家で一人でご飯を食べていると、迷彩柄がいきなりそれを邪魔してくるというのは、
どういう状況なのだろうかと、はぼんやりと考えた。
考えざるを得なかった。
残念なことに、の目の前でおいしそうに湯気を立てていた茶碗も、
ぶり大根が入っていた皿も、全て迷彩柄の服を纏った男の足元で、
ぐちゃぐちゃに散乱していたので。

つかれきった身体で作ったご飯が、見も知らぬ男の足元で、
ぐちゃりと潰れているという事実は、予想外にをへこませる。
つらい。
何がつらいって、一月前に親が死んで、葬儀をして、色々大変で
それなのに今日仕事でトラブって(しかも自分のせいですらなく後輩のせい)
がんがんに体力を消費してきたというのに
さらに家でも体力を消費するのがつらい。
ほんとにつらい。
ほんとはもう何も、考えたくないのにと思いながら
ぼんやりとしていると、横に違和感を感じて視線を滑らす。
と、そこには鈍く光る金属が首元にあった。
やはりぼんやりとしながらも、あぁ、強盗だったかと内心頷き
視線を目の前にやった。
答えは最初から出ていたが、突如、まるでふって沸いたように現れたことと
それからここ暫くの心労続きで、まだ問題が起こるなどと、現実を認めたくなかっただけだ。
預金通帳はたんすの引き出しの中で、暗証番号は1234ですよと、
言われる前に教えてしまおうかと、やはりぼんやりとが考えたとき、
目の前の男が動く気配がした。
「あんた誰。ここ、どこ」
短い苛立ちを含んだ声は、予想外に耳障りがよく。
そんな予想外はいらないだろうと、を苛立たせる。
疲れてるのになと、ぼんやりとしながら思って。
それから……
「え、ここどこって」
は、ぱっと強盗を振り仰いだ。
あんた誰も、ここどこも、強盗の言う台詞ではない。
居眠りをしかけた後の、唐突な覚醒のような目覚めがを襲う。
というか、こいつはそもそもどこから現れたのだという根本的な疑問が、いまごろの頭の中を掠める。
が居るのは、自宅の二階の居間で、階段も、他の部屋の扉もさえぎるものなく前方にあり、
背後は窓だけで、窓の鍵はすべて閉まっていて、男が潜めるような場所はどこにも無かったはずだった。
ようやく、事態の異常に気がついたが見た男は、
橙色の髪に、妙な模様を顔につけ、迷彩服を着た、みょうちくりんな男だった。
ある意味、現状に相応しい。
この時、男を見てが思った言葉は、え、なにこれ。である。
意味が分からない。
ぽかんと、口を開けて男を眺めると、男はそのの反応に苛立った様子で
「あのさぁ」と、口を開く。
「あのさぁ、質問に答えてくれない?
まさか首元のそれ、忘れてないよね」
言われて、はてと首を傾げながら先と同じように横に視線をずらして
二秒三秒固まってようやく、は首元に突きつけられた金属の、刃物の存在を思い出して
「うわぁ!?」っと、年頃の女らしくも無い悲鳴をあげた。
「…うわぁ、じゃなくて。質問に答えてくれない?
斬っちゃうよ」
最初の問いかけよりも、幾分か低くなった声で男がに言う。
それを耳に入れて、はぞわりと背中が総毛立つ。
彷徨っていた思考が、そこで初めて現実に追いついて、冷や汗がダラダラと背中を滑り落ちた。
「あ…あぁ…と」
言葉を捜しながら視線を彷徨わせつつ、は男の足元に目をやった。
男の足元は、随分と薄汚れていて、草が多量についている。
山から来たのだろうか、それとも竹やぶを通って来たのだろうかと
心当たりがありすぎる己が住居の建つ地域の、田舎ぶりを恨みつつも
男の質問を記憶から引きずり出す。
「えぇと、私が誰かといわれると、ここの家の家主なんですが」
「家主?あんたが?」
「えぇ、と、はい」
まさか遮られるとは思わなかったところで声を上げられて、
身体を縮こまらせながら頷くと、男は訝しげに眉をしかめた。
「あんたさ、農民とかには見えないんだけど…
なに、あんたのところって、男子ができなかったの」
「あぁ、はい。私と、あと妹が一人」
ふぅんと頷いた男は、やはり訝しそうな顔をして、こちらを見た。
「じゃあ、普通お家は断絶なんじゃないの」
「だん、ぜつ。随分と、古風なことを」
古風なことを言うと、は思った。
状況も弁えず。
今時、男子が居ないからといって、断絶だのという家も少なかろう。
なぜだかざらりとした違和感を覚えながらも男の顔を見上げると、
男は本当に訝しそうな表情をしてこちらを見ていた。
ざらり。
「じゃ、次」
「は」
「あんたが誰かは、本当はそんなに重要じゃない。
どっかの忍で、これ、幻術かとも思ったけど、そんなこともなさそうだし?
…あのさ、ここ、どこ」
いぶかしむ表情は消して、代わりに男は薄っすらと笑みを浮かべた。
それは一見すれば人好きのする、感じのいい笑みであったが
目だけは底冷えするような光を宿していて、かえっては全身を硬直させた。
この男は、とても怖い。
多分、答えても答えなくても、斬られるのは斬られるだろうと、
半ば確信めいたものをこの時は得たが、そのまま口を閉ざすことを男は許さなかった。
口元の笑みを深めることで、に無言の圧力をかけ、
はそれに三秒もしないうちに屈して唇を割った。
「…えぇ…と、ここは==県の、==郡で、==町の132ですけど」
「なにそれ、ふざけてんの」
が、口を割ったというのに、男は帰って苛立った様子で
首もとの刃物を動かして、の髪の毛を数本切り落とした。
ひらひらと舞ってゆく髪の毛を眺めながら、はようやく刃物としか認識していなかった
男の凶器を視認する。
それは、ばかみたいに大きい手裏剣にしか見えず
は思わずえぇっと声を上げかけて、それを堪えた。
大声を出したら、死ぬ。絶対死ぬ。
必至の思いで堪えていると、うぐぅという奇妙な声が喉から漏れる。
「…あのさ、ふざけてるんなら、もう一回機会をあげるよ。
竜の旦那風に言うなら、チャンス?
俺様が聞きたいのは、ここがどこの国かってこと。
けんって、何。数字言って、何が言いたいの?ねぇ、ちゃんと答えてくれないかな」
男が笑んだ。
いや、元々唇を吊り上げ微笑んではいたが、それよりも強く
満面の笑みといえるような表情で。
しかし、その表情に対して気配は酷く剣呑で、は思わずひぃと悲鳴を上げる。
怖い、なんだこれ。
国って何だ、日本に決まっているだろう。
お前は誰だ。お前こそなんだ。
決まりきっている答えを聞いてなんになる。
問いかけてやりたいような気もしたが、それを問えば命もなくなるという気がした。
それに加えて、男が気違いでは無いという確信もあった。
男は真剣にに問うている。
ここがどこで、多分、己はどうしてここに居るのか。
は言葉を捜して、暫く視線を彷徨わせていたが、
結局男の問いに相応しい言葉を見つけることはできない。
あぁ、これは、死んだなぁ。
例えば、大型トラックがわき目もふらずこちらをめがけてきたら、
こういう気分になるのだろうかと思いながら、は我知らず口を開く。
「あ、あの」
「ん?」
「…私、一月前に両親を亡くしておりまして、妹と二人暮しなのです。
あの、今、死んだら、妹の面倒をみれるものが、誰も」
居なくなるという前に、男がしたり顔で頷く。
「それは、大変だったねぇ」
で、だから?
命乞いをする前に言葉を遮り、にこりと、笑った男の表情から読み取れる言葉に、あぁもう駄目だと思った。
何回目か、数えるような余力は無いが、本日何回目かの「あぁ、もう駄目だ」だ。
もう駄目だ、これは。詰んだ。
死ぬ、絶対死ぬ。
これを思うのは二回目だが、には答えが無い。
答えを出す情報を、彼はくれない。
今まで考えられていた脳みそが、段々と現実に追いついて混乱する。
がまともにものを考えられていたのは、ここのところ
正確に言えば、一月前に両親が他界してから、やれ葬儀だのやれ相続問題だのを
片付けながら、寝る間もなく働いていて、脳みそが正常に働かなくなって
段々と、脳みそが現実を認識するまでに時間がかかるようになったせいで
決してが冷静だからだとか、そんな理由ではなく。
それならば、現実に脳みそが追いついたのならば、働かなくなるのは道理で。



しかし、にとって幸いで、目の前の男にとって最悪であったのが、
いつの間にか、ぽかりと男との真上に、口を開けた混沌色の穴であった。
その穴から、肉色の指が、のろりと先を出して