「佐助、どういうつもりだ」
低く押し殺した声で幸村が言う。
が良く分からないものに気をとられている隙に
無理矢理に引きずって、その場から遠ざかった佐助に怒っている。
それを知りながらも佐助は「どうもこうも」とさらりと言葉を口から出した。
階段からは死角だが、こちらからは階段の見える
布切れの積まれた台車が大量にある場所。
そこに身を潜めながら佐助は、の気配に気を配りつつ、幸村に向かって周りを見回してみせる。
「俺もね、今更ここが五百年後とかそういうことを疑うつもりは無いよ、ほんとに。
車って奴で移動してみて思った。
あれだけ訳の分からないものを、本物のように見せられる幻術なんてない」
だけどさぁと続ける前に、幸村がすぅっと目を細める。
そうなんだよね、馬鹿じゃないんだよ、ちょっと直情的なだけでさぁ。
「……言いたいことは、分かった…佐助。殿を試しているのか」
「その通り!ここが遠い未来ってのは信じる。
だけど、あの子やあの子の妹が信用に足りるっていうのが
それと等しいかって言われりゃそうじゃない。
そうでしょ?未来と彼女達は等しくない。
だったら、人となりぐらい、俺は確かめないといけない」
「佐助!」
気に入らないのが分かっていながら、わざとおどけたように言ってやると
耐え切れないように幸村が大声を出した。
彼の背後で、怒りの炎が揺らめく。
それに身体が震えるのを佐助は押し隠した。
幸村は甲斐の若虎と呼ばれる男である。
戦事でないときには気が抜けていると、城のものに噂されていても
一度戦場に出れば、彼は圧倒的に武人なのだった。
その武人の顔を覗かせて、幸村は佐助に怒りを覚えている。
…仕方ないのよ、仕事だからさぁ。
決して口には出さない言い訳を、佐助は頭の中だけで考える。
口に出したが最後、この主は烈火のごとく怒るだろう。
彼は義理堅い人間だ。
異界のような未来に来た己達を、こころよくでは無いにしろ受け入れた
あの姉妹を疑うような不義理をおそらく許せはしない。
しかし、そんな彼女達をも疑うのが、佐助のような忍びの役目だった。
主以外は全て信じられぬ。
でなければ、目が曇る。
曇れば主は守れぬ。
守れない忍びは、不要だ。
そういう風に佐助は育てられてきたし、もっともだと思う。
ゆえに疑う。
ゆえに信じない。
佐助と幸村では、その立場が違うのだ。
上田の城主であり、武田の武将である幸村は、人を信じてよい。
忍びの佐助は信じてはいけない。
その違いが、ここにはっきりと出ているだけだ。
黙って佇むこと二分。
の気配が近づいてこないのを確認しながら、
幸村と対峙していた佐助は、ふと主が身体の力を抜いたのを感じた。
そしてそれは気のせいではないようで、幸村は怒りの表情を消し
代わりに、悲しげな顔をしながら佐助の顔をまっすぐに見る。
「今後」
ぽつんと、幸村は苦しげに吐き出す。
「今後このようなことは無いようにしろ」
「旦那、それは」
「お前の仕事をするなと言っているのではない。
ただ、表立って行うな。
それが、俺達を置いてくれると言った、あの方達へのせめてもの礼儀だ」
「……了解」
どのような言葉を口にしても、佐助が意思を曲げないことを感じたのか幸村は折れた。
しかし、押し殺した声は、佐助に彼が随分と譲っていることを教えている。
草程度、好きに扱えるものを。
佐助は忍びだ。人ではない。
人の形をした別の何かだ。
そう教えられ、そう生きてきた。
その佐助を人として、それも家臣として扱ってくる幸村には
どうにも弱くて、幸村の言葉に、佐助は両手を上げて従う意を示す。
すると、幸村はほっとした表情を浮かべた。
「…にしても、信用したもんだね、旦那。……惚れた?」
「ば、馬鹿なことを!!破廉恥だぞ、佐助!!」
「いやぁ、なんかちゃんは平気っぽいからさぁ。
何でかなぁって。
ちゃんのほうはあからさまに避けてるじゃない」
これは、おやっと疑問に思っていたことだ。
傍付きの女中ですら遠くに避け、出来れば関わろうとはしない幸村らしくもなく
にはごく普通に、例えば男子に接するように平常に接している。
ん?男子?
何がしかの回答を見た気がして、佐助が首を傾げると
「…殿は……女子とは思えぬ」
恐々と躊躇いがちに、幸村がそれを肯定するような言葉を吐いた。
「え、なにそれ。っていうか、それ本人に言っちゃ駄目だよ」
それは、あまりにも可哀想過ぎるだろう。
…納得できなくもないけれども。
いや、が男らしいとかそういう事ではなくて
はどうにも女の匂いがしないのだった。
「…それはともかくだ。殿が信用できる御仁かどうかぐらい
見て居れば分かる。俺とて上田を預かる城主なのだ。
お館様には及ばずとも、それぐらいは当然だろう」
「そんなもんかね」
どうしてかねぇと、決して男らしくもない
どちらかといえば女らしいの容姿を思い返していると
幸村が話をそらすようにそう言い募ったので、佐助は曖昧に頷いておいた。
佐助は城主でないから、そういう感覚は良く分からないが。
すると幸村はそういうものなのだと言った後、
佐助の顔を見た後、顎に手を当てて首を傾げながら口を開く。
「それに、彼女は少し佐助に似ておるだろう」
「どこが?!」
「…自分で自分のことは良く見えぬと、お館様が仰っておったが…真であったな」
理解できない言葉に叫ぶと、幸村は嘆かわしそうに首を振った。
酸いも甘いも噛み分けた大人のようなその言い方に、佐助の頬が引きつる。
「…旦那の癖に」
生意気だ。ほんと、生意気だ。
小さな子供に諭された気分で、くされていると、ふいに幸村の視線が天井を向いた。
何事か考えているような表情に、黙ってそれを見守っていると
彼はたっぷりと時間を置いた後、佐助の名を呼ぶ。
「…佐助」
「なに」
真剣な表情に、佐助も意識を切り替える。
すると、彼は言いづらそうに口を数度、閉じてはまた開いた後
「………政宗殿のことだ」
と切り出した。
「あぁ…竜の旦那も、右目の旦那も、随分な状況で飛ばされてきたねぇ」
正直予想もしていなかった話題に、内心驚きながらも
佐助は同情の言葉を吐く。
ごまかしと嘘が得意な佐助ではあるが、この言葉は真実だった。
大将とその右腕が、戦の最中に居なくなるなど、
軍にとっても、当人達にとってもひどく酷な状況である。
武田は現状伊達と同盟関係にあるので、
伊達に負けられても困るという打算は、多少働いているが。
ともかくとして、真剣な表情をしていた幸村は
佐助の同情の言葉に、ほっとした顔をした後、また表情を引き締める。
「………………佐助、俺は政宗殿達に、朝倉浅井についての計略を話そうと思っておる」
そして、ゆっくりと馬鹿みたいに真剣な声で
佐助が正気を疑うような言葉を喋った。
自分の目が見開いたのが分かる。
この主は何を喋っているのか。
「……正気?」
「見過ごしてはおけぬのだ」
重たい声で、幸村が言う。
「…どういうことか、分かってる?」
問うた佐助の声は固かった。
無理もあるまい。
幸村は、同盟を結んでいる伊達にも、内密にしているようなことを
総大将である武田信玄の許可も得ず
勝手に喋ろうとしているのだ。
………現状、戦国乱世である佐助たちの世界で
天下という椅子に一番近いのは、第六天魔王織田信長である。
次に、豊臣秀吉。
その後から、武田伊達上杉と、それから離れて各大名達が続く。
しかし、一番天下に近い第六天魔王織田信長。
彼は魔王だ、恐怖しか生まぬ。
彼に天下を取らせれば、日の本は終わりであるというのが
織田勢以外の大名の共通認識であった。
だが、豊臣に天下を取らせるのも、許せぬ。
彼が作る世界は弱い民を排除した世界であり
そのようなことは、武田も伊達も上杉も、到底許容できることではなかった。
それだから比較的縁も深かった三国が同盟を結び、
長曾我部、徳川同盟を加えた五国で
織田・豊臣包囲網と呼ばれるものを作り上げていたのだが。
………しかし。
謀と呼ばれる部類のものは、いかに同盟国といえども漏らせぬようなものが存在する。
なぜか。
「……旦那、同盟国とはいえ、伊達と武田はいずれ争うんだよ」
ひっそりと佐助は幸村に忠告をする。
武田、伊達、上杉の三国は確かに今は、同盟を結んでいる。
しかし、織田と豊臣が倒れれば、その同盟はいずれ解消されるだろう。
天下は分け与えられない。
勝利は一国しか掴めない。
そして、三国ともが、天下を諦めはしないのだ。
いずれは敵になることが確定している相手に、
謀などという、時に後ろ暗いものを含む手の内を、わざわざ明かしたいものか。
特に今回武田が行う謀は、結果として肉親同士を争わせるというものである。
織田信長の妹、市。
今は浅井に嫁いでいる彼女が、今回の謀のその内密さを跳ね上げている原因であった。
…謀の内容というのは、こうだ。
まず浅井と近しい朝倉。
元々織田と一触即発状態にあるかの国を、直接的な対立をするよう武田の忍びを使い扇動する。
すると、朝倉と元々近しい仲の浅井は、当主の性格上
必ず、朝倉を支援すべく、朝倉と同じように挙兵する。
そして織田勢は、逆らうものを決して許さない。
それが身内かどうかは関係なく、全てを根絶やしにしようとする。
両者は必ず合戦を行い、そして疲弊する。
そこに情報を流した豊臣をぶつけ、両者の体力を削ぎ落とす。
以上が、武田が行おうと既に動いている計略の内容だ。
いくらか賭けになるような部分もあるが…。
上手くいく可能性はと聞いた佐助に、ただ笑った信玄を見るに
既に成功は確信しているのだろうと、思う。
確かに佐助の元に入ってきていた情報も、悪いものはほぼ無かった。
ただ、その計略において、暗い影を落としているのが
先も言った通り、市の存在である。
戦国乱世といえども、いや、そうであるからか
血の繋がりと肉親の情、そしてそれを気遣う心というのは、確かに存在する。
兄と夫が争う戦場に輿で乗り入れて、戦をやめろと叫んだならば、
本当に戦が終わったという事例もあるほどだ。
そこに、それが主目的では無いにしろ、わざと兄妹を戦わせたなどという
信玄の計略が悪意を持って、世に囁かれればどうなるか。
信玄の評価が、世の中で下がるのは間違いなかろう。
誇張され、歪曲された事実は、いとも簡単に人の心を濁らせる。
また、そのような計略を練る相手に、果たして命を預けれるものかと
戦で負かした領主に恭順を迫ったときに
そう囁く輩が出てくる可能性というのも、ないとは言い切れない。
それでなくとも、一時的に手を組んでいるだけの相手に
そうほいほいと自軍の情報を与えるなど、とんでもない話であって。
つまり、幸村が言っているのは、彼の正気を疑う話なのだった。
例え、その謀を話すことで、戦から退却しかけていた伊達軍を
朝倉浅井に目が向いている、織田と豊臣が襲わないと分かるとしても、だ。
めずらしく感情をむき出しにして焦っている佐助に、幸村は苦々しい顔で視線を落とす。
「佐助の言いたいことは、俺も分かっておる。
しかし、上杉謙信公がお館様に塩を送られたように
俺は政宗殿を見捨ててはおけぬのだ。
戦場で部下を置いてこのような未来に飛ばされ、
混乱するあの御仁をそのままにしておいて、
何が武田の若虎、何が武人よ」
部下の命を預かるその重さは、俺にとて分かると続けた幸村は
でもさぁと続けかけた佐助を手で制し、ふっと笑う。
「…彼は義理堅い御仁だ。決して心配するようなことは起こるまい。
安心せよ、お館様には某から報告する」
言外にお前に報告させることは無いから安心しろといわれて
そういうことじゃないんだよと、佐助は項垂れる。
そういうことじゃなくて、それで大将からお咎めがいくとか
そういうことは……考えてんだろうね、やっぱし。
何もかもを既に決めてしまった顔の幸村に、何を言っても無駄かと
諦めて佐助は、額に手を当てて大仰に嘆いてみせる。
まったく。
これでは先ほどの焼き直しのようだ。
幸村が佐助に譲ったように、今度は佐助が幸村に譲らされている。
「………やれやれ、昔から情にあつい」
厚いではなくて、熱いの方があってるやも知れない。
そう思いながら、佐助はの気配を探る。
すると彼女は、階段をぐるぐると上って、佐助や幸村が居ないか
他の階を探しているようだった。
…まだ、探しているのか。
随分と時間がたった。
いい加減諦めたらいいのに。
思って、佐助は一度目を閉じる。
そうすれば、佐助は彼女のことを疑い続けなくても良い。
化け物が出たときのように逃げれば良い。
そうすれば佐助は、やっぱりねと笑ってやれるのに。
『○○からお越しの幸村様、佐助様。お連れの様がお待ちです。
迷子センターまでお越しください』
いずこからか、声がする。
これを聞くのは三度目だ。
話している間に、二度流れた。
流れる前も間も後も、はは探し続けている。
気配は二階に移り、ぐるぐると歩いている。
彼女はなぜか、この場所には近寄ろうとはせずに
素通りしていたから移動することはなかったけれど
それでも、気配が分かるのだから、逃げるのなんて簡単だ。
無駄だよ、俺が逃げる限り、君に俺達は見つけられない。
だから、はやく、あきらめてしまえば。
「そういえば」
幸村の言葉にぱっと思考を止めて、佐助は顔を上げた。
するとそこには、どうしてだか懐かしそうな顔をした幸村がいて
彼はゆっくりと壁にもたれかかり、佐助を見る。
「……そういえば、な。今思い出したのだが
昔、佐助が俺に付けられた頃」
「あぁ、旦那が弁丸って呼ばれてたちっちゃい頃あたりね」
「あの頃に、一度こういうことをしたことがあったな。
わざとはぐれて、佐助を試した」
懐かしそうな顔をする幸村だったが、そう言われても佐助には
それがいつだったかさっぱり分からない。
「え、いつ、どこ、どれ」
………思い当たるような場面が、山のようにあるからだ。
「……………どれ…といっても、あの時だ」
「だから、どれよ。旦那が俺がちょっと目を離した隙に
たーっと駆けていって、はぐれるのなんてしょっちゅうだったじゃない!
その中のいつ、どこ、どれなの。
まさか全部じゃないよね」
「そ、そんなにはぐれてはいないだろうっ」
「はぐれてるよ、全部言おうか?俺様覚えてるよ。何しろ優秀だから」
「ぐっ」
佐助の反論に幸村は息を詰まらせた。
全く無茶ばっかりして。これぐらい意趣返しをさせてもらってもいいよな。
密かに先ほどかけられた、心配のお返しをしてやると
ぐぐぐぐぐっと唸っていた幸村が、はっと、良いものを見つけたという顔で向こうを指差す。
「佐助。殿だ」
あからさまに話をそらした幸村に、この野郎と頬を引きつらせながら
幸村が指したほうを見る。
するとそこには階段を上ってきたかと思うと、
ふらふらと椅子に座り込んだの姿があった。
彼女は大分疲れているようで、眉を下げた情けない表情で
手を組んでそこに額を押し付ける。
「…佐助」
その様を同じように目にした幸村が、短く佐助の名を呼んだ。
そこに込められた意を正確に理解して、佐助は肩をすくめる。
もう、終わりだということだ。
もう少しつつけば泣き出してしまいそうな彼女を
これ以上放っておくことを幸村が許すわけもなく。
まぁ、潮時ってやつだと思いながら、隠れていた場所を出て
彼女に二人して近づいてゆく。
しかしそれにしても。
手に額を押し付けたまま微動だにしないの姿に
佐助は少しばかり首を傾げた。
今までの物言いから言って、彼女は結構理屈っぽい
しかも、少し利己主義的な言動のある、冷静な子だと思っていたのだけれど。
こちら側に譲って振る舞い、刺激しないように行動していた彼女は
半分ぐらい佐助たちを置いて帰るかと思っていたのだが。
化け物に対抗するには、伊達の主従がいれば十分だし?
なんで、ここまで必死に探してるのかな、この子。
丁度、彼女のいる場所から五歩ほど離れた
外界から隔たったように人の少ない階段の踊り場に
足を踏み入れたとき、がぱっと顔を上げた。
「あ」
彼女が小さく声を漏らすと、まず、目が見開いて
それから彼女の顔が泣きそうに歪む。
表情に強く出ているのは安堵と、それから心配。
まるで見失った小さな子供を見つけた母親のようなと、
佐助が思ったところで、隣の幸村が「殿?」
と名前を呼ぶ。
そうすると、彼女は堪えきれなくなったように立ち上がり
一目散にこちらに駆け寄ってきたかと思えば、佐助の腕をがっちりと掴んだ。
ちゃ…?」
「み、見失ってごめんっごめんね」
驚く佐助と幸村にも構わず、彼女は泣きそうな顔をしながら、一息に喋りたてる。
「怖くなかった?大丈夫?
変な人に声かけられてない?ぶつかられたり、勧誘されたりしなかった?
怖いこと、なかった?」
まるで小さな子に言うような言葉の数々に、佐助は頭がくらりとしたのを感じた。
この子、俺たちの事をいくつだと思っているのか。
もしかして幼児かなにかと間違えているのでは無いかと思いつつ
佐助はあたまをくらくらとくらませる。
こわいって、そんなの。
いっそ呆然とする単語だ。
佐助は忍びだ。
忍びに恐怖を問うなど、愚か過ぎる。
そんなものはいつかのどこかに削ぎ落としてきた。
しかし、彼女の瞳の色は真剣で、おまけに心底安堵したように
大きく息を吐いたものだから、佐助はつい戸惑う。
どれを、彼女だと思えばよいのだろう。
利己的な子は、分かりやすいと思ったのに。
「さるとび、さん?」
「……………置いていこうとか、思わなかった顔だね」
きょとんとした彼女に、どす黒い感情がこみ上げてきて
思わず呟くと、はそれをきちんと拾ったようで困った顔をした後
ただ
「ばかねぇ」
と言った。
佐助の目を見て言った。
子供に言うように言う目の前の女に、佐助は息を詰まらせる。
怒ると思ったのに。
予想外のことばかり、する。
「面倒みるって、ゆったでしょう?はぐれたからって、置いて帰ろうなんて思わないわ」
続けて、小さな子に話しかけるようにして、は喋る。
その声が本当に優しくて、佐助は愕然とした思いでの顔を見た。
優しい声で彼女は喋る。
信用したくない。
この声を嘘だと思いたい。
強くそう思って一歩下がろうとすると、そのまえにの手が伸びてきて
佐助と幸村の手を取った。
「え、ちょ」
「じゃあ、買い物行きましょうか」
「っていうか、何で手」
「はぐれないでね、動かないでねって言ってたのに
現に、はぐれた上にうろちょろしてたじゃないですか。
私、何回もはぐれた場所に行ったんですよ」
知っている。
分かっていて隠れ続けていたのだ。
わざとだと言ってやろうかと、むくむくと黒い感情がわきあがってくるが
それすらも許されたならば、佐助はどうしていいのか分からない。
「いやだって」
「だってもなにもないでしょ。またはぐれたらどうするの、このお馬鹿っ」
「おば………」
わざとと口に出す代わりに言えたのは、言い訳にもならない言葉で
彼女はそれを一蹴すると佐助を叱り飛ばした。
利己的だと、思っていたのに。
分からない。
自己保身的には、面倒見るより他ないと言った口で
はぐれたらどうするのと、真剣に言う。
本当に、分からない。
分からないけれども、叱り飛ばされるのは久しぶりで
しかも真剣に心配されながらだなんて初めてで、
佐助は胸の奥がむずむずとするのを感じながら、ただ黙って目を伏せた。