両兵衛らと別れて、部屋に戻ると窓の外では秀吉配下の子飼いらが何やら揉めていた。
どうも、石田三成に対して、福島正則がつっかかっているようだが
三成は冷たい態度でそれをはねのけ、正則のさらなる怒りを誘っている。
というか、なんだかあれは。
「…気になる子にちょっかいをかける男子?」
気に食わないと言いながら、なんだかんだ言いつつちょっかいをかけては
その対象の怒りを誘っている、そういう小学校で良く見た光景に似ている。
それを眺めながら、時々止めに入っては鎮火させているのは加藤清正だ。
窓の外の光景に、ふっと唇を緩めながら、
義子は窓際に座って
外の騒ぎを見物する。
聞こえる、馬鹿!だの頭でっかち!などという、正則の頭の悪そうな発言が微笑ましい。
そうやってなんとなく騒ぎを見ていると、ふいに清正が上を向いた。
そうして、微笑ましく口元を緩めている
義子を見つけて
驚いたような顔になり、そのまま数秒見つめあう。
しかしその間に、正則が激して三成の胸ぐらをつかんだので
義子はそれを指さして、清正に前を向くよう伝えた。
「おい、正則!」
気がついて、二人の間に入りとめる清正は、さしずめ学級委員長と言ったところだろうか。
いや、それより秀吉とねねがあの三人をこのように思っているのなら
清正が長男、正則が次男、そして扱いにくい三成が三男、と言った方が正しい。
まだぼうっと眺めていると、今度は三成と目が合う。
すると彼は
義子と目が合った瞬間、凄まじい勢いで渋面を作った。
まるで、みっともない所を見られたというように。
事実みっともないのだが、そこまで凄い顔をするほどでも無かろうに。
現代と戦国、過ごした時間を足せば、幾らかは年下であろう青年に思って
義子は次に正則に視線を移す。
けれど、正則は気がつかず、清正に何か言われてはふてくされたような顔をして
そっぽを向いた。
…次男っぽい。
面白いと思いながら彼らを見ていた
義子だが、あまり他人のやりとりを覗くのもあれだ。
義子は窓の傍から離れると、少し早いが押入れから布団を引っ張り出して、寝ることにしかけた、その時。
ふと窓の外から正則の声がした。
大きな声。
いや、彼はいつでもかなり大声で話しているのだが
一際の大声になんだ?と
義子が窓から外を覗くと、子飼いたちから少し離れた位置に官兵衛の姿があった。
先ほどと変わったことはそれだけで、しかし官兵衛を見る正則と清正の表情が真実険悪なものへと変貌している。
おいおい、同じ秀吉配下なのだろうに。
一目見ただけで一触即発だと分かる雰囲気に、些か慌てながら外の光景を注視していると
正則が何か言いながら、官兵衛に突っかかった。
声は聞こえない。
だが、険のある表情で、険のある事を言っているのだけは理解出来る。
三成に突っかかって言っていたのとはまるで違う表情に
やはり子飼い達はじゃれていたのだとは思うが、そういう呑気な感想を抱いている場合でもない。
窓から身を乗り出して傍耳を立てれば
「だから、んでそういうことになんだよ!」
「下らん」
「下らんの一言で会話を終わらせるのはどうかと思うが」
子飼い三人での喧嘩の時には仲介役に回っていた清正までもが
険のある声で官兵衛に良い放っているのが聞こえた。
おいおいおいおい。
場にいるのは、官兵衛と清正と正則と三成。
その中で争いに加わっていない三成は、冷ややかな目で一同を…
いや官兵衛を見つめていて、結局のところ三成も官兵衛が気にいらないということか。
何なんだ一体。
誰も周囲に居ないので、戸惑いをもろに顔に浮かべて
義子が眼下の光景を見下ろしていると
官兵衛がこちらにまでその動作をしたのが見えるぐらいに、大きくため息をついた。
「下らん」
またしてもその言葉を吐いて、今度は立ち去ろうとする官兵衛。
そんな彼の切り捨て方は、怒っている相手には逆効果すぎる。
現に正則は、ぎっと眉を吊り上げ怒りを更に燃え立たせたではないか。
あーあーあーあー。
どうしてそう逆撫でするようなことを。
穏やか極まりない今川での暮らしでは、お目にかかれないような騒動に
久しぶりに
義子は表情をひきつらせ、あわあわと慌てた。
今川はああである上、同盟相手の北条もなんだかんだで仲が良かったし
そういえば
義子は、暫く本格的な喧嘩というのは目にしていない。
現代でも、久しく喧嘩などお目にかかっていないから
小学校以来だろうか、このような光景を目にするのは。
窓から飛び降りて仲裁に入ろうかどうしようか、窓の桟を握って迷っていると
正則が官兵衛の胸ぐらを掴んで
「こっちが、よう、こんちわ!って挨拶したのに挨拶しねぇのはねぇだろうがよ!」
「あぁ、と返して会釈をしたつもりだが?」
「その後、突っかかっていった正則相手の返し方が最悪だろう。
下らんの一言で済ませるのは無いだろうが。もう少し柔らかくしたらどうなんだ」
「理解できぬな。無駄にしかならぬ」
……………えっと。
下の連中の険のある会話は変わらないが、
義子は浮かしていた腰をすとんと下ろして
額に手を当て天井を見上げた。
ようするに、何か。
正則が官兵衛が宿屋から出てきたのを見つけて挨拶をしたは良いが
官兵衛は僅かに会釈をしただけで、それが気にいらず正則が突っかかったと。
しかも清正の言葉を聞くに、そこで謝っておけば余計なもめ事は回避できるというのに
官兵衛は今の如く正則の神経を逆なでして、先ほどに至る。…なるほど。
「…こ、子供かあんたら…」
どうしようもない理由に、なんだか萎えた。
…どうでもいいか…。
飛び出そうかどうしようかとまで思ったが、こんなバカな騒ぎに巻き込まれるのは阿呆らしい。
そこまで深刻でもないようだし、うん。良いと思う。
義子がそう結論付けると同時に、白い帽子が窓の外に見えた。
それにもう一度眼下を見下ろせば、いつの間にやら出てきていた半兵衛がニコニコと笑いながら
子飼いらと官兵衛の間に入って何事かを喋っている。
その内容が何かは分からないが、大方推測するに
『まぁまぁ官兵衛殿がにこやかにあいさつするって逆に気持ち悪いでしょ。
その人その人に見合った行動ってのがあるんだからさ』
…ぐらいだろうか。
実際半兵衛が言ったのと似たような内容のことを想像して
義子ははぁとため息をついた。
「寝よう」
先ほどは邪魔が入ったが、自分は寝ようと思っていたのだ。
うん。
速やかに寝てしまいたい。
どっと疲れてしまって、
義子はもう一度ため息をつきながら寝間着に着換える。
どうして何故に挨拶なんて下らないことで揉め事が起きるのだ。
良い年をした大人だろうに、全く。
下の連中、全員二十は超えているはずだ。
官兵衛に至っては一回りほど上だろう。
そんな良い歳の人間が挨拶程度で揉めるのが分からず、
義子は理解不能と首を振った。
―そう、確かにそうだ。
良い年をした人間たちが、挨拶で揉めるのは異常だ。
今川・北条と違い、武将の個性の強さ故に揉め事の多い織田にしてもの話。
それが揉める、というのはとりもなおさず、
義子が一触即発と感じたそれが、あの場限りでなく継続的な話で
先の出来事は、つまり官兵衛と子飼いの仲の悪さを表しているのだが
そこに辿り着くまでの情報が少なすぎて、神ならぬ彼女には、分からない話。
だから彼女は暢気にふぁぁと欠伸を漏らして、敷いた寝むしろに寝転んだ。
久しぶりの畳の上は心地が良く、瞼を閉じるとすぐに眠気が訪れる。
…秀吉と会って良かったのかもしれない。
見える天井と平らかな畳の感触に現金にそう思って。
帰ったら、礼に舶来品か茶器でも贈って貸し借り無しにしてやればよかろう。
考えながらまどろむ
義子は、すぐに眠りの中へと引き込まれていった。
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