それから暫し後。
の姿は自室のベッドの上にあった。
情報交換は、あまり実りのあるものではなかった。
結局、佐助はが質問したこと以外は答えなかったし
もまた、彼が居た場所以外はあまり聞き出せなかったのだ。
いや、それは正確な言い方では無いか。
正確に言うならば、あれだ。
は、それ以上何を質問していいのか良く分からなかったのだ。
佐助の職業だとか、なにをしていたときにここに来たのか、だとか
そういったことに、どこまで踏み込んでいいのか躊躇った末に
自分から、もう遅いから明日にしようと、一方的に切り上げてしまった。
「まぁ、いや、あれ。でも反対はされなかったし」
頷いた佐助の顔に、僅かに滲んでいた疲れの色を思い出して
はあれはあれでよかったのだと、自分の行為の正当化を果たしてうんうんと頷いた後
はぁぁあああ…と、肺の中の空気を全て吐き出すような、大きなため息をついた。
結局、男との話し合いでが得られたものは、男が今で言う戦国時代から来たのだということと
猿飛佐助、という彼の名前と、それからが敵で無い、ここが違う時代だという認識だけだった。
いや、だけというのも贅沢な話かもしれない。
彼が、の夕食を踏み潰して現れたときには、死すら覚悟したのだから。
「殺されない、よね」
今更ぶるりと身体を震わせて、は小さく小さく呟いた。
寒気が走ったような気がして、包まった布団を更に引き寄せる。
赤い彼については、なにも聞いていない。
なんとなく、聞けば猿飛佐助の機嫌を損ねるだろうと感じたからだ。
保身はしなくてはいけない。
彼は簡単にを縊り殺せるだろうと、はきちんと認識している。
ゆえに、敵と間違われるような行為、彼がして欲しくない行為は
できるだけ慎まなくてはならない。
勘違いしてはいけない。
現状を認識したからといって、彼に、彼らにの常識が通用するなんて考えてはいけない。
彼らは戦国時代からの来訪者であり、戦というものがこの国にあった頃の人間なのだから。
言葉が通じるからといって、勘違いをしては、いけない。
布団の中で、は眉間に皺を寄せて考える。
に出来ることは、精精自己保身をするための知恵を働かせるぐらいだ。
考えることは嫌いでは無いし苦手ではない。
さて、では考えよう。
突如として家に現れた猿飛佐助と赤い彼。
彼らを警察に引き渡すかどうか。
考えた瞬間、じわりと汗が滲んだ気がしては掌を布団に押し付ける。
警察に連絡するかどうか。
答えは否。
これは勘であるが、例えば警察に連絡をして警官が来て
助かったと警官に駆け寄った瞬間、ジ・エンドな気がする。
何がって人生が。
夕食時に、ご飯を踏み潰しながら現れた佐助に
突きつけられた刃物の輝きを思い出して、は緩く首を振った。
彼は、不利益になったときに躊躇わずに、人を殺せる人だと思う。
酷い偏見かもしれないが。
警察に引き渡さない、ではどうするか。
………。
どうするかって、答えが出ていれば、悩まないのである。
警察に引き渡すのには連絡しなきゃいけないし
でも確実に外に出ようとするとばれるような気がするし、
そうしたら絶対誤魔化せる自信ないしと、自室の扉を閉めた瞬間に
一気に思考したときに、ここまでの結論は既に一度出ている。
それをわざわざベッドにもぐって考え直したのは、その後
どうするかが考え付かないからであって
でも考えても考えても答えなんて出ないし。
いや、答えは出ているような気がするが、でもやっぱりそれは躊躇われる。
だって妹のにどう言えと言うのだ。
この人たち、ちょっと一緒に住まわせて、ご飯とかも食べさせたりして
つまり、ちょっと男二人養いたいんだけど、など。
「いや、そういえば良いのか!」
良くない。
え。なに。騙されてるの?脅されてるの?何やったの?と
怪訝そうな目つきで見てくる妹の顔が、目に浮かぶようだ。
しかも格好があれだし、鎧と迷彩だし。
どうしようかな、でも夜勤だから、朝になったら帰って来るんだよねと
悶々としていると、ふとベッドの奥の暗闇が視界に入った。
電気を切った部屋の、隅。
微かに灯る充電中の携帯電話の灯りも届かないそこ。
そこを目にした瞬間に、ふととある考えがの頭を過ぎった。
問題は。
問題は彼らだけではない。
彼らより厄介で、考えたくない問題がもう一つある。
あの穴と、指。
何かも分からないあれがまた現れて、…例えば、睡眠中の自分の足を掴んで
あの混沌色の穴の中に引きずり込んだとしたら?
筋肉のさらけ出された指が、自分の足首にかかっている様をリアルに想像して
は全身の毛を逆立たせた。
「うっ…!!」
蛙を潰したような声が自然と漏れて、は思わずベッドを後ずさる。
あの底知れない暗闇から、ぱかりと混沌色の口が開いて
筋肉をさらけ出した指が、なでるように暗闇を彷徨う。
それがひたりとベッドにかかり、緑色のベッドカバーにべっとりと血をつけ、這い登る。
無防備にさらけ出された足首は、従順な獲物として
その指先に与えられるのだろう。
考えただけで、目の前が真っ暗になるような気持ちだった。
そう、そうなのだ。
今初めて気がついたが、一人で寝るということは
あの穴と指が現れても、自分ひとりで対処しないといけないということで。
いや、大声を出せば、さすがに佐助が様子を見に来る知れないが
(あくまでかも、である)
しかし、大声を出せる自信がにはなかった。
だって怖い。
掠れた、小さな声で助けてと喘ぎながら混沌色の穴に引きずりこまれてゆく
自分の姿を夢想して、は、そろりと、足を床につけては一歩、ベッドから遠ざかる。
足元をしっかりと見て、びりびりと警戒しながら一歩、また一歩。
穴は無いか、不審なものは無いか。
しっかりと一歩一歩確かめながら、は躊躇いも無く両親の寝室、猿飛佐助と赤い鎧の彼が居る部屋へと飛び込んだ。
「っ!」
「怪しいものではありません!」
深夜に迷惑くな大声を出しながら、身構える佐助に目もくれず
は丁度彼と赤い彼の居る方とは間逆にある押入れを勢いよく開くと
客用布団をばさりと乱暴に取り出し、床に落とす。
それからそこらに転がっていた掃除機の電源コードを乱暴に引っつかんで
は佐助の方へそれを、ずいっと差し出した。
「……あのさ、何がしたいの」
「縛ってください」
「は?」
「これで私を縛って、身動きできないようにした後、この部屋に置いてください」
「はぁ?!」
「だって怖いじゃないですか、なんですかあの穴。
無理ですよ、一人で寝るとか。寝てる間にあの穴に引きずり込まれたらとか考えたらもう駄目無理死ぬ。
あの指がひたっと足の上に置かれて、一瞬で悲鳴を上げる間もなく穴に引きずり込まれるんです。
暗闇見てたらその想像ばっかりで、一人で居るとかホント無理。
だからこの部屋においてください。身動きできないように縛っていいですから。
もう後生です。
お願いですから!」
大声で言い切ったに、佐助はなんとも言えない目で、
なんともいえない表情をして口を開いた。
「よく…」
「はい?」
「よくそんな想像できるね」
「………えぇ、うん。よく言われます」
呆れたというより、疲れたような口ぶりに、はなんとも言いようが無い気分を味わいながら
それでも彼に電源コードを押し付ける。
「でもだって、怖いじゃないですか、あれは」
「俺たちより?」
「よほど」
嘲笑うような色を浮かべた瞳を前に、は大きく頷いて
その手にコードを握らせた。
人が何より怖いと、良く言うが。
人よりも化け物の方が怖い。絶対怖い。
少なくとも今のにとっては絶対に。
佐助は骨ばった手で、電源コードを受け取ると、を伺い見た後
の両手をコードを持っていないほうの手で、胸の前に促して揃える。
無言の了承に、ほっと一息をついて大人しくされるがままにしていると
「あのさ」
「はい」
「なんで縛ってもらおうなんて思ったの」
ぐるぐるとコードで縛られていく手においていた視線を上げると、
橙色の髪の毛が目の前にあって、ふわふわと揺れている。
「そうじゃないと、怖いと思ったので」
それを眺めながら、ごまかしも無く答えると、ふぅんと気の無い相槌が返った。
「怖いって、何が」
「あなたが」
橙色の隙間から、底冷えのするような目が見えた。
ぞっとする思いでそれを見ていると、また、ふぅんと気の無い相槌を佐助は打つ。
「俺が、あんたを怖がるってこと?」
「いいえ、全く。そうじゃなくて、自由な状態で寝てると
寝返り打った瞬間に、曲者扱いされて殺されたりしないかなという意味で、あなたが怖いです」
…沈黙が落ちた。
おおよそ三十秒。
くるくると食い込むぐらいに電源コードを巻き終えるまで、一言も佐助は喋らず
そしても口を開かなかった。
そして、ようやく巻き終えた佐助がゆっくりと顔を上げて、の目をひたと見据える。
「…あんた、よくそんな想像できるよね」
「………えぇ、よく言われます」
頷くと、しかし佐助は続けて
「でもまぁ、あってるけど」
と呟いたものだから、は理不尽な扱いを受けた気がして愕然とした。
あっているならば、が阿呆の子であるような物言いをしないで欲しい。
「あのさ、切っていい?」
不当な扱いだと思っていると、佐助はぴんと張り詰めてしまった電源コードの先の掃除機を
が答え終わる前に、いつの間にか手に持っていた物で叩ききった。
ぷつりと切断される電源コードの先にあるのは苦無で
はあ、この人忍なんだと今更ながらに思ったが、口に出すのは控える。
「足は向こう行ってから縛るから」
促されて、素直に乱暴に出した布団のところまで行って
足で押入れを占めて、足で布団を広げて敷くと、微妙な顔つきの佐助と目が合った。
しかし気にせず、縛られた手で掛け布団をどけながら、
敷布団との間にもぐりこむと、佐助はいずこからか取り出した縄での足を固く縛る。
最初からそれを使ってくれれば良かったのではと、斬られた電源コードを見ながら
は少しの間だけ思ったが、彼が懐からだした縄は、ちくちくと痛かったのですぐに思い直した。
もう一個ケーブル出してくれば良かった。
後悔に沈みながら、見下ろす視線の先にある表情の読みにくい佐助の顔を見て
あっっと思いついては眠る前に、彼に話しかける。
「あの、猿飛さん」
「なに」
「妹が、居るとお話しましたが、その妹、夜勤で明日の朝になると帰ってくるんです。
で、ですね、その前に」
ちらりと赤い鎧の男に目をやった。
微動だにしない彼は、良く眠っている様子だ。
言いたいことが分かったのか、あぁと呟いた佐助に、それでと畳み掛けるようには言う。
「先に説明をしておかなければ、ややこしくなると思いますので
出来れば事情を説明したいんですけど、今日はもう寝るので
明日の朝五時ごろから、よろしくお願いしたいんですが………」
は、六時半に帰ってくるから、と思って見ていると
佐助は戸惑ったようにごじ?と首を傾げる。
その様子に、そういえば昔は時間は刻とか言うのだったと思い出して、
それからは困り果てた。
刻なんて、言い方が分からない。
時代小説でも読んでいればよかったと思いながらも、うんうんと唸って
結局は少し妥協をすることにした。
「えぇと、とりあえず、日が昇ったら起きるということで」
「あぁ、じゃあ。そういうことで」
「はい、そういうことで。よろしくお願いします」
縛られたまま頭を下げるが、佐助は既にに向かって背を向けていた。
おやすみなさいと言ったほうがいいだろうかと、
機嫌取りを考えつつも、は結局黙って目をとじることにした。
なんとなく、口を開くのが億劫になったからだ。
あぁ、なんてついていない日かしら。
くしくも、休前日の金曜日。
明日から楽しい二連休であるというのに。
くそう、どうしてこうなったのだと、考えながら目を閉じると
瞬間的に眠りの波が訪れて、の意識はあっという間になくなってしまった。
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