「お姉ちゃんいってらっしゃい」
「いってきます」
九時六時ときっちり時間の決まっているは、朝早くに、出て行った。
それを見送るはシフト制で、今日は午後からなので、ゆっくりだ。
なにしようかな、と思いながら洗面所のほうへと歩いていくと
部屋から出てきた幸村とばったり出くわす。
「おはよ」
「お、お早うございます」
かろうじて挨拶は返されたものの………………ものっすごく固い。
え、あれ。お姉ちゃんにはあんなに自然なのに、なんなの。
何食わぬ顔で通り過ぎながらも、一瞬びっくりするだったが
すぐに戸の開く音がして、もうちょっと女の子に慣れようね旦那
だとかなんとか、佐助の声が聞こえてきて、そういうことかと納得した。
………じゃあ、お姉ちゃんは何で平気なの。
どうも、色めいた話を聞かない姉であるが
とうとう女扱いもされなくなったんだろうかと
なんだか考えたくない気持ちで洗面所にはいると、丁度政宗が洗面台の前に立っていた。
顔を洗ったあと、眼帯をつけていたらしい彼は、眼帯を結び終えると
「Good morning、」
「英語教師みたいだよ、政宗」
「意味は分からんが、褒めてねぇな、あんた」
褒めてないというか、何故戦国時代の武将の癖に、そんな流暢な発音をしてきやがるのか。
聞き取れなくは無いけど、完璧カタカナ英語発音のとしては
時折頭を叩いてやりたくなる。
無言で政宗の隣に並んで、歯ブラシをとろうとしただったが
ふと、気がついて政宗の顔をまじまじと見た。
「どうした?」
「あれ、そういえばさ。政宗の眼帯って替えあるの?」
「ねぇが。どうかしたのか?」
「いやぁ。替えがないと不便…っていうか、今更気がついたんだけど
そんな眼帯してたら目立つわ」
「Ah…。そうなのか?」
不思議そうな政宗に、はまっすぐに頷いた。
政宗のつけている眼帯は、黒いしつやつやしてるし
なんだか映画の小道具のようで。
昨日は気がつかなかったけれど、一人で外に出したときには、絶対目立つに違いない。
なぜならば今の眼帯は……
「うん。いまはこう…ガーゼの………買いにいこうか」
説明しようとして、ガーゼの部分での心は折れた。
昨日の街頭ビジョンと同じだ。
説明できない。
とりあえず、買いに行くのが一番早いと思って誘うと
政宗は少し躊躇った様子を見せる。
「仕事はいいのか?」
「今日は午後からなの。お姉ちゃんと違ってあたしは朝早かったり
昼からだったり、夜遅かったり色々」
「ふぅん」
違和感のある様子で、政宗は相槌を打った。
彼からしてみれば、朝起きて夕方まで働くというのがごく一般的で
そんな不規則な時間で働く仕事というのも、もの珍しいものだ。
「でさ、買いに行こうよ」
「まあ、目立つって言うんなら、そうだな」
そんな政宗に再度誘いをかけると、彼は眼帯を一撫でして
の誘いに頷いた。
その後は、車に乗って五分の場所にあるドラッグストアーへ。
駐車場に車を止めて、昨日と同じように指で指して説明をする。
「ここが、薬屋さん。自転車でも来れる距離だから
自転車………乗り方はそのうち教えるわ」
「OK。乗り物だったな」
「そうそう。ああいうの」
ドラッグストアーに向かって歩きながら、入り口に止めてある自転車を指差すと
興味深そうに政宗の目が輝いた。
「どうやって乗るんだ、あれ」
「あそこのペダルに足を置いて、漕ぐと動くの」
上手く説明が出来ない。
が、政宗の方は、はなからの説明など当てにしていないようで
顎に手をあて、じっと自転車を見て考え込んでいる。
「車輪をあのぺだる…で動かして乗るのか。
で、動作はあの輪が手助けするんだな?」
そうして、入り口を通過する頃話しかけてきた政宗に、
は良く分からない顔をして、首を傾げる。
「………たぶん」
「おいおい…」
乗れるんじゃないのかよ。と言いたげな政宗に
は知らぬ顔をしてそっぽを向いた。
「わかんなくても動くから。そういうのはお姉ちゃんへ、どぞ?」
「完全分業制か、お前らは」
「そうそう」
「Oh……」
嘆かわしげな政宗の声は気にしない。
ただ、置いていかんばかりに歩調を上げてやるが
どうということもないように、すぐに横に並ばれた。
悔しい。
段々競歩のようになりながら遊んでいると、眼帯コーナーを一回通り過ぎたが
は何食わぬ顔で折り返して、眼帯コーナーへと政宗を案内する。
「これね。このへんが眼帯コーナー。このパッケージに書かれてる奴が中身」
ぽんぽんっと、並んでいるうちの一つを軽く叩くと、
政宗は、コーナーの端から端まで視線を動かした。
「随分種類があるな」
確かに。
一口に眼帯といっても随分種類がある。
も端から端まで視線を動かして、それから右のほうから一つと
左の方から一つ、眼帯を取って政宗に差し出す。
「…政宗、貼る奴と貼らない奴があるけど、どうする?」
「貼る奴?」
「こう…粘着性のあるのが塗られてて、くっつけるとそのままひっつくの」
説明すると、あからさまに政宗の表情が歪んだ。
「…それは嫌だ」
的には、バンドエイドの親戚みたいなもので全然Okだが
戦国武将的には、物凄く違和感があるらしい。
そのあからさまに嫌がる様子に、胸がすかっとしながらは
「OKOK。分かった。貼らない奴ね」
幅広!とパッケージに書いてある眼帯を三つほど手にとってレジに並ぶ。
チェックのとき。
一瞬、レジのお嬢さんの目が政宗の眼帯に行って
二度ほど瞬きをしてそれから業務へ戻ったのを見ると
多分買いにきて正解だったのだと思う。
と、車に戻りながら考えて、は後部座席へと荷物を置いた。
さて、後は帰るだけだ。
車を発進させて国道に合流しながら、は政宗に向かって話しかける。
「それにしても、どうしたの、右目。なんか出来物でも出来てるの、そこ」
「出来物………」
「え、違う?」
思いもよらなかったようなことを言われた。と言う調子の政宗の声に
が運転しながらちらりと視線を向けると、彼は眼帯に手を当てている。
その表情にさりげなく視線を戻すと、政宗は躊躇いがちに口を開き
「いや…こっち側の目はねえんだ」
「あ」
「…戦じゃねぇ。病気だ」
「あー………」
一瞬勘違いしたことを否定されて、は更に打ちのめされた。
気軽に聞いて、どうしようと思っていたのだろう。
自分の失言を悔やむが、一旦突いて出た言葉は元には戻らない。
言い訳を一つさせてもらえるならば、は本当にものもらいか何かだと思っていて
目が無い可能性なんか、一つも考えなかった。
…なお性質が悪い。
姉ならば、こんな発言絶対しないのにと、ぐるぐるとが思考の渦に飲まれかけていると
黙っていた政宗が、の顔を見ずに、外に目を向けながら話しかける。
「気持ち、悪いか?」
「は?え?何で?」
その思いもよらない発言に目を白黒させていると、政宗が重々しい表情で再度口を開く。
「右目が無いからだ」
「えー…何でそういう話になるの。今の間はどう考えても
無神経な質問したなぁであって、気持ち悪いなぁではないでしょ」
「ふぅん?」
「なんか、嫌な言い方」
信用ならないと、言っているような、馬鹿にしたようなその言い方は
の母親を思い出させて、は状況も忘れて不快感を覚える。
身体を固くして、ぎゅっと前を見ると政宗は暫く黙っていたが
やがてふっと肩の力を抜いた。
「…悪いな。俺の母親が、俺が右目が無いのを気味悪がったもんでね」
その声は、力無く、どこかシンパシーをは覚えた。
理由は見つけられない。
ただの勘だ。
だけれど。
寂しい寂しい。
悲しい。
優しくして。
…愛してるって、言って欲しい。嘘で、いいから。
心がずぅっと叫び続けている、小さな頃の願い事を
彼も持っている気がして、は耐え切れずぽつりと、言葉を零す。
「……………なんかさぁ」
「……」
「こういうとき、お母さんみたいに出来たらいいんだけど」
「…The meaning is not understood(意味が分からない)」
「だから、お母さんみたいに優しく出来たらいいんだけどってこと。
でもさぁ、あたしも、お姉ちゃんがお母さんみたいなもんだから
お母さんみたいにしようと思っても良くわかんないや」
言葉が零れ落ちる。
寂しい子供が寂しがっているけれど、それに答えてあげられないのは
も寂しい子供だからだ。
優しくされなくても、今でも。愛が欲しい。
だから、政宗にお母さんみたいにしては、あげられない。
欲しいものは与えられなかったから、あげたいものは、持っていないから。
「………ごめんね」
「なんで謝る」
「なんとなく」
「………………………お前らの母親は、一ヶ月前に死んだんじゃなかったのか」
沈黙が落ちる前に、政宗がぼそりと言った。
特別答えを求めている風な言い方ではなかったけれど、
そういえば、小さい頃に死んだような言い方でもあったなぁと
自分の発言を思い返して、それからは苦く笑う。
「そうなんだけど、色々あるのよぅ。
継母とか、そういうんじゃないけど
……えぇと、育児放棄だったり心病んでたり
あの人にまともに育ててもらったことあんまりないっていうか」
「悪い」
政宗から、すぐに謝罪の言葉が返される。
悪いことじゃない。
言いながら心が痛いのは、の勝手だ。
「お互いさまじゃないかな」
大体、嫌なことを聞いたのは、のほうが先だろうにと
それに、緩く首を振って笑うと、政宗は座席に身体を預けて天井を見上げる。
「お前は本当に清清しいな」
「褒め言葉として受け取っておこう」
停滞した空気を払うように、偉そうに言ってわっはっは!と笑うと、
政宗がくっくっと、忍び笑いをもらした。
「俺相手に、そんな口を聞くのもあんたぐらいのもんだ」
それにも、寂しさが滲んでいるような気がしたけれど
はあえてそこには触れずに、まあね!!とやはり偉そうに胸を張った。
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