暗闇の中、はひっそりと起き上がった。
枕もとの携帯電話を確認する。
時刻は二時半、草木も眠る丑三つ時だ。
額をかいて、もう少し早くに起きるつもりだったのにと思いながらも
他を起こさないように、そろそろと布団を抜け出す。
そのまま、寝室の扉を開けて、階段を上り二階に上がると
は自室の扉を、やはり音を立てないようにそろそろと開けた。
ぱちりと電気をつけて、まっすぐにパソコンラックへと向かう。
一瞬迷った後、はノートパソコンの電源コードをコンセントから抜き、
一式を持って居間へと移動した。
なんとなく、扉の閉まった密室で、作業をするのは躊躇われたのだ。
居間の食卓にノートパソコンを下ろして、コンセントにコードを刺す。
電源ボタンを押してパソコンを起動させると、すぐにロゴが出てきて
デスクトップ画面が表示された。
「………接続、っと」
無線LANでインターネット接続を開始し、は一瞬止まった後
伊達政宗と入力した。
真田幸村よりも、伊達政宗のほうが聞き覚えがあったからだ。
「先生は今日も素早いですね、っと」
検索エンジンがかき集めたサイト情報が、検索文字によって表示される。
示された情報の山に顔を厳しくしながらも、は軽口を叩いた。
がこっそりと深夜に、パソコンと向き合っているのは
非常に後ろめたいからだ。
帰す情報の、その手がかりを調べるためとはいえ
本人に無断で、本人の情報を調べるのは気が進まない。
あの、化け物によって戦国時代から現代に飛ばされてきた武将達。
その境遇には同情している。
優しくしてやりたい。
だから、一番の望みである帰還願望も、叶えてやりたい
叶えてやらなくてはならないと思っている。
………ふぅん、優しいのね。
そこまで思ったところで、耳元で囁かれた女の声に
ふるふるとは首を振った。
違う違う、優しさじゃない。
…だって、彼らが居る限り、化け物をどうにかすることも出来ないし
面倒を見るのだって、お金だってかかるんだから。
だから、違う。
私が動く、利己的な理由はちゃんとある。
「優しさなんかじゃ、ない」
ぽつんと呟いた声は、拠り所の無い子供のようだった。
いや、子供なのかもしれない。
はぼんやりと思う。
の心の中には、未だに成長できていない部分があって
そこは子供のように泣き喚いている。
それでも、そこを直す気なんて、直せる気なんて欠片もしなくて
は思考を打ち切って、修正した。
自分の過去のトラウマよりも先に、考えなければならないのは
真田幸村、猿飛佐助、伊達政宗、片倉小十郎
その四人のことだ。
帰せない、この平成の世で一生涯を終えなければならないという
最悪の事態を見据えて、動かなければならないのも事実だし
それを見越して国語算数理科社会ぐらいは
きちんと教えてやる気でいるが…。
帰せる方法もまた、きちんと探してやらなければならないだろう。
だからまず、彼らの生涯の中に、神隠しにあった
もしく行方不明になった期間が無いか
かちりかちりとページを切り替えながら探していたは
「え」と小さく声を上げる。
とあるホームページに載っていた、若かりし伊達政宗の肖像画だというそれは
当人とは全く別物であったからだ。
「え、あれ?」
かち、かち。
画像検索に切り替えて、肖像画を探す。
かち、かち。
違う違う、こんなのじゃない。
探しても探してもでてくるものは、別人だとしか思えない絵ばかりで
今度は真田幸村で検索をかける。
「…………なに、これ」
しかしその検索結果に、は凍りついた。
真田幸村で検索して、一番最初に出てくるのは真田信繁という人名。
そこの説明によれば、真田幸村というのは、後世の創作で付けられた名なのだという。
真田幸村だと、確かにはっきりと名乗った彼の、その姿を思い出して
は震える手で口元を押さえた。
なに、これ。
しかもそこの説明書きの中には、幸村いや、真田信繁が仕えたのは
武田信玄では無いと書いてあって、更には猿飛佐助というのは
創作上の人物で、実在の者ではないと…。
は震える手で、片倉小十郎の文字を検索する。
彼まで、誰かの創作だったならば…。
だが、片倉小十郎は実在の人物だったようで
見たページの説明書きにはほっと胸を撫で下ろし、
そしてまた肖像画に頭を抱える。
「…どういうことなの、一体」
先ほどまであった、感傷的な気持ちはどこかに吹っ飛んで
混乱だけがの頭を満たしている。
どういうことだ、これは。
伊達政宗の肖像画は、別の人間だった。
片倉小十郎も、また別人。
真田幸村は後世の創作の名前で、武田信玄には仕えておらず
猿飛佐助は、創作上の、人物。
「…名を、騙っている?」
まず一番最初に頭に浮ぶ考えを、口には出してみたものの
どうにも違和感がある。
彼らは狂人ではない。
当人だと思い込んでいるような、そういう人間とは彼らは違うとはっきり言える。
それから、後から現れた政宗たちを、打ち合わせも無く
幸村たちは伊達政宗と、片倉小十郎だと言った。
これを考えると、嘘をついて騙っているというのも、なし。
元々元の世界でも、騙っていたというのならば話は別だが、
そんなところから疑い始めたらキリが無いし
ついでに、彼らが達に嘘をつくメリットもない。
事実、は伊達政宗以外知らなかったわけだし。
「これは、却下…」
浮んだ考えを否定して、次の考えに移る。
次は、ヒットした肖像画や説明書きが間違っている可能性。
これも却下。
探しても探しても出て来る説明も、絵も一緒ならば
信憑性に疑いようも無い。
大体が千年、二千年前ならともかく、五百年前程度。
…では、他にどういう可能性が?
そうして考えたとき、浮かび上がってくるのは
今日の出掛けににした説明、だった。
「そこまで考えたくないが、ぜひとも多世界解釈を
SFチックに解釈して、それで進めて行きたい…ね。うん」
あらゆる可能性が並行に進んでいくならば、
伊達政宗があの男前で、片倉小十郎があの強面で
かつ真田幸村が真田家に生まれ、武田信玄に仕え
猿飛佐助という名の忍びが付けられる。
そういう世界もあるのかも、しれない。
「いや、理論上はそうよ?収縮を宇宙レベルまで拡大することで
観測者がいないんだから、まあ、そりゃ…………
SFチックにそれを、むりくり都合がいいように解釈すれば
ありとあらゆる可能性が生まれてきて
そういう世界があってもいいって結論に、なってもいい、け、ど」
認めたくない。
過去から未来へならともかく、並行世界移動なんて
そんなのどうやって帰していいのか分からない。
眉間を掌に押し付けて、が唇をかみ締めた。
「どう、したら…」
呟いた瞬間、ぎしっという音が聞こえて、はぱっと階段を振り向いた。
一瞬頭の中に、筋肉のむき出しになった身体が過ぎる。
おそらく、自分以外の誰か、人間ではあると思う、けれども。
ぎし、ぎし、という音に恐怖を覚えていると、
やがて、ひょこりと茶色い髪が階段から顔を覗かせる。
「殿?」
「さなだ、さん」
階段を昇ってきたのは、パジャマ姿の真田幸村で
はほっと息を吐くと同時に、先ほどまでの悩みを思い出して
一人、ぎくりと身体を強張らせた。
→