「あの、です」
「猿飛佐助」
膝に肘をついて、頬杖をしてこちらを見てくる無愛想な彼は、
しかし敵意めいたものは消していた。
かわりに、ちらりちらりと伺うような視線を投げてくる。
こちらも、ちらりちらりと伺う視線を投げているのでお相子だと思うが。
二人が座っているのは居間の隣の寝室である。
のでもないし、妹ののでもない。
死んだ両親の寝室だ。
自分の部屋にも、妹の部屋にも入らせるのは躊躇われたとはいえ、
本当にここに案内したのが正しかったのか、には分からない。
が、それをいつまでも気にしている余裕も無いのもまた事実だった。
早急に、情報交換を済ませなくてはならない。
何故かといえば、妹が帰ってくるからだ。
この二人がどこから来て、どこに帰せば良いのか。
一晩泊めるのか、それとも歩きで帰れる距離なのか。
夜勤明けの妹に苦労をかける前に、決めれるところは決めて、さらっと問題解決を。
…………いや、いやいや、本当は分かっているのだ。
でも目をそむけたいものもある。
例えば、最初に突きつけられた馬鹿でかい手裏剣だとか
赤い彼の槍だとか。
ご近所さんには間違ってもいない、むしろ日本には生息していない類の
人種であるというか、あれ…大昔にはいたようなあれ。
あれ。
あれ。
あれ。
「あー…」
「うん」
「大変なんか、色々と、聞きたいことはあるんですけど」
「あんまり話せること無いよ」
「とりあえず、あの彼とあなたって、知り合いなんですね」
「断定系か」
目線で赤い彼を示すと、嫌そうな顔をしながら、佐助と名乗った男はに言う。
「さっき、触らせてくれなかったですし」
先ほどのことだ。
居間に落ちてきた赤い男を、とりあえず動かそうと手を伸ばすと
佐助はさりげなくの手を払い、赤い男を担ぎ上げて
案内するままに寝室へと運んだ。
その上、罠を警戒してか、それとも背後をとられるのを嫌ってか
を先に寝室に入らせ、かつ自分の身体を盾に出来るように
さりげなく、あくまでもさりげなく自分の肩から部屋に入る徹底振り。
気がつかない人間も居るかもしれなかったが、猿飛佐助には残念なことに
はその辺りは聡い女だった。
正座をした腿の上で手を組み合わせ返答を待っていると、
暫くの後に、はんっと佐助が鼻を鳴らす。
「触らせるわけ無いでしょ。あんたが間者じゃないって証明されたわけでもなし」
「間者」
「…なに」
佐助の言葉の一部を繰り返すと、じろりと見られる。
「さっきのお家断絶でも思いましたが、あれですね。
猿飛さんは非常に古風な物言いをされますね」
「は?」
「古風というか、前時代的。まるで昔の人のような」
「なに、俺のこと馬鹿にしてるの?」
どうでも良さそうな顔をして、佐助がを見る。
も佐助を見る。
視線が絡み合って、それを離さず、はどうしようかなぁと思った。
思うだけ。
悩んだふりで。
「あの、神隠しってご存知ですか」
「知ってるよ」
「そっくりですよね、今の状況。いきなり元いた場所から離されて、普通はそのまま行方不明だけれども
時々あるように、忽然と違う場所に現れる」
「そうだね」
「時を越えることがあるとご存知ですか」
「知ってるよ」
「……言いたいこと、分かりますよね」
本当は、はとっくの昔に答えにたどり着いていた。
猿飛佐助も、多分そうだ。
二人して、答えを先送りにして、嫌な事実から目をそむけているだけに過ぎない。
いつかと言われれば、無論、あの穴から赤い鎧の、眠り続ける男が落ちてきた辺りだろう。
筋肉がさらけ出されたあの指を思い返して、ぶるりと震えを走らせながら
は佐助の眼を見た。
言葉遊びは、もう終わりだ。
佐助は、少し前ののようにぼんやりと視線を部屋の中に漂わせた。
ベッドだとか、テレビだとか、エアコンだとか、クローゼットだとか、箪笥だとか
部屋にあって当たり前のものを、彼はじっと眺める。
まるで、一つ一つをなぞって、一つ一つを重ね合わせて、
自分の記憶にあるものを探していくような、頼りなげな視線だった。
少しの時間だけ、そうして感傷に浸って、それから嫌そうに顔を歪めて
悔しそうに、佐助はに向かって頷いてみせる。
「そうだね。…あんたの着てる服も、この部屋も、俺は見たことがないものばかりだよ
北も南も、どこもかしこも俺は行ったことあって
見たことないものなんて、数えるほどしかないってのに」
「その、数えるほどしかない見たことないもののうちに、この部屋は入りませんか」
「見たことないものが多すぎる」
「何に使うのかも分からないものも?」
「多すぎる」
即答だった。
もはや、彼はここが自分の居た場所ではなく、途方も無く遠く遠い場所だと
完全に認めているのだ。
ははぁ、と安堵の息を吐く。
正直に言えば、へなへなと倒れこんでしまいたい気分だった。
ひょっとすると、最初の時の二の舞も覚悟しなくてはいけないかもしれないと
思ってはいたのだ。
少しだけ。
いやだったけど。
「あぁ良かった」
こっそりと呟くと、それでも聞きとがめた様子の佐助は、
何も言わずにただ、ベッドに横たわる赤い鎧の彼へと視線を走らせるだけだった。
どういう関係なのか。
聞こうかとも思ったが、あまり触れても良い事は無いかもしれないと思いなおして
次の問いを探して引き出す。
「えぇと、そうですね。猿飛さんは、いつから来ましたか」
「いつからっていうのも、難しくない?」
曖昧すぎると無表情に切り返されて、そういえばそうだと頷いた。
いつから、だなんて。
例えば使っている年号なんて、には分からないかもしれないのに。
いや、そもそも昔の時代って、使ってる年号を下々まで皆認識していたのかどうかすら危うくないだろうか。
自分の失態にようやく気がついて、
歴史はいつでも平均点のは、えぇとと、つなぎの言葉を無意味に吐き出す。
「えぇと。そうですね、では、どこから?」
「それで、地名を言って、あんたは分かる?」
「私が今分からなくても、後で調べるので」
「そう。…武田信玄公の甲斐の国から」
「武田信玄、ですか。えぇと、とても有名なので私でも分かりますよ、それは。
具体的に何県かといわれれば全く分かりませんが。
時代的には、…………………………いちごぱんつだから、五百年ぐらい前です」
武田信玄について詳しくは分からない。
ただ凄くて風林火山で、塩を送られた人で、戦国時代の人。ぐらいしか。
だから、戦国時代で一番覚えている年号で時代を示してやると
五百と、口の中で音を転がして、佐助は押し黙った。
は正座していた足を崩して、天井を見つめる。
随分と、嫌なことになったものだと正直に思う。
あぁ、嫌だ嫌だ。
他のところに出てくれれば。
そう思うものの、可哀想だと思うのも、また事実だった。
五百年。
五百年である。
産業革命もおきてない、諸外国がたしか大航海時代真っ只中で
南蛮貿易とか火縄銃とか言ってる辺りから、平成の御世だ。
哀れとはこういうことかと、時代にそぐわない格好をした男を見る。
人を脅すことに随分と慣れた様子の男だと思う。
それが、平成の。
しかも日本。
ただ、哀れだ。
平和を享受する街の様子を思い浮かべて、はただそっとため息をついた。