
どうしろというのだと思っていると、ふと、視線を感じて振り向く。
そこには微笑ましげな顔をして、にこにことしている幸村の姿があった。
「二人とも、随分と仲良くなったのだな」
随分と大人びた言い方で、幸村が言った。
その物言いに、は少し動きを止めて、それから緩く首を振る。
「…真田さんは、案外良い上司ですよね」
彼の年で、部下の挙動にそれだけ目が配れれば、大したものだ。
昨日の一件でいくらも穏やかになった、佐助との関係を見抜いたらしい彼に
はただ感心した。
すると、幸村はの言葉に、はにかんだ笑いを見せる。
「お館様にはまだまだ及びませぬ」
「大将の領域まで行こうと思ったら、あと二十年はかかるよ」
謙遜をする幸村に突っ込む佐助。
「二十で真に追いつければ、よいのだがな」
その言葉に、幸村はきゅっと口元を引き締めた。
しかし、幸村の瞳にあるのは、強い尊敬と好意で
は、無意識のうちに口元を綻ばせる。
「真田さんは、信玄さん、様が好きなんですねぇ」
「尊敬するべき方にござる」
「そうですか」
真面目に頷かれたので、真面目に頷き返す。
幸村にこうも尊敬される、彼の上司の武田信玄とは、どのような人物なのだろう。
…とりあえず、こちらの武田信玄とは、全く違う人相なのだろうが。
肖像画とは、似ても似つかない顔の幸村を見て考えていると、
佐助がそうだなぁと口を開いた。
「まあ、大きい人だよ。色んな意味でね。
特に人を見るのに長けてる」
「へぇ」
「だからさ、ちゃんも、すぐ化けの皮はがされるんじゃない?」
「化けの皮…悪い言い方しますね」
「そうだぞ、佐助。殿に失礼だ」
軽口に苦笑を零すと、向かいの幸村が眉を寄せて佐助に抗議した。
…良い子だ。
「…真田さんは、こんなに良い子なのに」
嘆かわしいと言うような表情で言ってやると、
幸村が良い子…と呟き、佐助がうわぁという表情をしながら、そのままうわぁと呟く。
「旦那をガキ扱いするんだから、ほんと徹底してるよね
あんたのそれは。旦那は一応立派な武将だよ」
「佐助さんも子ども扱いですからね。
この家に居る限り庇護対象ですもの。私にとっては」
「…うわ、まじな目してるよ、この人……
っていうか、あんたは戦場での旦那見ようが俺見ようが
扱い変わらなそうで、ほんと嫌」
言われて、は戦場の幸村と佐助を想像する。
敵の首を飛ばす幸村。
血を浴びる佐助。
しかし、想像は想像でしかなく、幸村も佐助も、の目の前に大人しく座っている。
そういう仮定は無意味だ。
いくら想像をしても、そればっかりは現実に起こってみないとわからない。
ただ、佐助の言うことも、当たっている予感はしなくもないのだけど。
………と、いうか。
「…はいはい。いいからお店の説明しますよ、猿飛さん。
煙に巻こうとしても無駄ですからね」
「いやだねぇ。やんなるよ、ほんと」
話をそらそうとしている佐助の意図に気がついて、
が軌道を修正すると、佐助は肩をすくめてそっぽを向いた。
しかし席を立たないので、ついてくることを了承したという事に勝手にして
は幸村に雑誌をめくりながら、行きたい店舗情報を指差し、教える。
「で、ですねぇ、行きたいのはこの辺りなんですけど
一応チョコレート食べ過ぎると鼻血出ちゃうんで
チョコレート、シュークリーム、きな粉団子ぐらいのコースで行こうかなぁと」
「某、きな粉団子も好物でござる」
「そうですか、それは何よりです」
最後の団子はあんこにしようかとも思ったのだが、
幸村は粒あん派であるので脳内で否決された。
数少ない甘味仲間と喧嘩はしたくない。
それに最後のきな粉団子の店も、味が良いと評判なのだ。
気に入ってくれるといいんだけど。
思いながら、ぱたりと雑誌を閉じたところで
良い子に黙っていたというか、寝転がり耳を塞いでいた佐助が、横を向いてを見る。
「っていうか、ところで言っても良い?
どーでもいい事なんだけどさぁ」
「はぁ。どぞ?」
「ちゃんって、なんで俺たちの事苗字呼び?」
それを窘めるでもなく、先を促すと、彼はほんとうにどうでも良いことを口にする。
「ああ。それは某も思っておった。殿は名前で、しかも呼び捨てでござろう?
家主の殿が、さんまでつけて呼ぶ必要は、どこにもなかろう」
それでも、それは幸村も思っていたことだったらしく
彼にまで理由を聞かれてしまった。
特別、理由もないのだけれど。
「えぇと、なんとなく呼んでただけなんですけど」
それを素直に口にして、しかしふと、は自分が考えた設定を思い出して
はっと顔をしかめた。
「…兄弟設定なんだった」
「は?」
つい口をついて出た言葉に、幸村も佐助も意味が分からないといった顔をした。
まぁ、そうだろう。
いきなり兄弟設定といわれても。
「いえ、あなた方のことをね、近所に説明するときに
焼きだされて住ます事になった、知り合いの四兄弟という設定で
説明しようと思ってたんでした、そういえば」
説明しつつ、は顔をしかめる。
政宗たちが来たときに考えて、すっかり忘れていた。
いやぁ………。
うっかり。
思わず無意味に視線を彷徨わせていると、佐助がしかしと起き上がって
幸村と自分を見比べて首を捻る。
「似てない兄弟だね、無理ない?」
「いや、その辺りは諸事情あるってことで言葉を濁そうかなと」
「………さらりと嘘をつかれる」
「ごまかしてるんです。本当のことは言えないでしょう」
「まぁ、ねぇ」
佐助はどうでも良さそうだったが、責める幸村の目が痛い。
は、即座に言い訳をして目をそらした。
真面目、素直、良い子の三拍子揃った彼にそういう目で見られると、
さすがに心苦しいものがある。
胸をさすって、はそれにしてもと考える。
いくらの家が、集落とは一本道路を挟んだ、しかも小高い場所に建っているとはいえ
四十九日のときに、彼らのことを聞かれないことは無いだろう。
それでなくても、外に出ているときに名前を呼ぶ所を
見られる可能性というのは、十二分にあって
そのときにそれぞれ違った苗字で呼んでいては、
さすがにもう、元々ない兄弟設定の信憑性がマイナスまで落ちてしまう。
「…さすがに兄弟なのに、全員苗字違うのは困る…。
……………………名前で呼んでもいいですか?」
それはまずいと顔をしかめながら、躊躇いがちに問いかけると
「そんなに躊躇う必要がどこにあったの」
「どうぞ名前で呼んでくだされ、殿」
快い返事が返ってきて、は二人に向かって手を合わせる。
「ありがとうございます、幸村さん、佐助さん」
…自分から言い出したこととはいえ
名前で呼ぶのは、ほんの少し気恥ずかしかった。
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