はぐれない叫ばない迷子になったら動かない余所見をしない。
これだけ言い含めながら、たちの乗る車はショッピングモールの
駐車場へと止まった。
降りた途端、馬よりもよほど早いと感心して、幸村がべたべたと窓ガラスやら
車体やらを触っているが、見なかったことにする。
の黒いコンパクトカーに、指紋がべったりとついているのも見ない、絶対見ない。
そのうち洗車に行こうと思いつつ、はじゃ、行きますよと地面に降りた二人に声をかける。
車を止めたのは屋上の駐車場で、幸村達を先導しつつ
はエスカレーターとエレベーターと階段を見比べた。
出来れば、エスカレーターか、エレベーターのどちらかには乗せておきたい。
が、エレベーターは密室で、佐助が物凄く警戒しそうだし
かといってエスカレーターは、現代が初めての人に乗せるには難易度が高すぎる気がする。
結局頭の中で消去した結果、階段しか残らず、は指差し声掛け
幸村と佐助を伴って、階段を下りてゆく。
「しかし大きな建物でござるな、しかも人が多い」
「はは、駅前に行けば、もっと人が居ますよ」
「なんと!」
心底驚いた様子の幸村に、くすくすと笑いが零れる。
幸村は、反応がいちいち素直で可愛らしい。
それに対して佐助はといえば、平然とした様子で辺りを見渡している。
その瞳は、どこか鋭い。
これは、不審者を警戒しているなと思いながらも
は佐助の好きにさせる。
佐助が警戒するような不審者など、この平成の世には居ないけれども。
それが彼の仕事であり、身に染み付いた生き方なのだ。
それをどうして咎めることが出来よう。
…………実のところを言えば。
は飛ばされてきた四人に、いたく同情している。
何もかもが違う世の中に飛ばされてきて、
やり残した、やるべきことが向こうにはあって。
彼らを置くと決めたのは、会議のときに語った利己的な理由も嘘では無いが、
それとは別なところで、優しくしたかったのも、真実である。
…決して語りはしないが。
語らない語らない。
は表立って人に優しくするのが苦手だ。
ついつい利己的な理由をつけて、その理由を盾にとりたい行動をとってしまう。
…自分がそんなことをする理由も、直す気がないのもは
自分自身よく分かっているが、ともかく。
は四人に出来るだけ優しくしたいと思っているし、
彼らの生活、生きて来たあり方を尊重してやりたい。
現代に無理に馴染ませる必要は無いと思っている。
「三階が、衣料品コーナーなんで、そこから行きましょうか」
とりあえずそっと声をかけて、アラビア数字で3と書かれた床を踏む。
ワックスの掛けられた床と、靴とが擦れてきゅっという音がたった。
「はぐれないでくださいね」
再三繰り返している言葉を吐いて、それから店舗フロアの方へと進むと
休日であるせいか、人の波でごった返している。
「うわ、多いなぁ」
「すごい人だね」
「はぐれるなといった訳が分かったでござる」
「じゃ、手繋ぎます?」
「遠慮しとく」
ためらいなくばっさりと、しかも考える素振りもなく断られた。
はたはたと顔の前で手を振る佐助に、微妙な心境にさせられながらも
気を取り直して紳士服フロアを指差す。
「じゃ、男性用の服はこっちなんで」
家族連れや、カップル、友達連れの人人人。
その波を軽快にすり抜けながら、は紳士服フロアへ移動する。
その後ろを幸村や佐助がきっちりと着いてきているのを時折確認しながら進んでいると、
不意にの鞄がブルッと震えた。
断続的にぶるぶると震えるその振動の発信源は携帯電話で
しかもバイブレーションの種類から着信であることが知れる。
かしら?
思いながら立ち止まって、鞄を探って携帯電話を取り出すと、
ディスプレイに表示されていたのは会社の文字。
それに多少慌てながら電話に出ると、電話口から聞こえてきたのは上司の薄暗い声だった。
「……お疲れ様です、さん」
「…………お、お疲れ様です……どうしたんです、今日日曜、です、よ?」
「……………休日出勤です」
「は、はぁ。でも出勤予定ではなかったような」
「さんが帰った後に、仕様変更の電話がかかってきてね……」
「…………………お疲れ様です…」
の職業は事務員兼プログラマーである。
…いや、元々入ったときには事務員一本だったのだが
人手不足という伝家の宝刀でもって、あれよあれよというまに兼プログラマーがついたのだった。
そして、事務員で入って開発を行う社員を一年傍で見て、
プログラマーとして現場で二年過ごしてきたには分かる。
どうして上司がこんなに嫌そうな声を出しているのか。
死にそうなのか、その理由が!
客先から突然言い渡される仕様変更、それがどれほど嫌なものか
プログラマーやシステムエンジニア、現場に関わる人間以外には分かるまいが…。
例えるならば、完成した家の一部をぶっ壊して、和室だったそこに
アラビア建築で部屋を作れというようなものなのだ、仕様変更は。
その規模が大きければ大きいほど、現場は死ぬ目を見るが
出来上がったものが電脳空間にある分だけ、客にも営業にも
その大変さが分からないという罠が待ち構えていたりいなかったり。
あぁ胃が痛くなってきた。
みぞおちの辺りをさすりながら
「あの…休日出勤のお誘いですか?」
「いや、作った画面の仕様だけちょっと教えてくれればいいから。
そこを考慮して、バッチ作るから…
プログラム解析してる時間と余裕がない」
「あ、じゃあどの辺りをお教えしたら、宜しいでしょうか」
「在庫の数量なんだけど、どういう計算でやってたかな…
あのほら、未処理数ってあるでしょ、あれはどういう仕様で流れてくるんだっけ?」
「…えぇと、あれは…」
思い出しながら答えると、その後二三質問があって、
上司はいくらか生気を取り戻した声でありがとう、じゃお疲れといって電話を切った。
それを聞きながら、これは月曜のめいいっぱい残業フラグなんだろうかと
携帯電話を見つめ、それからは後ろを振り返る。
「すいません、お待た、せ、し………」
凍りついたの声に、周りを通り過ぎていた家族連れが振り返ってそれから立ち去ってゆく。
その後姿を見ながら、は携帯電話を手から取り落とした。
頭の中の血がざっと下がる。
自分で顔が青ざめたのが分かるのは、初めてだった。
……携帯電話に気をとられている隙に、後ろに居たはずの異訪人二人は
影も形もなくなっていた。
だから、手を繋ごうって、いったのに。
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