ふっと、眠りから覚める。
覚醒は一瞬だ。
目を開くと、いつもとは違う天井が見えた。
口をあけて寝ていたらしく、口内が乾いている。
薄っすら開いていた唇を閉じて、体を起こそうとすると、頭の上に白いものが立っているのが見えた。
寝転がったまま視線を移すと、濃い茶色の髪をした男の顔が目に入る。
白いものは、彼が穿いている袴であったらしい。
一番てっぺん。
頭まで見終わった後でその彼の纏った赤い鎧に、あぁ、昨日の。と、昨晩の出来事を思い出して
はげんなりとした表情を浮かべた。
夢だったら良かったのに。
まぁそれは、彼のほうも同じ思いだろうが。
腹筋で起き上がろうとして、両手両足を縛られているため
上体だけ起こす形になって、よろめいた。
そこでやっと、そういえば縛られていたのだったと思い出して
手を縛っているコードにがじがじと噛み付くと
ぬめったコードはそのうちに緩んで、あっけなく外れる。
つるつるとしたコードは、たぶん人を縛るのには向いていなかったんだろう
と、解けたコードを見つつも、自由になった手で足の縄も外して、は大きく伸びをした。
冬の寒々しい空気を吸いながら、手櫛で、髪をすく。
布団を出て立ち上がると、後ろで男がぴくりと反応した気配がした。
は後ろを振り返る。
男の手には、いつの間にか槍が握られていた。
…さっき、見たときには持ってなかったのに。
後ろに立てかけていたのだろうか。
考えても仕方ないことを頭に過ぎらせた後、はあーと間抜けな声を上げる。
刺激してはいけない。
彼は、彼らは手負いの獣と一緒で、の行動をつぶさに見張っている。
おかしな行動など、してはいけない。
「あー…猿飛さんは…」
とりあえず、で声をかけると赤い鎧の男は微妙そうな顔をしながら
の後ろに視線をやった。
それにつられて振り返ると、そこには堂々と立つ佐助の姿がある
「…おはよう、ございます」
「おはよ」
にっこりと佐助は笑ったが、その目は相変わらず笑っていない。
おぉ怖いと、気分を急降下させながら、がとりあえずどうしようかと首を捻り
窓に目をやると、外はいまだ暗く、日の出もまだのようにだった。
予定よりも大分早い。
無論、太陽が出てないのだから部屋も暗い。
「えぇと、電気つけてもいいですか」
「でんき?」
「灯り」
「あぁ、どうぞ?」
暗い室内を進んで、佐助の横をすり抜けて壁のスイッチを倒すと
ぱちりと音がして、部屋に煌々と明かりが灯った。
蛍光灯の白い光に、ほっとした思いがする。
のもつかの間。
さてと後ろを振り返ると、顔を強張らせた男二人が目に入った。
あ、電気とか、そういえばないよね。
と今更ながらに気がついて、原理の説明からすれば良かったなぁと反省してみはしたものの。
あれ、蛍光灯って正確にはどうやってついているんだろうか。
電気を通しているのだから、放電で光っているのだろうけれども
結局どうして光っているのか。
はて。
適当に説明することも出来たが、そういうのはは好かない。
とりあえず、身を固くしている二人に、蛍光灯を指差して「灯り」
とだけ言うと、はさっさと扉を開けて居間へと向かった。
…後できちんとネットで調べて教えようと思う。
寝室から出ると、居間。
その奥には台所。
はわき目も振らず台所に歩いていって、一瞬迷った後
冷蔵庫を通り過ぎ、コンロの前に立った。
「ふっふーん」
コンロの下の収納から片手鍋を取り出し、水道の栓を上げると
ドン、ドロロロロと、シンクをたたきながら水が落ちる。
「うわ、何それ」
声に振り向くと、目を真丸くした佐助の姿が横にあった。
「水道ですよ」
「すいどう」
「栓を上げると水が出て、栓を下ろすと止まります」
こんっと、なみなみと水を入れた鍋で栓を下ろすと、水はぴたりと止まる。
それに佐助が目を丸くし、後ろから来た赤い鎧の彼も同じ表情を浮かべた。
ジェネレーションギャップって奴だなぁと、
いささか意味の異なることを思いながら、は鍋をコンロにかける。
ちちちと音を立てながら、青い炎が小さく揺らめく。
それにもまた目を丸くする二人が少し面白くて、はくすりと笑みを浮かべた。
「…一つの動作で、いとも簡単に水が出、火がたつとは…
さすが未来ということなのか…」
「…あれ」
「あぁ、俺が先に話しといた」
赤い男の言葉に、はっとそちらを見ると佐助が手を上げる。
先んじて説明されて、あぁと納得をしたは鍋の方へ顔を戻した。
「どうぞ」
「かたじけない」
「悪いねぇ」
音が立たないように、並々と熱い茶をついだ湯飲みを置いて、は食卓の隅へと腰を落ち着けた。
目の前には、佐助と赤い鎧の男がそれぞれ座っている。
フローリングの床に鎧は違和感があるわぁ。
一夜寝て、余裕が出て来たのか下らないことを考えながら
湯飲みを持ち上げ一口。
「寒い朝には熱いお茶…」
五臓六腑に染み渡ると息を漏らして、それから寝室を見る。
本当はお茶を入れて、あっちに持っていくつもりだったんだけれども。
二人ともついてきてしまったのだから、仕方が無い。
向こうにわざわざ戻るのも、変な話ではあるのだし。
テーブルないしね、と思ってから、もう一口お茶を飲むと
突然赤い鎧の男が、がばりとに向かって頭を下げた。
「某、真田幸村と申す。
突如として現れた某達のようなものに、
一夜の宿を貸していただき、まことかたじけない」
「あぁ、いえ、どうも。です、ご丁寧に、どうも」
床に両手をつけ、正座をし、頭を下げた格好の幸村に
やや引きながらも頭を下げると、幸村は寛大な言葉感謝いたす、と
ますますもって頭を下げる。
どうしたものかなぁと思っていると、彼は暫く後
下げたときとは逆に、ゆっくりとした動作で頭を上げ、座り直した。
「して、佐助から話は一応聞いてはおりますが
某達の居たときから五百年も後とは、本当なのでござろうか」
「えぇと、……多分」
「多分」
繰り返して、幸村が視線を合わせてくる。
その探るような視線に狼狽しながらも、は言葉を捜しながら口を開く。
「えぇと、多分って言うのが、そんなに私も歴史は詳しい方ではないので
武田信玄といえば、それぐらい前かな…という感じで。
とりあえず、百年単位前の大昔、というのは間違いないんですけど」
「……なるほど」
一つ頷いて、幸村は佐助と視線を合わせた。
あ、やな感じ。
もう一口お茶を含んで、は心の中で舌を出した。
幸村も佐助も、お茶に手を付けようとはしない。
多分、このお茶は出すだけに終わるだろう。
百円賭けてもいいと思いながら、もう一口。
そこでは、真田幸村という名前に聞き覚えがあることに気がついた。
さて、いつ聞いたのだろうか。
いつの間にか訪れた沈黙を破ることなく、は思考にふける。
真田幸村真田幸村。
「真田十勇士?」
呟いた言葉に、幸村の表情が僅かに動く。
伺うようなものに変わった気配に、正解を引き当てたのだと勘付いて
更に記憶を探る。
真田十勇士。
確か、徳川の敵だったような。
どこかの何かのゲームでそんな物が出てきたような気がすると、
そこまで思い出したが、それ以上の情報は頭の中からは出てこなかった。
諦めて視線を幸村に戻すと、彼は唇をきゅっと引き結んでいる。
喋る気はなさそうだ。
佐助の方は見るまでもない。
昨日痛感したが、彼は異常なまでに秘密主義だ。
身元が知れるような手がかりは、甲斐の武田信玄ぐらいしか話さず
それ以上を知ろうとすれば、のらりくらりとかわしてしまう。
持っていた湯飲みを机の上において、自然にそちらに視線を写す。
…まぁようするに、腹を探り合い、間合いを計っているのだ、彼らと自分は。
彼らが五百年前、戦国の世から来たことを疑っているわけでもないし
おそらく彼らも、遠く時間を隔てたところに来たことを疑っていない。
ただ、警戒している。
敵意は無いか、殺意は無いか。
気を許して大丈夫か。
殺されはしないか。
…なんと殺伐としていることか。
正直疲れると、ため息をついて天井を見る。
は普通の会社員なのだ。
妙な警戒をしないで欲しい。
むしろ侍らしく横暴に振舞ってくれたほうが、地味に楽なのかもしれないと
相手のジャイアン化を望みながらも、はお茶に口をつけた。
手持ち無沙汰すぎて、お茶ばかり飲んでしまう。
そこいらのスーパーで買ってきた煎茶は、特別美味しくも無くまずくも無い。
寒いときには暖かいと、なんでもおいしいけどねぇ。
現実逃避をしながら、テレビでもつけようかとリモコンを探しかけて止める。
幸村の背後にある槍の存在を思い出したからだ。
…液晶テレビを斬られてはかなわない。
なんと、中に小さな人が!などというお約束の展開を思い描いて
冗談じゃないと頭を振る(無論、心の中だけである)
いやむしろいっそ、私が斬られるのかも知れないと
お得意の悪い妄想をしながらふと後ろに目をやると、
薄っすらとした光がカーテン越しに差し込んできていた。
「あ、日が昇ってる」
なんのけなしにシャッと音を立ててカーテンを引くと、
白く明けてゆく空と、まだ薄暗い外の景色が見えた。
「っ!」
向こうで幸村と佐助が息を飲んだ気配がした。
そんなに特筆すべきところがあったかしらと思いながら、
外の景色を観察すると、なるほど、戦国時代から来た人間に見せるには
少し刺激が強かったかもしれない。
透明なガラス越しに、ベランダの囲い。
その向こうに見える国道と、走ってゆく車の群れ。
電信柱がそれにそって等間隔に並び、電波塔が向こうの山の上には見えた。
畑もあるし、田んぼもあるから都会よりかは目に優しいと思うけど。
の家があるのは大層な田舎で、車がないと生きていけないような土地だ。
市街地に現れて、最初に高層ビルなんて目にしていたら
心臓が止まっていたかもしれないなと、冗談めかして考えてから
はまっすぐ道路を指差した。
「あれが、道路。街道です。灰色なのは、通りやすいように舗装してあるから。
走っているのは車。
動く原理については、良く分かりません。が、動きます。
とりあえず、交通手段です。
生身で当たると死にます。よろしくお願いします」
何をどうお願いするのかは知らないが。
ちなみに、原理についてよく分からないというのは嘘だ。
知識を持ち帰られて、エンジンもどきを作られても困る。
でも説明しても、あんまり理解できないかもなぁ。
真一文字に口を結びながらも、目がまん丸になっている二人を見ながら、は冷たく思った。
→