「一応秘密裏の旅だからねー。俺のことは源太郎、官兵衛殿は万太郎でよろしく」
結局なし崩しに今川までの旅路に混じっている半兵衛が、城下を出てすぐに言いだしたことに
義子は脱力する思いで彼を見た。
…ネーミングセンス!!
突っ込み掛けた義子だが、ネーミングセンスは明らかに外来語である。
それで突っ込むわけにもいかないし、日本語、日本語でネーミングセンスってどう言えば。
明らかになんか違う所で彼女が悩んでるうちに、じゃそういうことでと半兵衛は義子の肩を叩いた。
もはや決定事項のようなそれに、官兵衛の顔を見るが
彼はもはや半兵衛のやることに、諦観を持って付き合うことに決めているらしく
「私に振るな」
凪いだ瞳で言われて、義子はふぅぅっと思い切りため息をついたのだった。
なにこれ。

いや、半兵衛が言っていることは正しい。
今川義子はともかくとして、竹中半兵衛、黒田官兵衛は有名だ。
おまけに両名ともに目立つ容姿をしているのだから、警戒してしかるべきではある。
…が、ネーミングセンス。
幼名の一文字目をくっつけて何とか太郎って、織田領の流行りなんだろうか…。
京で会ったときに、信長が吉太郎と言う隠す気の無いふざけた偽名を使っていたのに
義子は遠い目をしてもう一度ため息をついた。
彼女はまだ知らぬことだが、いつかの日に会った松太郎も毛利元就という大名で
幼名足すなんとか太郎なのだけど…。
まぁ、関係の無い話。
彼女の頭を更に痛くするだけの話だ。
しかし、ネーミングセンスはともかくとして、彼のいっていることは道理なのだから
義子が従わぬ理由が無い。
「…では、これよりは源太郎殿と万太郎殿で。
私も一応は義子だけ…というわけにもいきませんよね」
「うん、お願いだから、せめて殿はつけさせてね」
年からいってそれが相応なのだけど(半兵衛の容姿については無視する)
まさか今川の姫君を呼び捨てるわけにもいかない半兵衛は、それを拒否した。
それを分かっていたからこそ、そう言うわけにもいかないと付け足した義子は軽く頷き了承して
官兵衛もまた異論無い様であったから、三人の短い旅での呼び方はこのように即決された。


そうして城下町を出た一行は、街道をひたすらに歩き、次の宿場町までたどり着いた。
織田の力は商人によって支えられている所も大きい。
よって、どこの町でもそれなりに商売人が居て、賑わっている。
美濃も信長の統治が短いにもかかわらず、金の匂いに釣られた商売人たちが
多数参入してきているようで、そこそこ天秤棒を担いだ物売りなどが見られた。
それらを横目で見ながら、義子は随分と今川とは違うと思った。
行きしは銭を失ったことあり、町には全く近づいていなかったから見れなかったが
こうして眺めて見ると、一度出たきりの今川の城下とはまったくもって、違う。
やはり町と言うのは領主の性格がでやすいのか
特に大名お膝元の今川の城下は、雅で落ち着いている。
京から逃れてくる公家が多いことも影響しているのだろう。
何処となく優雅で落ち着いていて、活気はあるが騒がしくは無い。
だが、ここときたら、すこぅし雑多で混沌としていて熱があり騒がしい。
それは義子が行きに織田の豊臣秀吉らに感じたのと同じ感想であり
勢いがある、ということなのだろうが。
町一つとっても、違うものだ。
いや、もしかしたら義子が今川の城下に一度出たきりだから
感じている今の感想と言うのは間違いなのかもしれないけれど。
そこまで考えた所で、ふと、なぜ一度きりしか出てないのだろうと義子は思う。
機会が無かったから?
それは確かにそうだ。
だが、義子はこれから今川を支える氏真の横に立つのだから
そこに暮らす人のことをもっと知っておかねばならないのではないだろうか。
ふと、浮かんだ考え。
今までは全く浮かぶことの無かったそれに、義子は何故今まではそれを思いつかなかったのか
考えようとしたが答えは出なかった。
…何故だろう?
見ないと分からないことは山のようにあるのに。
しかしいくら考えても答えが出ないので、仕方が無いと諦めて
義子は今川に帰ったら城下に出ても良いか、義父に聞いてみようと結論付け
自らが思考の迷路に迷い込むのを阻止する。
考えても答えが出ないものを考えるのは、宜しく無い。
すっぱりと思考を終わらせて、それから義子はきょろりと辺りを見回した。
今川とは違う景色。
歩いている者が着ている着物も、趣味が違うのか今川よりも派手目なものが多かった。
「…国が変われば着物も変わるものですね」
「あ、そういうの義子殿でも興味あるんだ?」
「いえ、全く」
「…え?」
でも、というのが気にかかるが、呟きに反応をした半兵衛に向かい
義子はきっぱりと否定した。
着物と言うか、着飾ることに興味はない。
それに、半兵衛が目を見開くので、念のために義子はもう一度否定する。
「いや、違うな、と思っただけで興味があるわけでは全く」
「二回も繰り返してくれなくていいよ。っていうか、本当に?全く?」
「全くもって」
「いくつだっけー。十三だよね?」
年頃の少女でしょう?と遠回しに問いかけてくる半兵衛は正しい。
義子が見かけどおりなら。
ただ、今川義子と言う人間は、見掛け上、十三よりも小さな少女だが
中身は半兵衛達とそう変わらない歳をした女だ。
今更着飾ってどうなることやら。
あと純粋に興味もない。
だから、半兵衛には申し訳ないが、真っ当な彼の言葉には義子は頷けず。
「………と、言われましても。興味が無いのですよ」
「だが、着飾るということは分かりやすく権威を示せる手段でもある。
興味が無いでは済まされるのはいつまでのことか」
けれど、どこかずれている官兵衛の言葉には即座に反応をした。
「…む。幸いにして、未だそういう場面にはかち合ったことが無いのですが」
「いずれそうなるだろう」
「………なるほど。心に留め置きます」
きりっとした顔で会話をしている二人だが、その内容はどう考えてもおかしい。
着飾るって、そういう権威を示すための手段でするものであったっけ?
いや、そういう場合が無いわけでもないけれども
少なくとも女性が着飾るのは、美しく見せたいからだろう、どう考えても。
だけれども、義子はそういうものか、ならば仕方が無いという顔をして
官兵衛は官兵衛で素直に聞き入れた義子に満足そうに頷いている。
本来であれば、年頃の少女がよっし着飾ろうかな!という具合に微笑ましい話題になるはずが
何故か空気殺伐。
「…ちょっと、二人とも。なんで普通に会話してると殺伐とするわけ、ねぇえ!」
おまけに二人ともがそのまま話題を終わらせようとするものだから
仕方なく半兵衛が突っ込めば
「え、殺伐としてますか、普通ですよね、万太郎殿」
「あぁ」
二人してそういう反応を返すものだから、半兵衛は思わずうっわと叫んだ。
ある意味駄目人間の官兵衛と肩を並べるぐらい駄目なのがいるとは思わなかった故のうっわである。
うっわ。
「うっわ、うっわ!気が合うんじゃないの、二人とも」
「………」
「………」
そうしてうっわと叫ばれた二人は、お互いに目を合わせた後無言で押し黙る。
官兵衛の無言は半兵衛には言われたくない上に、この少女と気が合うとは思えないという理由の無言であり
義子の無言は、挨拶事件で他人の神経逆撫でしまくっていた官兵衛と気が合うのは嫌だし
こちらに興味が無い彼と気が合うとも思えないという理由での無言だ。
ある意味気が合っている。
けれども両名とも黙っているのには変わりないため
半兵衛はため息をついて額を抑えた。
…己の主豊臣秀吉が、官兵衛のみに護衛を任せた場合に要らぬ口を叩いて神経を逆なでした時
とりなす人間がいないということに気がついて、半兵衛を遣わせたのは、杞憂だったと思いながら。
おそらくとしてこの男とこの少女では、喧嘩一つもしないだろう。
お互いに、関わり合いにならないから。
だけれども、それでは間に挟まれる半兵衛が窮屈すぎる。
「もーなんでそこで黙るわけ?俺、万太郎殿一人で手いっぱいだよ?!」
「誰も面倒を見てくれともいっていない上、みられている覚えもない」
「うっわ…」
だから自分のために、官兵衛だけで手いっぱいなのだからお前らもっと頑張れと言えば
物凄い返答が、よりにもよって官兵衛から返ってきて
半兵衛は開いた口がふさがらなくなった。
え、この馬鹿何言ってんの?
そうしてそれは義子も同様で、みられている覚えはないは、いくらなんでも間違いだと思う。
明らかに、なにかれとなく世話を焼かれているように見えるのだが。
「…………万太郎殿、あなた、源太郎殿にこの間
挨拶が云々と言われていた際、とりなしに入ってもらっていたような気がしますが」
だから、助け船を出すつもりで官兵衛に向かってそう言えば
半兵衛があれ?と声を出した。
「あ、あれみてたの?」
頷く。
「はい。大声がしたので」
そういえば、挨拶の件を見ていたのは誰にも言っていなかったのであった。
まぁ、伏せておくことでもないからどうでもいいのだけど。
思いながら肯定して、釈明をすると、半兵衛は義子の顔を見ながらでっしょー?と眉をしかめてみせた。
あからさまなそれは、官兵衛への嫌味だ。
案外嫌みたらしいなこの人と思いながら、義子はけれど愛嬌のある彼のそれに
ただ苦笑をして官兵衛を見た。
さてどのような表情をしているか。
そうして、官兵衛を義子と半兵衛が見やれば、彼は一つため息を零して
まっすぐに半兵衛の方へと視線を向けて、口を開いて。
「…あの時、卿の行動には礼を言うと言わなかったか」
無表情。
感情一つ見せない顔をして、目にもなにも出さずに言う言葉ではない上、何だその内容は。
義子と半兵衛は思わず顔を見合わせて、それから二人して首を振る。
何、この人理解できない。
みられている覚えもないと言ったからには、頼んだ覚えもないとか
そういう言葉が返ってくるものだと思っていたのだけど
返ってきた返答が、これとは本当に、驚く。
変な所で素直さを見せる官兵衛に、これは放っておけなくなるはずだと
義子は、半兵衛が官兵衛を好く理由を納得したのだった。
変な所で素直になられては、見捨てることも出来やしない。