「しかし、忙しないな」
「そう…だねぇ」
ぽつりと幸村が言った一言に、佐助がしみじみという様子で同意する。
ちらりと横目で見ると、二人ともが国道を眺めていた。
遠いものを見る顔で、走ってゆく車を追いかけてゆく視線に
もまた、車をぼんやりと眺めてみる。
忙しないだろうか。
コーナーを走ってゆく色とりどりの車を前に、は少し首を傾げた。
週末だから、いつもよりもゆっくりと車どおりも少ないように見えるのだけれど。
ただ、には彼らが比較しているであろう、五百年前の戦国時代という奴が
分からないので、ただ口を噤んでいるしかない。
そうなんですか?だとか聞いて、話を膨らませてやるつもりも無いし。
感傷に浸る時間も必要でしょうと、親切めかして考えて
それから道路へと視線を戻そうとすると、しかしと幸村が口を開いた。
「しかし、殿」
「はぁ、なんでしょう」
「某達に一夜、宿をお貸しいただいたのは深く感謝いたします。
ただ、これより先はどうするおつもりなのか…伺っても宜しいか」
あ、来た。
は嫌な問いかけに、露骨に顔をしかめた。
幸村が今問いかけたことは、佐助とが昨夜触れずに先送りした問題である。
切り出して、行くとこないなら置いてあげるよ!なんては言いたくないし
佐助の方も、切り出して出てゆけとは言われたくない。
互いの利害の一致を見て、空気を呼んで黙っていたことを
わざわざつついてくるとは。
空気読みなさいよと思いながら幸村の顔を見ると、
彼は微動だにせず、の答えを待っている。
その顔が意外と幼いことに気がついて、心の中でため息を一つ零してしまった。
今初めて気がついたが、幸村はよりも若そうだった。
大体高校生ぐらいだろうか。
おそらく、五つは下のように見える。
若いなぁ、若い。
だからこんなにまっすぐ聞けるのだろうか。
じっと見つめ返すと、視線がかち合う。
暫く見つめあい、そして先に外したのは、無論だった。
「これから先どうするかって…聞いた?」
「はい。是非お聞きしたく」
「やっぱり、言い方が古めかしいよね」
年下だと思うと、自然と言葉遣いが崩れる。
修正しなければと思いつつ、佐助の方を見ると彼は口を挟むつもりはない様で
ただ黙って座っている。
くそう、逃げやがって。
安全地帯に一人いる佐助を、なんとか引き摺り下ろしてやりたいような気持ちにかられたが
そういうことをしても良いことにはなりそうになく、は理性でそれを押し止めた。
その代わり、一旦置いた湯飲みに手を伸ばして、大分冷めた中身を一気に飲み干す。
「あのですね、えぇと、真田…さん」
様にしようかどうしようか迷いながら呼びかけると、幸村は静かにはいと言った。
その声に、おそらく出て行けといえばこいつは出てゆくだろうと直感して
また、はため息を零す。
まっすぐな人間は苦手だ。
は白黒つけない灰色を好ましく思うが、まっすぐな人間というのは大体白黒つけたがるものだ。
目の前の幸村のように。
「あのですね、私の立場から考えてみて欲しいんですけど。
いきなり人が降って来て、しかも五百年前からきたとか言われて。
普通なら頭おかしいんじゃないので、黄色い救急車呼びますけれども。
そうじゃなくて、…妙な穴が空中に開いて、
突如としてあなた方が降って来たのは私も確認してますし、疑いませんけど。
…………………………………疑いませんけど、この家は、私と妹の二人暮しですし
あなた達武器持ってるし、怖いし、居ていいよなんて軽々しく言えないじゃないですか」
そうでしょうと問いかけると、幸村は首を縦に振った。
そうだろうそうだろう。
全く持って反論できまい。
「でしょう。でも私、お茶も出してるし、土足なのにベッド…えぇと布団にも運んであげたし
これから食べるんだったら朝ごはんでも用意しようかな、と思ってるんですけど」
「え、それは、その」
ぱっと、目がまん丸に開いた。
起きてからこの表情ばかり浮かべている彼に、目が乾かないのだろうかと思いながら
はそっと幸村から視線をはがして下を向いた。
あぁ、言いたくない言いたくない。
「それはその、居ても良いと」
「だから、ご飯だしても良いですよって言ってるじゃないですか。
そういうことです………察せ!」
きっぱりというと、それまで黙っていた佐助がぴゅうっと口笛を吹いた。
「格好いいねぇ、ちゃん」
「…………どうも」
「いやぁ、五百年もたつと女の子も強くなるもんだね、旦那」
「あぁ、いや、そうだな」
佐助の言葉に、躊躇いがちに幸村が頷く。
彼の中で女子に強いというのは褒め言葉では無いらしい。
さすが五百年前。
大和撫子だのなんだのというのが、彼の中では生きているのだと、
天然記念物を見るような気持ちで目の前の男を、少年を眺める。
「でもさすがに俺様も、居ていいといわれるとは思ってなかったなぁ。
これからどうしようかと思ってたんだけど」
「居ていいとは言ってませんよ」
「え、でも朝ごはん出してくれるんでしょ」
「出しますよ」
「夕も出してくれるんでしょ?」
「え、昼は?」
にやっと笑いながら言った佐助に、むっとするより先にきょとんとする。
昼はどこにいったのだ、昼は。
驚きのままに声を出すと、今度は目の前の二人がきょとんとした。
「昼?」
「昼ごはんは?」
「昼に飯など…」
再度問いかけると、幸村が信じられないことを聞いたといわんばかりの顔をする。
その反応を見て、はそういえば戦国時代頃は小氷河期だったと
錆びた記憶を思い出した。
寒冷化のせいで、度々飢饉が起こるような状態では、そりゃあ三食食べられまいよ。
いや、それ以前にさっき夜じゃなくて夕といわなかっただろうか。
夕って、夕方…だよね。
そういえば、この二人が居たのは戦国時代なのだ。
戦国時代に電気は無い。
電気がないということは夜は暗く、手軽に明かりもつけられないということで
するとどういうことかといえば、現代よりも夜が圧倒的に早いということだ。
そしてついでに言えば、朝も早かったはず。
生活リズムが完全に違う。
…というか、それよりも先に、朝も夜も何を出せばよいのだろう。
思ってからは、適当に全てうっちゃりたい気持ちになった。
ここに居ていいよと言外に言った辺り、ある程度うっちゃった気もするが
いやいや、うん。
「ご飯だけでこれだけ違うなんて…」
白ご飯出しても平気だよね。
戦国時代に食肉文化ってあったっけ?
が大いなる隔たりを感じていると、困った顔をしている幸村の横で
佐助がまぁまぁと慰めの言葉を吐いた。
「いいんじゃないの。俺様達、毒でも出されない限りはちゃんと食べるよ
ねえ、旦那」
「うむ、某、食べ物を粗末にするのは好かぬ」
いつでもどこでも全力投球という言葉を
つけてやりたくなるぐらいの力強さで頷いた幸村。
その横で俺も俺もと言いながら、佐助がさりげなく湯飲みに手を伸ばした。
おや、と思いながら見守っていると一口口をつけて、三秒ほど待ってから
「はい、旦那」
幸村の目の前に、自分が口をつけた湯飲みをことんと置いた。
「うむ」
そして幸村もごく当たり前の顔をして、その佐助が口をつけた湯飲みを持って
自分の口元に運んで飲む。
(………あぁ…毒見。毒見かぁ)
一瞬何が起こったのかと、理解できずに目を白黒させていただったが、
やがて答えに行き当たって、あぁーと納得の声を上げた。
昔は偉い人の食事は全て毒見されていたというのは、無論知識としてはあったが
実際目の前でそれが起こってみると、頭の中のそれとはすぐには結びつかないものなのだと
は新しい発見に、自分の中でなんども頷いていた。
そうかそうか、これが毒見か。
…とするならば、やはり佐助というこの男は幸村の部下で
幸村は相当のお偉いさんという事になるのだ。
うぅん、見えないけどなぁ。
と、幸村をこっそり眺めながら思って、自分の湯飲みに目を落とすと
当たり前だが中身は無い。
手持ち無沙汰を感じながら、しかし無いものは無いので
仕方なく視線を窓の方にやると、国道から一台白色のコンパクトカーが
家への道を上がってくるのが見える。
「あ、帰ってきた」
するすると駐車場に車が入ってきて止まるのまでを確認して
はすくっと立ち上がる。
さて、妹のご帰還だ。
なにから話せばいいのだろうと、頭を捻りながら
妹が帰ってきたからこのまま待っていてくれと、
幸村と佐助にが言おうとしたその瞬間だった。
耳を塞ぎたくなるような悲鳴と、そして見知らぬ男の怒号が聞こえたのは。
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