教えろといわれても、何を教えていいものか。
真田主従を着替えさせたあと、出かけていった姉の見送りのすんだ
困まりながら、居間に居る来訪者達を見た。
そりゃあだって鬼じゃない。
彼らには殺されかけたし、一緒に住むのに反対の声も上げたけれど
一旦面倒を見ると決めたのだから、不自由がないようにはしてやりたい。
けれども。
話を聞けば、来訪者四人は、戦国の世から来たというではないか。
ならば、下手に平成の知識を教えてしまえば、タイムパラドックスという奴が
起きるのではないかとは考えたのだ。…さっき。
大抵の場合は未来から来た人間が、過去を変えてしまって発生するそれだけれども
過去の人間が未来に来て、未来の技術知識を持ち帰っても
過去は変わってタイムパラドックスという奴は発生するに違いない。
…本、特にSFなんて、全く読まないけれども。
で、自分では結論が出なかったので、ちょっと相談ついでに
出掛けの姉にその疑問をこっそりと聞いたところ
「そこまで考えたくないが、ぜひとも多世界解釈をSFチックに解釈して、それで進めて行きたい…」と
疲れきった顔で言われてしまった。
意味が分からない。
多世界解釈って何と聞くと、量子力学なのだそうだ。
…意味が分からない。
大体、あの人はそんなものは習っていないと思うのだが…。
どこで知識を仕入れてくるのか。
姉ながらよく分からない人である。
とにかく、簡素に説明してもらったところ
鉄火丼とカツ丼で迷ったときに、鉄火丼を食べている自分とカツ丼を食べている自分が
重なり合った状態で交わらずに存在しているのが多世界解釈なのだそうだ。
良く分からない。
が、ともかく姉としては、来てしまったものは来てしまったのだから
何も考えずに教えとけ。ということが言いたかったらしい。
そういうこと?と尋ねると、たっぷりと間をおいた後頷いていたのだから、そうだ。
違うことは分かっているが、あえて無視する。
ちなみにが本来言いたかったことというのは、
ここに来た真田主従、伊達主従の世界と、来なかった真田主従、伊達主従の世界は交わらない。
よって、来た彼らの世界では来ることが正史なのだから、
来なかったという事実はそもそもありえず
ここでの知識によって影響を与えられた未来が、正しい未来であり
過去によって未来が書き換わるような、タイムパラドックスは成立しない。ということなのだが
いかんせん説明の時間が無かったのと、の頭が追いつかなかったのだから、仕方がない。
とりあえず、はそれを聞いて、まあ姉が言うならばそうなのだろうと、お気楽に思った。
こういう選択において、に全幅の信頼を置いている。
自分の迷いは吹っ切って、は一旦自室へ戻ると
ノートとシャーペンを持って居間に戻り、ソファーに腰掛けている政宗と、
その横に控えている小十郎の傍に歩み寄る。
「ん?」
「じゃ、これからここの説明を始めたいと思います、よろしい?」
首を傾げて問いかけると、政宗も小十郎も素直に首を縦に振った。
それを確認してからすとんと、政宗の目の前に座って、
は持ってきたノートを広げる。
「じゃあ、日本地図の説明からね」
言いながらはうにょうにょと線を描いて
日本地図をノートの上に描きだす。
「えっと、今の日本の領土がこれだけ。上が北海道から、下が沖縄。
一都、一道、二府、四十三県に分かれてるの」
「…奥州は…この辺りだな」
「あー山形の辺だね」
政宗が指し示した辺りに頷きながら言うと、小十郎が山形と繰り返す。
「奥州じゃねぇのか」
「うーん…いつまで奥州だったかは分からないけど、
廃藩置県から後はずっと山形だったと思うよ。
あ、廃藩置県は百年ちょっと前のことなんだけど」
「…そうか…」
「…そうなの。んで、今の首都は東京。政府とか、最高裁判所とか
政治の中心で経済の中心は、ここ」
「Ah−…武蔵と下総の間か」
東京の辺りを指差すと、政宗が面白くなさそうにソファーの上に足を持ち上げて
そこに顎を乗せる。
「どうせなら、うちの国をその首都とやらにすりゃ良かったのに」
「っていわれても。とにかく今の日本の中心はここ。
戦国時代…えぇと、政宗たちが居た時代みたいに細かい国に分かれてないで
今は北海道から沖縄まで一つの国なの。
で、同じように政治もお殿様がやるんじゃなくて、
何年に一回か選挙があって二十歳以上の成人は皆選挙権があって
その人たちが政治をする人を決めるの。
県とか市とか国とか色々単位はあるけど」
「Therefore!(だからか)」
「…え、なにが?」
「だから、お前ら姉妹はとんでもなく適当に俺達を扱うのかって、納得したんだよ、今」
言われて思わず、あーとは声を漏らした。
いや、一応お殿様なんだなぁとは認識しているのだ。
伊達政宗といえば、それなりに知名度もあるし、も過去の大名様だときちんと知っている。
けれども、目の前に居る今一柄の悪い兄ちゃんを敬うかどうかといえば
それはまた別の話では無いかとは思うのだ。
この政宗の言う通り。
「…まあ、そうかも。一応今は皆平等って事になってるから」
「平等か」
「うん」
軽く頷く。
「憲法の下に皆平等なのよ。お金持ちも貧乏人も」
「…農民もか」
「うん、当たり前じゃない」
…そりゃあ良いなと、呟いた政宗の声は聞かないことにする。
彼らには彼らの生きて来た時間があって、そこに安易に踏み込むべきでは無いと思ったからだ。


その後タイミングを見計らって、話を進め。
主要交通の様変わり、車、そして飛行機バス大型船の説明をして
交通規則の説明まで済んだところで、政宗がところでと口を開いた。
「……ところで、一つ聞きたいんだが
お前会議のときに一緒に暮らすのに反対したよな」
「したよ」
「で、いやに今、Kindness(親切)に説明してくれたが…どういう心変わりだ?」
「え、どういうって言われても」
問われて、は眉を寄せた。
どういうと言われても、どうもこうもなく。
「だって納得したじゃない、お姉ちゃんに言われてさ。
それからどうこう言うのって、男らしくないじゃない」
「男じゃないだろ」
「じゃあ、潔くないじゃない。
っていうか、お姉ちゃんが言ったこと、言われてみればその通りかなって思うしさ」
「あーあれな」
あの怒涛の勢いで語られた理由を思い出したのか、多少げんなりした様子で政宗が頷く。
「っていうか、あたしあんまり考えるの得意じゃないから。
で、反対に、
先とか、横の方とか、目の前だけじゃなくて
立体的に考えるの、お姉ちゃんすごく得意なのね」
「あぁ、そんな感じだな」
またも、政宗が深く頷く。
会議のときのあの独壇場は、よほど強く彼の心に残っているらしい。
…多少、いらないことまで考える癖のある姉だが
こと考えるという点においては、あれほど頼りになる人も居るまい。
そういう姉を心から自慢に思っているとしては、
政宗の今の間髪入れずの頷きは非常に誇らしくあり、
無駄に胸を張って、大きくそしてにこやかに頷く。
「でしょ?だから、昔っから考えるのはおねえちゃんの役目。
昔からそうなの。だから、今度のことだってお姉ちゃんがそう考えたんだったら
あたしはそれに納得する。
で、そのかわしと言えばなんだけど、考えてもらう代わりに
あたしはお姉ちゃんが考えすぎて出来ないことをやったげるの」
そこで一旦居間の中から言葉が消えた。
そういえば謝らないと、と思い出して
いい機会だからと姿勢を直して頭を下げるその前に。
計ったように静かに言葉が降って来る。
「………出来ないことってのは…
例えば、わざと茶をかけて風呂に入れたりだとか、か?」
内容にぎょっとして見上げると、その言葉を口にした小十郎は
の顔を黙って静かに見下ろしていた。