(半兵衛視点)
―前日、夜。秀吉の部屋にて
秀吉は、集まった面々を見回し、いつものように口を開く。
「で、皆に集まってもらったのは、大体予測はついとるじゃろうが
義子姫を岐阜城まで送っていくことになったんを知らせるためじゃ」
「本人から聞いたんで知ってますけど、どこの道通っていくんです?」
「そりゃあお前、普通に街道沿いじゃ。
獣道を
義子姫に通らせるわけには……本人気にせんじゃろうが
こっち側の都合でなしじゃろ」
本人気にせんじゃろうが、の所で、その場に集まった面々
ねねを除いた秀吉配下の人間たちの顔に、(三成と官兵衛を除いて)微苦笑が浮かぶ。
姫君としては型破りの部類に入る彼女なら、確かに気にしはしないだろう。
それどころか、早くつけるならそちらの方が良いと推奨しさえしそうな気がする。
だが、送っていく秀吉側としては、彼女を安全に護衛せねばならない。
で、あるならば、人目の多い街道沿いという一択しか、彼らには残されていないのだ。
「では、明日の朝出立して、岐阜城に向かうということで良いんでしょうか」
「あぁ、そうしよう。ねねにはわしの方から伝えとく」
「は」
清正がかしこまって返事をする。
秀吉相手にはいつでも、忠義を尽くしすぎるほどに忠義者な彼は
此度のことにおいても手を抜くつもりはないようだ。
…気楽な任務だっていうのにねぇ。
半兵衛は子飼いの背後で手を組み直して壁にもたれる。
年若い子供は年若いだけあって、おっさんにはこたえる。
若さという失われつつあるものを、まざまざと見せつけるような青年たちは見ていて眩しい。
喧嘩するほど仲が良いを体現するような子たちだ。
なおさらのこと。
ただ、その眩しさというのはあの姫君には感じはしないのだけれども。
本日合流をした姫、少女、いや野良猫の顔を思い浮かべて
半兵衛は内心で首を傾げる。
どうしてだろうか。
彼女からは、若い人間特有の眩しさというものを欠片も感じない。
それどころか、まるで同年代の人間と話しているようだ。
「なんでかなぁ」
「考え事は後にしろ」
思わず声が漏れていたようで、隣の同僚から注意を受ける。
それに半兵衛が分かってるってば。と返答しかけた所で
「んじゃあ、もう夜も遅いし、皆寝て明日に備えて欲しいんさ」
「分かりました、秀吉様」
「んよっし、じゃあ寝るか―」
「失礼します」
解散が言い渡されて、皆次々と解散していった。
すっかり機を逸した半兵衛は、官兵衛に言葉も返せず
しかしまぁいいかと立ち上がって、秀吉に挨拶をする。
「じゃあ、俺も帰りますね、おやすみなさい秀吉様」
「半兵衛も良く休んでくれ」
「はぁい。官兵衛殿、帰んないの」
「卿がそこに立っているのに私が帰れると思うのか?」
「無理だよね、はいはいどきますって」
丁度入り口をふさぐ恰好で立っていた半兵衛が、帰んないのもないものだが、無論わざとだ。
この黒田官兵衛相手には、猫のようにちょっかいをかけるくらいで丁度良い。
…官兵衛殿も大概な人だからさぁ。
近頃は無駄話にも大分付き合ってくれるようになった
自分にだけ険のとれてきた男を思う。
どうにも不器用が過ぎるというよりも…壊れている男だ。
だからこそ、放っておけない。
だからこそ、こうやって構う。
男に構ってても、非生産的なんだけどさ。
咳きこみそうになったのを、口元に手を当てることで未然に防いで
半兵衛はその代わりにため息をつく。
半兵衛もこういう身なりであるが、いい年をした男だ。
構うのならば可愛らしいお嬢さんの方が良い。
だけれども。
隣に立って歩く男を見る。
こちらと並んでいるにも拘らず、話しかけて場を持たせようともしない男。
彼は半兵衛の視線に気がついて、こちらを見下ろした。
「…なんだ、何か用か」
「いや、何だも何も良いけどさ、なんていうのかな、その態度。
官兵衛殿は俺の方が年上だって知ってるよね」
「卿の方が二歳年上であると記憶しているが」
「だよね。知っててそれなんだからさ。もーちょっと、こーなんていうの?
年上を年上だと思って、敬いの気持ちを持って、構ってくれてもいいんじゃないの、俺に」
己を指さして官兵衛にねだってみるが、彼は嫌そうな表情を浮かべて
ため息とともに、下らんという言葉を押し出した。
その態度に半兵衛は苦笑するしかないが、これでも柔らかくなった方なのだ。
基本的に官兵衛はどうでも良いことを言われると無視しかしない。
それで何度、福島正則らと喧嘩になりかけたことか。
いや、無論態度の方もそうなのだが、子飼いたちが一番に官兵衛を気にいらぬ理由は
官兵衛における秀吉の優先順位が一番でない点だ。
そして、自分が子飼いらから反感を買っていない理由もそこにある。
自分は上手く隠しているから、誤魔化せている。
それをこの官兵衛は隠しもせずに泰平が一番であると公言するから、こうなるのに。
子飼いの三人も、自分も、秀吉の人柄に魅せられて集まっているという点では共通。
だが、黒田官兵衛はどうだ。
彼もまた秀吉を慕っているのには違いないが、彼の行動はすべて『泰平』へと集約される。
恐らくは泰平を作るためならば、子飼いも、秀吉も、そして仲良くしている半兵衛でさえも。
この男は切り捨てていくのだろう。
だから子飼いたちは官兵衛を気にいらない。
子飼いは、秀吉の夢見た未来が泰平であるから、彼らは泰平を目指すのだ。
けれども、官兵衛は異なって、泰平を目指すから秀吉に従う。
だから、駄目だ。違う。気にいらない。
故に、子飼いと官兵衛との間には、亀裂には至らぬひび割れがいくつも入っている。
そこを今は、彼らのちょうど中間に居る半兵衛が、取り持って押さえているけれども…。
………官兵衛と近しい半兵衛から言わせてもらえれば
子飼いたちの心は分からなくもないが、我儘が過ぎる。
官兵衛だとて秀吉を大事に思っていないわけではないのに、どうしてそこが分からないのだろう。
目に見えるものだけを見ているから、駄目なのに。
泰平にしてもそうだ。
黒田官兵衛という男は、泰平を築くためであるならば
いかなる手段も選ばぬ男だが、その下に心が無いわけではないとは思うのだ。
事実、秀吉とは敵対をしたくない、火種にはなってもらっては困るというような態度を
時折は見せるのに。
だが、それを見る目を曇らせるぐらいに、泰平ばかりを語るから、この男は。
どうにもない心で半兵衛は、官兵衛を見る。
官兵衛を見ると、たまにこういう気持ちになるから困りものだ。
置いていくのが怖いような、そんな。
自分というとりなし役、橋渡し役が居なくなってしまえば
彼は一人きりになって、いずれ誰かと殺し合いをしてしまうのではないか
泰平のためだけに動きすぎて要らぬ争いを呼ぶのではないか。
そのような疑心が半兵衛の内にわきあがるのだ。
「俺、出来るだけ長生きしたいなー」
「すれば良いだろう」
「うん、したい」
だから、希望をもって半兵衛は官兵衛の言葉に頷いた。
もう少しは、己も、そして隣の男も生かしておいてやりたい。
いや、立派な成人男性を生かしてやるというのは傲慢が過ぎるのだが、それでも。
体が弱く、実に貧弱な己であるが、もう少しは持って欲しいねと願って
彼は静かに頼りない拳を握った。
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