見つかってしまったので、血まみれのまま義子
てこてこと秀吉一行に近寄って、ぺこりと頭を下げる。
「お久しぶりです秀吉殿」
「え、あ、うん。久しぶり…じゃのうて!!
義子姫、ちょ、な、なんでここに居るんじゃあ?!」
驚きさめやらぬ様子で秀吉が叫んだ。
この人はいつも驚いたり焦ったり、苦労人である。
義子は馬上から見下ろす秀吉に対して、大変な同情をしたが
彼を今焦らせているのは義子だ。
…彼女も所詮、今川の家の子ということよ…。
義兄と義父に埋もれているだけで、実のところはしょっぱい義子
自分の所業を棚に上げ、ことんと首を傾げて不思議そうな眼で秀吉を見た。
「あれ、お聞きではないですか。私は織田への親書を持ってまいったのです」
「あ、そうか、それならっていやいやいやいや。
何で義子姫なんさ。もっと他に居るじゃろ」
「居るでしょうが。ただ、少し頭を冷やして来いということではないかと」
義子の説明に一旦は納得しかけた秀吉だが、それならば今川の姫たる義子
わざわざ出向かなくてもと、当然のことを当然に言う。
そして、言われたことに義子は己の三カ月を振り返り
さらりと説明も無く答えた。
説明もないのは説明する気が無いからだ。
自分のあがきと努力をわざわざ語って聞かせる趣味は、義子には無い。
だから、話をごまかすべく、秀吉の後ろに控える者たちに視線を向け
「あぁ、そう言えば、そちらの方々は」
紹介されていませんが?という風な口ぶりで言えば
秀吉ははっとしたらしく、慌てて振り返って順繰りに指さし義子に説明をする。
「そういやそうじゃった。後ろはわしの子飼いの武将らと、軍師じゃ。
右から、加藤清正、福島正則、石田三成。
軍師が右手から、竹中半兵衛、黒田官兵衛」
計五名。
紹介を受けた義子は右から順に顔を見て、しっかりとそれを脳に焼き付ける。
今は今川は親織田であるが、いつどこでどうなるとも分からぬ。
その時に、きちんと相手を殺せるように
または今川領で見かけた場合に対処できるようにきっちり覚える。
加藤清正は、短髪でがたいの良い青年。
すっきりとした整った男らしい顔立ちである。
福島正則は………現代で言う昔の不良スタイルだった。しかも目つきが悪い。
また毛色が随分と違うなと義子は思ったが、これはこれで覚えやすくて良い。
そして、子飼いの最後は石田三成。
肩まである赤い髪の毛に、切れ長のきつそうな
美人という言葉が似合う青年であった。
鉄扇を持ち、義子を見下ろすその眼に宿るのは冷たい光で
性格の方もきついことが窺い知れる。
軍師の方は…これもまた個性が強い。
幼い容貌の少年めいた方が、竹中半兵衛らしい。
が、この竹中半兵衛、年齢的には三十路を越えていたと記憶をしている。
もう少し容貌との差が噂になってもよさそうだとは思うが
この幼く可愛らしい容姿に、油断しないよう注意したい。
もう一人の軍師、黒田官兵衛は、えらく顔色の悪い男だ。
酷薄そうな鋭い瞳に、白の混じった髪が特徴的…というか
この五人、いや六人。それぞれが大変に特徴的で
義子としては大歓迎である。
覚えやすくて、分かりやすい。
今川に帰ったら似顔絵でも書いて、顔を知らせておこう。
いつかのどこかの何かのために。
やって損は無いと思いながら、義子は今度は自分が名乗るべくぺこりと頭を下げる。
「秀吉殿、ご紹介いただき感謝いたします。
皆さま、私は駿河の今川義元が娘、義子にございます。
以後お見知りおきを」
「……え、義子姫?」
「はい。姫と呼ばれるようなものではありませんが」
………その義子の言葉と行動だけなら完璧な
しかし本人は血まみれという実にあれな自己紹介に
周りを取り囲む男たちが返せたのは、びっみょうな沈黙だった。
無理もあるまい。
………と、自分でも思って、義子は血のこびりついた手で
後ろ頭をかいた。
微妙に義子も困っている。
義子的には、こんなところで織田信長配下の人間に会う予定は無かった。
別に会っていけないこともないが、どうするか。
決めかねて、ただぼうっとしていると、竹中半兵衛が
義子の上から下までを検分し、それから首を傾げる。
「えぇと、ていうかさ、お姫様がなんで、そんなに薄汚れてるのか聞いても良い?
血に塗れてなくても、その着物ちょっと汚れてるよね。
それになんで供の一人もいないの?」
「あぁ、話せば長くなりますが、薄汚れているのは路銀が無いからです。
供が居ないのは死んだからです」
「え」
半兵衛の疑問は当然だ。
そう思ったので、正直にさらっと言った義子に、半兵衛が固まる、というか全員が固まったので
しかたなく面倒だと思いながら、義子は今までの経緯を喋る。
「路銀は使ったわけではないですよ。供と一緒に消えてしまったのです。
というのが、織田の領地に入ってすぐ辺りだったでしょうか。
今の様に賊に襲われ、供につけられていたものはその襲撃の際
真っ先に殺されてしまったのです。
そして賊を全員討ち果たした時には姿は無く。
おそらく賊の幾人かに連れ去られ、身ぐるみをはがされたのでしょう」
「な、なるほど。というか、それで無事なのかよ。すっげー…」
「ありがとうございます」
福島正則が、感嘆の声を上げたので、義子は礼を言って会釈をする。
褒められるのは気分が良いものだ。
微妙に機嫌を上向かせながら言うと、今度は石田三成が冷ややかな視線を送ってきた。
「しかし、それではどうやってここまで来たのだ?
供の者が路銀を持っていたという上に、そちらは大した荷物もないようだが」
「あぁ。はい。路銀は向こうが持っておりました上
そちらに食料等々持たせておりましたので、仰られる通り私は余り荷物を持っておらず。
けれども、幸いに書状は私が持っておりましたので、こうして着の身着のまま
岐阜城へ旅をしておりました。
僅かばかりの金銭は持っておりましたが、宿に泊まれるほどではありませんでしたので
野を寝床として、食料もそのあたりから」
「………その辺り?」
「魚とか、動物か、草とか」
「…草?山菜か?」
「いえ、草です。その辺の」
冬の山菜といえばフキノトウ辺りがあるが、あれが生えるにはまだ早い。
義子が食べていたのは、ほんまものの草だ。
ほらその辺に生えている、と辺りの雑草を指さすと
やっぱり一同には沈黙が落ちた。
………聞かなかったらいいのに。
いちいち沈黙する一同に義子が冷たく思っていると、しかし三成は
「大したものだな」
「おい、三成」
「何だ、俺は褒めただけだが?」
皮肉気な調子で義子に言った三成に、加藤清正が制止の声をかけるが
それも、三成は皮肉気な調子で返す。
けれども幾らかは気安いその調子に、
この青年は皮肉気につい言ってしまう性質なのだなと
義子は思い、気を悪くすることも無く、礼を言う。
「そうですか、お褒めいただきありがとうございます、三成殿」
「あぁ」
ごく普通の調子で頷く三成。
これが、皮肉で言ったのであったのならば
義子の言葉には気色ばんだ反応を見せるに違いない。
それが無いということは、この青年、やはり物言いが損をする類に分類されるのだ。
自分は気にしないが、もう少しはその辺り直した方がよかろうに。
親切に義子が三成の今後を心配していると
清正から物言いたげな視線が送られてきているのに気がつく。
「何か」
首をかしげて見せると、清正は長い沈黙の後
「…………………いや、俺は、そっちが良いなら良いんだ」
「は。いえ。特に何も」
怒らないのか?と清正が言いたいことを
なんとなく察して首を横に振ると、彼はそうか…。と呟いて黙りこんだ。
多分、三成の物言いが心配なのだな。
思いながらも、義子からは彼にかける言葉は特にない。
それよりも、上掛けだとか、洗いたいのだけれど。
この状況下では川に行きたいとも言いだせず、義子が密かに困り果てていると
「あれ、可愛い子だねぇ」
背後から、聞きなれぬ声がした。