反射的に背負った袋の紐に手をかけ、迎撃態勢を取ろうとする
義子より先に
秀吉が「ねね!」と聞きなれぬ声の主の名を呼ぶ。
ねね。
それは秀吉の奥方の名前だったはずだが。
思いながら振り返ろうとすると。
ぎゅ。
…何故か、背後から手が回ってきて、
義子は背後の誰かに抱きかかえられてしまった。
え?
「………あ…っと…」
「お前さま、誰だい、この子。血まみれだけど、怪我してるってわけじゃなさそうだしねぇ」
血まみれと、分かっているのならば抱かないで欲しい。
汚れますよ、そう声をかけようとしたが声が出なかった。
動揺をしている。
義兄に抱きかかえられるのは慣れているが
女に抱かれるのは慣れていない。
その上、きゅうっと抱きかかえられて、誰か―ねねの胸が
義子の頭に当たっているのだ。
…こ、困る。何か色々とこれは困る…!
その柔らかい感触にどうしようかと思って固まっていると
前方で秀吉が困った顔で、
義子の背後のねねを見た。
「ねね…。お前が抱えておるのは今川の
義子姫じゃ。
失礼じゃから早くその手を」
「今川の?こーんな小さなお姫様を、ほいほい外に出歩かすなんて。
何かあったらどうするんだろ」
離してやってくれんか。という秀吉の言葉は途中で遮られた。
小さな少女が今川から来たという情報のみに反応したねねが
少女の身を案じてぷりぷりと怒りだしたからだ。
…え、何これ。
ねねに突然抱きしめられたことで、困惑続行中の
義子は
珍しい反応に目をうろうろとさせて困るしかできない。
けれど意外な所から救いの船は現れるもので
福島正則が何故か胸を張り、
義子が殺しつくした向こうの賊を指さして
「大丈夫ですよ、おねねさま!
その
義子姫、あそこの賊をあっというまにのしちまったんですぜ!」
「まぁ!強い子だねぇ!」
自慢げに言った正則の言葉で、きゅうっとねねが更に
義子を抱きすくめる。
それに本当に困りながら眉をはの字にしていると
向こうの方で正則が、清正と三成に揃って「馬鹿」と言われているのが耳に入る。
うわ、扱い悪い。
そしてそれに視線を向けると、自然と目に入ってくる軍師二人は
暢気な顔をしてこちらを見物している。
「うわ、さすがおねねさま。全く離す素振りが無い」
「というよりも、更に力が強くなっているな」
…というか、半兵衛は完全に面白がっていて、官兵衛の方は面倒くさそうだ。
あぁ、うん。気持ちは分かる。
義子も他人なら、面白がる半分、面倒くさがる半分の気持ちで
見物をするだろう。
が。
義子は当事者である。
見物するのは無理だ。
彼女はどうしようかとも思ったが、一向に離す様子の無い後ろの女性を見上げて
その可愛らしい人に小首を傾げてお願いをしようとする。
「あの」
が、しかし。
「ん?賊を倒したって、正則は言ったけど。怪我は無いのかい?」
「あ、はい、ないです」
「そっかー。強いんだねぇ」
「あの、いえ、銃があるから、です。私はそんなに強くは…」
悪意零。善意百の笑顔でにこっと笑われてしまうと、どうにも離して下さいというのが
悪いように思えて、仕方なく
義子は力を抜いてねねに身を預けた。
………………………もう、どうにでもなーれー。
その
義子の様子は、後ろから捕まえられたのら猫が
捕まえた人間がいつまでたっても離さないのに諦めて
大人しくなった様子に似ていて。
それに思い到った半兵衛と秀吉が
ぶふっと変な音を立てて慌てて横を向く。
けれども
義子はそれに構うこと無く、ぼーっと空を見上げた。
もうどうでもいいや。
空の雲が形を変えるのを見ながら、諦めた
義子は
状況に身を任せることとした。
それは彼女のお得意の所であり、猫っぽいと義兄が密かに思う所でもある。
だから、密かに野良猫か。と官兵衛が思うのも。
そうか、野良猫か。と三成と清正が思うのも。
野良猫だから野生児なのかと秀吉と半兵衛が思うのも。
致し方ない所であったのかも、しれない。
ちなみに正則はどうしようもない馬鹿なので、猫自体思うことも無かった。
なにしろどうしようもないので。
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