永禄六年、秋の中頃。
………北条から今川領に帰ってきて二か月。
義子の姿はまだ庭にあった。
引き金を引く。
蝶を撃つ。
バッタを撃つ。
カトンボを撃つ。
「………」
命を消しながら、銃の腕を上げる。
その命中率は六割に上がっていたが、まだまだ。
まだまだ足りない。
戦場は見ただろう。
あの死の匂いが充満するあそこで、日常の実力が出せるものか。
日常七割で四割、九割で五割と思え。
「まだ、まだ足りない」
ぎりっと歯を食い締め言う彼女を止めるものは、まだ誰もいない。
「ところで、
義子はまだやっておるのかの」
「はぁ、まだのようです。…よろしいので?」
「よろしくはないけど、今はまだ時ではないの」
いつもは穏やかに微笑んでいるような表情である義元は
我が子の意地と根性に困っている様子で、眉をはの字にして
家臣へと首を振って見せる。
もはや二カ月。
この間、腹を貫かれたというのに、元気なことだと暢気にいってられたのは
せいぜい二週間から一月の間だけ。
誰もが戦場から帰った少女を心配して、ちらちらと庭の様子をうかがっているのだが。
「まあ、もう少し待つ、の」
だから、今は待てという義元の命令に、家臣は黙って頭を下げた。
そうして退出した家臣を見送り、義元は一人ため息をつく。
「困ったのー。のー」
戦場に行かせ、そこで帰ってくるのならば本物だと思い
真に補佐役、真に娘として認めようと思っていた。
彼女の性質からすれば、いざとなったときに逃げ出さぬ保証がないと思ったからだ。
だから、行かせた、のだけれども。
「こんな風になるとは思って無かった、の…」
別段、義元だとてあの
義子という少女に思い入れが無いわけではない。
あまり目の前でボロボロになって欲しくは無いのだが。
自らが戦争に行かせたくせに何たる矛盾、ではあるが
これが義元の偽らざる心境である。
戦争に行かせるのは、今川義元公として。
けれど平時ならば、義父義元としてふるまうことも許される。
その義父義元は、あんまりしないで欲しいの…ともう一度呟いて、そっと庭先を見る。
そこには唯でさえ薄かったのに、段々と更に痩せていく幼女の姿があって
彼はより一層困った表情をして、がっくりとうなだれるのであった。
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