その後五分ほど歩いて、ビルの一二階を店舗とする
書店に二人を案内した後、はくるっと二人に向き直った。
「じゃあ、このフロアの中なら、別になにしててもいいから」
姉と違って放任主義であるは、ここまでの道を歩いてくるまでに
特に問題行動も見せず、ごく普通に適応している政宗と小十郎を見て
自由にさせることにした。
面倒を見るのもいいけれど、時々は自立させないと成長しないでしょう。
ある意味スパルタである。
この辺りが、姉妹の最大の相違点であるのだが、それはそれとして
の言葉に、政宗がおいおいという表情を浮かべる。
「いいのか、それ」
「いんじゃない。別に。探し物してる間、二人とも暇でしょ。
携帯持ってるし、使い方さっき教えたでしょ?
自宅って書いてあるところに電話かければ
お姉ちゃん出るし。使い方、分かったよね?」
「一応な」
「じゃ、解散」
あっさりと言ったに、一瞬主従は顔を見合わせたが
店屋の中で危険も何もないだろうと、まず政宗が離れ
そして小十郎もまた、どこかへふらりと去ってゆく。
それを見送ってから、もメモを持って、目的の場所へと歩き出した。
そうして、目的の場所である教科書コーナーに向かっていた
ふと、ある棚で、穏やかでない光景が繰り広げられているのに足を止めた。
「ちょっと、止めて下さい」
「いいじゃない、俺と遊びに行こうよ」
典型的な、ナンパの光景。
しかし女の子は、近隣のお嬢様学校の制服を着ていて
明らかに、こういうことをあしらい慣れてない様子で、
しかも相手の男はしつこいときた。
これはちょっとと思っていると、可愛らしい顔をした女子高生は
半ば泣きそうな顔をしながら、男の顔をきっと睨む。
「嫌って言ってるじゃないですか!」
「でもさぁ、俺は行こうって行ってんだろ!」
泣く一歩手前ぐらいの女子高生の腕を、男が強引に掴んだ。
放っておいたら無理矢理に引っつかんで連れて行きかねない男の姿。
いやっと声を上げる女子高生に、は小さくため息をつくと
二人に歩み寄って、男の手を掴み上げて女子高生から放させる。
「ちょーっと、格好悪いんじゃないの」
「何だテメェ!…っと」
突然の乱入者に、睨みをきかせようとした男だったが、
の容姿を見て、それを止める。
最悪、と思いながらは、庇った女子高生が
呆然と立ち尽くしているのに気がついて、
振り向いてにっこり笑ってやった。
「行って」
「でも」
「いいから」
渋る女子高生に追い立てるように言うと、
彼女は躊躇いながらも最後には駆け出した。
それを見送っていると、男がの肩に馴れ馴れしく手を置く。
「正義感の強い子も、俺嫌いじゃないなぁ。
でも。とーっても、こんな風にしていい子には見えないけど?」
男の言は、ある意味正しい。
は背こそ百六十あるものの、決してきつそうなタイプではない。
胸まであるストレートの髪の毛と、ぱっちりした目の可愛らしい顔立ちは
愛くるしい印象を周囲に与える。
ただ、それも黙って佇んでいれば、の話だ。
中身と外見がつりあっていないは、男の手を乱暴に払いのけると
はっと男の言葉を鼻で笑って、侮蔑の視線を投げかける。
「うっさい。黙ってくれる?空気の無駄」
「なっ」
「ていうか、顔見てから出直してきなさいよ。
それでよくあそこまで強気に出られたね」
ばっかじゃないのと言外に言ってやると、男は顔を真っ赤にして言葉を詰まらせる。
というか、怒り過ぎて言葉が出ない様子だった。
「ふっ」
その様子をもう一度鼻で笑ってやると、はその場を足早に離れる。
追ってきたら、店員のところに駆け込むか
それとも外に出て殴り飛ばしてやろうかとも思ったのだが…。
男が追ってくる気配はなく、は軟弱者め、と心の中で吐き捨てた。
いや、喧嘩がしたかったわけではない。
なんとかできる自信はあるけど。





そうして、メモのものを見つけた後、は趣味のものをついでに買うべく
園芸コーナーへと足を運んだ。
これを選び終えたら、買って、二人と合流しようかしらと思いながら
はさっさと選ぶべく、持っていた本を平棚において、棚の雑誌を選別する。
趣味の園芸は、小学校の頃から始めて、もう十年になる。
もう一つの趣味兼実用の空手の方は、始めて八年だから
園芸の方が、日が長い。
それだけ長いことやっていると、今更なにか新しい発見というのは、そうそうないものだが
それでも日々進歩する土作り技術だとか、栽培の知恵だとか
それから今の流行り廃りについては、まだ学ぶべき所は色々とあるもので。
「…んー」
真剣な顔で、先週発売の雑誌に、良さそうな記事があるかどうか
確認していると、ふと、は人の気配を感じて顔を上げる。
すると、そこには先ほどのナンパ男と
…その背後には仲間らしい三人の男が立っていた。
「見つけた」
「は?」
にぃっと厭らしい笑みを浮かべてを見る男に
は顔をさすがに引きつらせる。
まさか、仕返しとか言うつもりなんだろうか。
ナンセンスな。
「いやぁ、さっきは随分凄いこといってくれたよなぁ。
さっきの子とも俺ら、遊びにいけなかったし?
責任持って遊んでくれよ」
「いやだ」
しかし、そのナンセンス極まりない、逆恨み甚だしい台詞を言ったナンパ男に
はきっぱりと拒絶の言葉を吐いて、再び園芸雑誌に目を落とす。
あぁ、うん。今月は良い記事なさそう。
「い………今の自分の立場分かってんのかなぁ?
俺ら、何人いると思ってんの?
それ以上舐めた口聞くと痛い目見ちゃうよ?」
「………………」
しかし、男のほうも仲間の前だという手前もあって、それで引くわけが無い。
馬鹿じゃないの、と口の中で呟いて、は雑誌を棚に戻した。
痛い目、ね。しかも舐めた口ときた。
無理なナンパをやめさせたは全然悪くなくて、
男が絶対的に悪いのに、どうしてこんなに粘るんだろう。
あそこで引いておけば、そういうこともありましたねで、終わらせて、あげたのに。
は音を立てて舌打ちをする。
馬鹿は嫌い。敵は嫌い。逃げるのも嫌い。
嫌い嫌い嫌い。…大っ嫌い。
目を眇めて、は男達を見た。
「分かった」
「お、まじで?じゃあ」
「痛い目見せてもらおうじゃない。ただし、ここじゃ迷惑かかるから場所移すよ」
「は?」
「痛い目見せてくれるのはいいけど、ここじゃ駄目だって言ってるわけ。分かる?」
「言ってくれんじゃねぇか、テメェっ!!」
「女だと思って甘くしてりゃ、調子に乗りやがって!!」
誰が、いつ。甘くしたんだろう。
あと、その台詞、漫画の悪役みたいだから言わないほうがいいよ。笑える。
…色々言いたいことはあったけれども、それよりも強く思うのは
場所移せなかったな。お店に迷惑がかかる。
それだけ。
女子高生を助けたことに後悔は無い。
昔、昔々、何にも出来なかったのが嫌で、だから、強くなりたくて空手を始めて。
本当は、私闘なんかに空手を使っちゃいけないんだけど。
だけど、助けられないなら、そんなの意味ない。
動けないなら、そんなのないのと一緒でしょう。
鞄を平台において、はふっと馬鹿にした笑みを浮かべて
ちょいちょいっと指を動かす。
立ち方からして素人四人。
負けるわけが無い。
店に迷惑がかからないように、一瞬で終わらせる。
「逃げるのは性に合わないの。かかってこい」
その挑発に、色めき立った男達が、さっと動こうとしたその瞬間
後ろから、の顔が掴まれぐいっと引っ張られる。
「かかってこいよ、じゃねぇだろうが」
「わっ」
一瞬、敵かと思って肘打ちしかけた手を、声を聞いて止める。
予想もしなかった展開に、口を開けながら上を見上げると
眉間に皺を寄せた小十郎が、すぐ後ろに立っていた。
「あれ、小十郎さん」
「小十郎さんじゃねぇ」
言いながら小十郎は、の右耳から左肩に腕を回し
はがっちりとホールドされる。
密着した姿勢に、思わず息を詰めていると、耳元で低い低い声がした。
「で?随分な口を聞いてくれたみてぇだが…
なんだ、てめぇらは」
「ひっ」
男達が息を呑んだ。
顔に傷のある、人相の悪い小十郎が剣呑な表情を浮かべると
なんともいえない凄みが出る。
しかも、その低い声にドスがきかされ、あからさまな敵意がそこに込められているのだから
素人の彼らにはたまったものではない。
思いっきり腰の引けている彼らに、更に駄目押しのように小十郎が口を開き。
「なんだって聞いてんだろうが!」
「や、やくざだ、逃げるぞ!!」
恫喝すると、蜘蛛の子を蹴散らすように、ナンパ男達はあっという間に逃げていった。
「……わぉ、あっという間………」
が凄んでもこうはいくまい。
やっぱり容姿に絶対的な差があるのよねと、自分の筋肉がついている割に
細っこい腕を見下ろしていると、頭上でため息をつく音が聞こえた。
「あっという間じゃねぇだろうが。なに無茶してやがる」
「だって、勝てると思ったから」
密着したまま、は上を見上げる。
すると、困った顔の小十郎が目に飛び込んできて
あぁ悪いことをしたなぁと、それは素直に思う。
別に、心配をかけたいわけじゃ、ないんだけど。
しかし、小十郎はの言葉に引っかかったようで、訝しげに目を細めた。
「勝てる?」
「素人相手なら、あれぐらいの人数でも余裕だと思って。
立ち方からして素人だったから」
「素人ってことは、腕に自信のある言い方だな?」
訝しそうな表情をしたままの小十郎に、こくんと、は頷く。
とりあえず、空手を習って八年。
それなりに腕はあるつもりだ。
「それなりに、かなぁ。素人四人ぐらいだったら、勝てる自信、あるよ?」
素直に言うと、それはそれでそれなりに思うところがあったらしく
小十郎が渋面を作る。
「自信があるみてぇだな。だが、相手の力量がわかるってんなら
どうして俺たちが来たときに手向かったりした」
「そりゃあ、そのぉ」
「なんだ」
嫌な問いが来た。
は思わずさっと小十郎から目をそらすが、密着状態では逃げることも出来ない。
逃げられないかと思って、腕を外そうと努力はしてみたが
丸太のような腕は、うんともすんとも言わなかった。
……怒られる気がするから、あんまり言いたくないんだけど。
しかし、黙っていると無言の圧力が上から降ってきて
は恐る恐る口を開く。
「勝手に上がりこんできたくせして、勝手なことばっかりいってむかついたのと
あと、ああいえばこっちに意識が向くから、いざとなったらその隙に
お姉ちゃん逃がせるかなぁ、みたいな」
後ろにいくにつれて声が小さくなるのは、絶対勝てないと分かっているのに立ち向かった自分の
自己犠牲の精神など、あまり褒められたものでも無いと分かっているからだ。
でも、助けになりたいの。
強くなりたいと思い始めた根源とも言える、母に姉がいじめられている光景を思い出して
が俯いていると、ふっと、を拘束していた腕の力が緩んだ。
「……ふぅ………」
ため息をついて、腕が完全に外されて、今度はぽんと頭の上に手が置かれる。
「万一ってこともあるだろうが。いざっていうとき以外は逃げてもいいんだ」
「わっ」
そうしてそのままわしわしと頭をなでられて、はきゅうっと胸が締め付けられるのを感じた。
えぇと、心配されている。
それと、優しくされている。
ちょっと、嬉しい。
「……えへへ」
「ふっ……」
子供のように照れ笑いをすると、小十郎も仕方の無いという顔をして、ふっと笑った。
それになんだかいたたまれなくなって、はぱっと小十郎からはなれると
もじもじしながら小十郎を見る。
「えぇと、ところで、…小十郎さんは何しにきたの?」
「いや、何か面白れぇもんでもないかと思ってな」
「ここ、園芸コーナーだよ?」
小十郎の面白いものなんて、何もないと思うんだけど。
くるりと辺りを見回して言うと、横から答えが返される。
「小十郎は、畑をやってんだよ」
「あれ、政宗」
裏手の棚から現れた政宗は、と小十郎へと歩み寄ると
それにしてもと、何故か向こうの…ナンパ男達の逃げた方角へと顔を向ける。
「なんか面白そうなことになってたみたいだな?」
「面白いといえば、面白かったけど」
「面白くねぇだろうが。政宗様もお戯れはほどほどになさいませ」
含んだ物言いに、政宗が何があったのか知っていることに気がついた小十郎が
政宗を窘めると、彼はつまらなそうに口を尖らせて、緩く首を横に振った。
「頭かてぇな。とりあえず、そこら辺に転がしといてやったぜ」
「……自分で片付けてるんじゃないの」
「あきらかにお前らの話してたからな」
顔に傷のある男と、気のえらく強い女の二人組みなど、他には居ないだろう。
政宗が通りかかったときには、もっと仲間を引き連れてきて…という
とても愉快な話をしていた最中だったので
とりあえず、一瞬で沈めて、人の通らないようなところに転がしてやったのだが…。
「政宗様………」
その政宗の行動というのは、小十郎の気に触らなかったらしい。
まあ、当然ではある。
目立たないようにするべき存在が、率先して目立つ行動をしてどうするというのだ。
じっとりとした小十郎の目は、今からお小言を言うと宣言しているようで
政宗は慌ててに助けを求め、話を変える。
「Corbicula(やべ)…とりあえず、畑の話でもしようぜ、
「……あーうん。で、小十郎さんは畑やってるんだ?」
それにが仕方なくのってやると、政宗はあからさまにほっとした表情で
の言葉に頷いた。
「そう。小十郎の野菜はうめぇぜ。
なんせ前田から野菜を獲りに来るぐらいだからな」
「へぇえええ」
前田から野菜をの意味は分からないが
とにかく美味しいらしい。
食べてみたいものだと、感心しながら頷いていると
それを別の意味にとったらしい小十郎が、むっとした調子で口を開いた。
「見えねぇとでも言いてぇのか」
「いや、別に。そっかー畑かぁ。じゃあ、この辺とかお勧めかな」
少し気にしている様子の小十郎に即答で否定しながら、
は棚の雑誌を二三持ち上げて示してみせる。
の領分は花であるけれど、家計の助けとなるべく
野菜も作らないことは無い。
しかし、小十郎からの反応は無い。
不審に思って小十郎のほうを見てみると、彼は呆気にとられた表情を浮かべていた。
「詳しいのか」
「見えない?」
「………………………いや」
答えるまでに、物凄く躊躇いがあった。
は即答したのに。
それに頬を膨らませながら、はぽんっと胸に手を置いて
つんとした表情を作る。
「見えないなら見えないって言ったらいいのにー。
これでも小学校の頃から園芸をはじめ、中高そろって園芸部でしたよ、さんは」
「園芸部」
「そう。お花とかお野菜とか、色々育ててましたとも。
………あ、そうだ。
畑やってるんだったら、裏の庭が半分余ってるから使う?」
「いいのか?」
「うん。元々植えるものなくて使ってないだけだから。
半分はあたしの花とか色々植えてあるけど
それでいいならね」
元々、冬に植えられる野菜が少なすぎて
使ってない部分だけれど、今の時分でも植えられないこともない。
何もしないよりかは、趣味の一つでも続けてしていた方がいいだろうと
気軽に薦めただが、小十郎としては甘えていいものか判別がつかないらしく
躊躇った様子を見せている。
そこは、気を使わなくていいって、昨日言ったのにとが思っていると
政宗がが何か言うよりも先に、小十郎の肩を叩く。
「いいじゃねぇか、小十郎。素直に甘えろよ。
なぁ、?」
「ね」
政宗と顔を見合わせて、二人で頷く。
「悪いな」
それを見て、小十郎はようやっと頷いて、
はそれに、じゃあこれ買おうかなと、さっきあげて見せた雑誌を
既に選んでいた本の上に、ぽいぽいっとのっけた。