そうして目が覚めると、まだ朝早く、太陽が地平から頭を出し始めた所であった。
「………」
義子は一瞬どうしようか迷ったが、寝なおすのもどうかと思って
身を起して伸びをする。
その時に欠伸が出たが、誰もいないのでそのままにして
義子は寝まきから、買ってもらった着物に着替えて
銃剣の入った袋を背負って、部屋から出た。
顔を洗うためだ。
庭に井戸があるかな。
思いながら手ぬぐいを持って宿の廊下を進み、庭に出ると先客がいた。
黒田官兵衛だ。
先に顔を洗っていたらしく、手ぬぐいで顔を拭いた官兵衛は
こちらに気がつくと軽く会釈をした。
「おはようございます、官兵衛殿」
「あぁ。随分と早起きなことだ」
「早く寝ましたので。官兵衛殿こそ、お早い」
「早起きをする習慣があるだけだ」
近づきながら会話をする。
相変わらず、この黒田官兵衛は
義子には興味がなさそうだ。
が、
義子が今川の姫であるからか、一応は相手をしてくれる。
おそらく姫でなかったら、相手にもしてもらえてないだろうが。
事実を事実として受け止め、
義子は官兵衛は面白い人であると思った。
まぁ、面白いといえば、この官兵衛の相方の半兵衛も面白いが。
自分に興味がないことは、失礼だとは思わない。
人間と人間だから、そういうこともあるだろうし
この官兵衛は半兵衛以外には誰にでもそうなのだろうとなんとなく分かるからだ。
今然り、昨日の挨拶事件然り。
特に仲良くなる姿勢も見せず、失礼する。と言って去ってゆく官兵衛の背を見ながら
義子は余所の国は面白いと、北条の面々を思い出しながら、他人事として思った。
宿に五人も六人も泊っていると、度々連れに出くわすもので。
顔を洗って部屋に戻ろうとすると、今度は正則とぶち当たる。
「おはようございます、正則殿」
「お、
義子姫か、おはようっす!」
…だから、ノリが一昔前の不良だ。
ぶはっと吹き出しかけるのを抑えて、
義子は実に平静を装い
正則相手に軽く会釈をする。
「それにしても早いな、
義子姫。まだ朝日が昇ったばっかりだぜ」
「目が覚めてしまいましたので。正則殿こそお早い」
「俺は、ほら。鍛錬っていうか。しゃあ!鍛錬だ!って目が覚めちまったからよ」
ちょっと意味が分からない。
しゃあ!鍛錬だ!って何だ。
けれど
義子は突っ込まない。
ちょっと可愛いなぁと思いながら、正則を生暖かい目で見るだけである。
その視線に正則が首を傾げたので、熱心だなぁと思っただけのことですと誤魔化して
義子は彼と別れた。
…次に会ったのは半兵衛である。
いくら一緒の宿に泊まっているからといって。
いい加減部屋に戻りたい
義子は内心飽き飽きとしていたが
表には出さずに半兵衛におはようございますと声をかけた。
「あぁ…うん、おはよぉ…?」
しかし、竹中半兵衛、朝は弱いらしい。
だるそうに眠そうにしながら彼はそれでも
義子に挨拶を返し
ふらふらと庭の方に歩いていこうとしたのだ、が。
「あっ」
「いっ」
半分寝ているせいで躓き、しかも、よりによって彼は
義子の方へと倒れ込んできて
彼女を巻き込みながら床に倒れた。
もつれ合い床に倒れかけた
義子は、背に背負った銃をかばい
ついでに倒れてくる半兵衛もかばいながら
どしぃんっと音を立て横向けに叩きつけられる。
「っつー……」
そうすると、かばった半兵衛の重みまでもが
義子を襲って
彼女は痛みに悶えた。
けれど、一方の倒れてきた半兵衛はといえば、眠たいにもほどがあるが
義子に抱きかかえられたままうとうととして、そのまま
義子の肩に額をつけて寝だそうとする。
「え」
その状況に戸惑って、
義子は半兵衛を揺り起そうとするが、無駄であった。
彼は既にくぅっと可愛らしい寝息を立てて、夢の世界の住人となっていたのである。
「………えぇと」
なにこれ。
そう思う
義子だが、彼女は出立前に義兄氏真が零した通りに
微妙に不運なのである。
そも、彼女が戦国時代にきてからの歩みを見れば、そのことは一目瞭然だ。
けれどもそこからは是非目をそらしたい
義子は、自分の上で寝だしてしまった
半兵衛を暫くの間起こそうとしたが、彼は一旦寝付いたら起きない類らしく
いくらゆすっても起きる気配はない。
仕方なく部屋に戻そうと思った
義子だが、意識の無い人間は存外に重たく
かつ半兵衛は低身長とはいえ男子で、
義子よりも大きい。
持ち上げるにも一苦労しながら、ようやく身を起して半兵衛の部屋へと運ぼうとすると
廊下の向こうから黒田官兵衛が歩いてくるのが見えた。
「か、官兵衛殿っ手伝ってくださいっ…!」
だから、
義子が必死の声で彼を呼ぶと
官兵衛は
義子を見て、それから寝ている半兵衛を見て、物凄い嫌そうな顔をした。
…官兵衛相手にはこの表情しかされている気がしないのだが。
けれども彼は、相方の迷惑を悪いと思っているのか、こちらに近寄ってきて
「…………卿」
「はい」
「物盗りに供を殺され路銀を無くし、賊に再度襲われ、今、またこれか。
卿はよくよく不幸であるな」
…手伝ってくれるらしく、
義子の手から半兵衛を受け取り
俵の様に担ぎあげた官兵衛だが、同時に
義子にものすごく失礼なことを言った。
そこからは、是非目をそらしていたいというに。
「事実でも、言われたくないことはあるものですよ、官兵衛殿」
「それは失礼をした」
だから半眼で言うなと注意する
義子に
官兵衛は常通り表情なく答えた。
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