とんとんっと、自室で調べものをしていたの部屋の扉が二度、叩かれた。
「どうぞ?」
がノックをするわけもなし。
四人のうちの誰かだろうと思って許可を出すと、部屋に入ってきたのは佐助だった。
「猿飛さん、どうかされたんですか?お風呂?」
「いや、実はさぁ」
言い辛そうにしながら、佐助は後ろ手に持ったものを、の前に出した。
そこにあったのは、四日前に買ったばかりなのに
はやぼろぼろになった洋服の姿。
「……えぇと、これ、どうしたんですか?」
「どうしたっていうか……旦那の鍛錬にうっかりこれ着て付き合った結果?」
可愛らしく首を傾げてみせる佐助だが、全然可愛くない。
なにせ、服のボタンが全部飛んでしまっている。
本体の方のダメージは、そこまでではないみたいだが。
難しい顔をしながら、佐助の手から服を取り上げ検分していた
だったが、顔を上げて佐助を見る。
「…猿飛さん、ところでボタンは?」
「あぁ、これ?終わったあとで一応集めたんだけど」
「あ、これなら、大丈夫ですね」
差し出された佐助の掌の上にあるボタンは五つ。
服のボタン穴も五つ。
確認してから、はほっと息をついた。
足りなかったらどうしようかと思った。
さすがにボタンまでは常備してない。
「っていうことで、糸貸して欲しいんだけど」
「糸?」
てっきり、ボタンを付け直して欲しいと言われるかと思っていた
佐助の言葉にきょとんとする。
しかし佐助は気にせず、とんとんと、の持った服を軽く指先で示す。
「その色の糸は俺様もさすがに持ってなくてさ」
「確かに、紫の糸を常備している人は居ないでしょうけど…
猿飛さんは繕い物も出来るんですか?」
「一応たしなみとして」
「忍びのですか?」
おかんのじゃなくて?
「…忍びの、だよ」
おかんのじゃなくて。
例えば傷を負った体を縫うときとかに、とは佐助は続けなかった。
それでもその辺りに考え至ったは、小さくあぁと呟くと
でもねぇと続ける。
その視線の先にあるのは、佐助の持つボタンだ。
「……………でも猿飛さん。縫い物できても、ボタン付けられるんですか?」
「……どうにか?」
「どうにかできないと思いますよ、多分。どうぞ?」
椅子代わりにベッドを勧めて、は立ち上がった。
壁際の衣装棚の一番上、小さな引き出しを引き出して
裁縫道具と、紫色の糸を何とか見つけて、椅子をベッドに引き寄せて座る。
「じゃあ、今からやって見せますから。覚えてくださいね」
「悪いねぇ、なんか」
「いいえ。教えるよりも、見せたほうが早いし手間も無いですから」
さらりと、やはり素直でない答えを返して
は針に糸を通した。
少し考えて、二重糸にしてくるくると糸を巻いて、結び目を作る。
すっと糸を通して、いつもよりも何倍も遅い速度で
佐助に見せながらボタンをつけていると、佐助がの手元を見ながら
ぼんやりと口を開いた。
「なんか、ちゃんお母さんみたいだね」
「あら、そうですか?」
「なんか、嬉しそうだね」
「…そうですねぇ」
少し、考える。
「私、昔から、お母さんになりたかったんですよね」
言葉は案外と素直に出てきた。
そう、昔からはお母さんになりたかった。
出来れば、お母さんの代わりじゃなくて
のお母さんになってやりたかった。
昔からが、両親の愛情を求めていることを知っていたから
せめて性別が同じ母親だけでもと。
まぁ、叶わない夢だ。
は母じゃない。
ちくり、ちくりと針を運んでいると、佐助がふぅんと呟く。
「っていうか、ちゃんってよくわかんないよね。
情が深いかと思えば、自分の行動をそうじゃないって言ってみたり
一月前に死んだばかりの両親の話をしてても、どうでもよさそうだったり?」
一気に、部屋の温度が冷える。
冷たい言葉。
それには針の手を止め、佐助の顔を見た。
彼は見覚えのある顔をしている。
最初と同じような、目が笑っていない顔。
「………二次審査、ですか?
いくらか信用はしていただけたと、思っていたんですけど」
「信用はしてるよ。あんたが俺達に危害を加える意思が無いのは、良く分かった。
だけど、あんたの性格が未だに良く分からないんだよね、俺様にはさ」
佐助は笑ったが、目は冷えたままだ。
でも、もう怖くは無い。
佐助が自分を殺す気が無いのを、は知っているからだ。
は背もたれに体重を預ける。
ぎしり、と軋んだ音を背もたれが立てた。
「まだ、会って六日、七日ですけど?」
「それだけあれば十分じゃない?さわりを理解するには。
ま、これも仕事だからさ。悪く思わないでくれよ」
ちっとも悪びれのない様子で言われても。
はこめかみに手を当てると、小さく息を吐く。
「悪く思わないでとか、そういうことは考えても無かったですけどね。
私が、直接口に入るもののを作るのが不安ならば、
真田さんと猿飛さんの分は、猿飛さんが作っていただいても構いませんよ」
「そう、そうやって譲ってくる。
俺はそれが不思議だ。
どうして、俺達にそうまで譲る?
死んだ後の事だってそうだ。そんなこと考えずに、知らない振りをしておけばいい」
の言葉に佐助は目を光らせた。
ここか。
この辺りが、引っかかっているのか。
やはり、彼は、自分にとっては簡単な存在なのかもしれない。
思いながらもは、佐助に向かって問いかける。
「…………理由が、欲しいですか?」
「………そうだねぇ。欲しいね。
あんたの行動原理ぐらいは把握しておきたいんだよ、仕事上。
旦那の命も、俺の命も、ついでに伊達の主従の命も
家主のあんたの気持ちしだいなんだからさぁ」
「ですよね。あなたからすれば」
それは大いに頷けるので、は言葉を選びながら、口を開く。
回りくどい言い方は、無しだろう。
彼に納得してもらおうと思えば、ありのままに話すべきだ。
「…そう、ですね…そう。
私は、率直に言えば、あなた方にいたく同情しています。
やり残してきた事が向こうにはあって、それなのにいつ帰れるのか良く分からない状況で。
しかもその原因は化け物ときた。
おまけに飛ばされてきた世界は、技術進歩著しく
全く持って常識の通用しない、近似世界。
…これを思えば、大体のことは譲ってやろうと思うじゃないですか。
いやらしい言い方をすれば、精神的優位者の傲慢ですね」
「なるほどね」
探るような視線を向けていた佐助だったが
いやらしい言い方のくだりで、得心した顔で頷いた。
善人よりも小悪党。
綺麗な言い方よりも、汚らしい嫌な言い方のほうが
よほど信用は置けるだろう。彼のような人間には。
優しくしたい。
でも、その下にあるものを突き詰めていけば、きっとそう。
善意も、結局突き詰めていけば、汚いエゴにいずれぶちあたるのだから
別に嘘はついていない。
…どうだっていいじゃない。優しくしたいのは本当なのだから。
は、さて。と考える。
これで譲るどうこうという部分については納得していただけたようだが。
両親についての件はどうしたものか。
好んで教えたいような、美しい話では無いので
は少しばかり躊躇ったが、それでも、これから共に生活する人間に
人間性を探られながら生活してゆくのは、あまり気分のいい事ではない。
気は、あまり進まないながらも、は仕方なく口を開く。
「それと…ですね。
先ほどの私が両親についての話をしても、
ちっとも悲しそうではないというのは、理由があって。
色々ありまして、私と両親は不仲…というか
興味の欠片も抱かないような関係性だったからです」
「色々」
「まあ、母と駆け落ちまでしたというのに、父が内縁の妻と子を作って逃げたり
母親が病んだり、かと思えば父が五年して向こうのと破局して帰ってきて
そっくり母と元鞘に納まったり」
「うわぁ……っと、ごめん」
簡単に説明すると、佐助が物凄く引いた顔をして、それから謝る。
いやいや。その反応は人間として正しい。
は気にすることは無いと、にこりと微笑んで見せた。
「いえいえ。うわぁですよね。ということで、私はいい加減愛想をつかして
父母については、死んでもちっとも悲しくないわけです。
は、違うみたいですけど」
その、の言葉に佐助は意外そうな顔をした。
本当、誤解されやすい子。
あれで、あちらのほうが本当に「優しい」子なのに。
ちゃんのほうこそ、割り切りそうだけどな」
「あれで、あっちの方が優しいんですよ。
私の方が冷たいというか、思い切りの良い切り捨て方をするというか」
「ふぅん。そうか、その辺りかな」
「何がです?」
良く分からなくて聞くと、佐助は首を傾げて頬杖をついた。
「ん?旦那にあんたと俺が似てるって言われたんだけど
俺様ちっとも分かんなくって。
で、話聞いてると、その辺りかなぁとか」
「あぁ、そうですねぇ。思い切りの良い切り捨て方をしそうですよね、猿飛さんは」
思い切り頷くと、佐助は物凄く微妙な顔をした。
「え、俺様ひょっとして、嫌味言われてる?」
「いいえ。全然。褒めてますよ」
「褒められてない気がすんだけど、ねぇ」
そういわれても、そうだなと思ったのだから仕方が無い。
それにしても、似ている、ね。
あれでやはり観察眼は確かなのだと、幸村に対する評価をは上げた。
なぜなら、もそう思っていたからだ。
「でも、そうですねぇ。私も猿飛さんは少し、私に似ているかなぁと思っていましたよ」
「えっ」
「なんとなくですけど。迷子のときからちょっと」
「えぇ?!どの辺が?」
聞かれて、はんーと天井を見上げる。
「えぇと、例えば置いていくと思ったのにとか、
他人の優しさに理由を欲しがるところ?」
「えぇーそんな所似てんの?」
「似てるんですよね。私も理由もなく優しくされるとなんとなく不安です」
優しいといわれるのも苦手だが、理由も無い優しさもは苦手だ。
何か裏があるんじゃないか、後で掌を返されるんじゃないかと、つい疑ってしまう。
自分もそうだというのに、酷い矛盾だ。
それを佐助も思ったらしく、彼は呆れた表情を浮かべて
の持った佐助の服を指差した。
「それなのに優しくするわけ」
「私は、ちゃんと理由を言ってるじゃないですか。
今だったら自分でつけたほうが早いから、とか」
「そういう理由?」
「いや、これのきっかけはまた別なんですけど」
しかし、これは秘密。
というか、話がそれるので。
は針仕事を再開しながら、佐助との共通点を
頭の中で思い浮かべながらつらつらと連ねる。
「あとは、そうですねぇ。手のかかる子の面倒を、ついみちゃうところとか」
「うわぁ、そんな所似てるって言われたくない!
ていうか、俺が面倒見てんのは、雇い主の真田の旦那で
それも旦那があんなのじゃなきゃ、やってないって」
「でも、つい面倒を見てしまうと」
「仕事だからね!」
「………あーもう一つ、猿飛さんと私の似てるところは、
優しくするときにもいちいち理由を付けたがるところです」
「……………」
黙ってしまった佐助を横目で見て、は小さい笑いを漏らした。
この人も、本当にとても面白い。
もう少しつついてあげようと、少し似ているからこそ分かる
面白いところをは優しく触ってやる。
「でも、手がかからなくなったらなったで、相当寂しいと思いますよ」
「そ、そんなこと…ないと思いたいんだけどさ、正直」
いくら小さな頃から面倒を見ているとはいえ、
赤の他人のそれも男が、手がかからなくなったことを寂しがりたくは無いと
佐助がぞっと青ざめる。
が、思い当たる節が無いことも無いので、より笑えない状況に陥る佐助に
は気にせず追撃をかける。
「それでいくとあれですよね。この手の人間にありがちなのが
面倒見る振りして、面倒見ることによって
精神のバランス…均衡をとってるところがあったりして
向こうに実は依存してたり、あとは、手がかかるかかると言いながら
手のかかる人間が好きだったり
それから、…そうですねぇ、後は猿飛さんも考えすぎる類の人みたいですから
ある程度直感的に、自分が悩んだ末に出した結論に
直線的に最短コースで一瞬でいたってしまうような類の人に、とっても弱かったり……」
「………ごめん、なんかもう、心が痛い」
「私もなんだか言っていて心が痛いです」
佐助のギブアップは案外遅かった。
精神バランス辺りで死にそうになっていたのだから、もう少し早くにギブしても良かったのに。
最後のボタンを手に取りながら、はあは、と苦笑を浮かべる。
…似てるからこそわかる攻撃は、自分にも当てはまる諸刃の剣だ。
しっかりダメージを受けた精神で、しかし滑らかに針仕事をしていると
佐助がそれなりに立ち直ったらしく、の顔を覗きこむ。
「っていうか、それちゃんにも当てはまるんだ?」
「っていうことは、おおむね当たってるんですね」
お互いに、直接は答えない。
ただ、顔を見合わせて、と佐助はくすりと笑った。
「そうか、そうだね。俺様達ちょっと似てるのかも」
「そうですねぇ。…私は分かりましたか?」
「結構ね」
は、ちくり、と最後の針を刺して糸を結び、最後のボタンを付け終わった。
糸を切ってから広げ、ボタンの位置が揃っているか確認して、佐助に手渡す。
「………はい、できましたよ」
「わーありがとーおかーさん」
「いいのよ、佐助。頼ってくれて、お母さん嬉しいわ」
ふざけて言っただろう佐助に、これまたふざけて
母親めいた言い方で馬鹿みたいに優しく言ってやる。
反応は顕著だった。
動きが一瞬、ぎしりと止まって、佐助が顔をしかめた。
「…………ごめん、これ、もうやらない」
「ていうか、今のはいつもすまないねぇ。
いいえ、それは言わないお約束よおとっつあんのノリでしょうに」
「俺様もそう思ったんだけどね。なんか、あんた相手だと駄目なんだよ」
「どうしてでしょうねぇ、それも」
嫌がっているというよりかは、佐助は面映がっている様子だった。
………まぁ、理由は分からなくもない。
は家の中にいる自分以外の人間は、全て庇護対象だと思っているので
勿論佐助も庇護対象だ。
ふざけてとはいえ、めいっぱい子ども扱いしているのだから
そりゃあ、佐助のような人種は恥ずかしかろう。
態度を改めるつもりは全くないが。
お家に居る子は私の子。
とくるりと素知らぬ顔で、指に横髪を巻きつけ、はくすりと笑った。
それに、佐助が半眼でを恨めしそうに見る。
「っていうか、ちゃんって性質悪いよね」
「よく言われますよ」
くっと笑って言うと、ほんと性質悪いとまた呟かれる。
失礼だなぁとこつりと頭を叩くふりをすると、いてっと面白がる声が返った。