本陣へと戻ると、
義子はすぐに従軍医へと引き渡された。
「あ、兄上は」
「ご無事です。今は安定してらっしゃる。それよりも口を開けて!」
義兄が無事だという話にホッとしながら、医者に命令されるがままに
口を開くと、汚らしい布が口の中に突っ込まれた。
「んー!?」
めいっぱいに突っ込まれた布に、目を白黒させながら医者を見ると
彼は周囲の者に指示をして、
義子の両腕両足を抑えさせる。
地面に引き倒された
義子は暴れかけたが、従軍医が熱した針と糸を持っているのに
ぴたりと抵抗をやめる。
…縫われるのだ。
着物が乱暴にはだけられ、水でぬらした布の感触がひやりとしたかと思うと
「んーーーーーーーー!!!!!!――――!!」
義子はこの押しこまれた布の必要性を悟った。
麻酔もなにもなしに針を刺され、縫われるのは酷く痛い。
痛くて舌を噛みたくなる。
そして手足を押さえられるのは、麻酔なしでの縫合が痛くて
痛すぎて、手足を乱暴に振りまわして逃げたくなるからだ。
ぼろっと、痛みに涙が眦から零れた。
痛い。
針での痛みに気がついてしまうと、今まで戦場で気を張り詰めていたために
あまり感じられなかった腹部や全身の痛みが猛烈に襲ってきて
義子の体を苛む。
痛い。
おまけに、麻酔なしでの縫合が、そんな
義子の様子には
お構いなしに行われ、それが
義子の痛みを倍加させていた。
唇が震え、手足が自分の意思とは関係なく、びくびくと痙攣をする。
灼熱のような熱さが腹部に宿り、涙は眼から尚も流れ続けた。
「終わりましたぞ、よく頑張りましたな」
そうして、痛みに耐えること、何分か、よくわからない。
それでもようやく終わったらしく、従軍医は立ち上がると、
義子の口から布を奪い取り、次の負傷者の元へと歩いていった。
地面に転がされたまま放置された
義子は
ここでこのまま転がっていろということなのだと悟り
大人しくしていることとする。
「…いたい……」
呟いた声は、本当の童のようだった。
痛かった、色んなところが痛かった。
おまけに、周りは死傷者だらけで、生きていたというのに
段々と息をか細くしていき、損なわれていくものたちが大量に居る。
自分もああなるのではないか?
不安が
義子の足もとに近寄って、彼女の心を不安定にする。
腹部にそっと手を当てると、焼き鏝を押し付けられたような痛みが襲った。
「…痛い、よぅ」
それでも、生きている。
初めての戦場で生き残った
義子は、自分が死なないことを願って
固く目を閉じた。
そうすると、周囲の声が耳に入ってきて
近くの農村に人を頼んで死者を弔ってもらうという話が
ちらりほらりと聞こえる。
けれども、名のある将の死体はそれとは別に塚を作って
丁重に弔う、その場所をどうしようか、とも。
「それにしても、今川の兵は今回勇猛であったな。
半分ほどに数を減らしたそうではないか」
「そうさなぁ。…見ろ、あれも今川の将だ」
義子の近くで塚について話していた兵いや将が
もう片方の将に言う。
その内容に
義子が目を開け、将たちの見ている方向を見ると
そこには、あの花見で嫌味を言っていた、あの行軍時に喧嘩をしていた
どうしようもない、将が、目を見開き苦悶の表情を浮かべ
物言わぬ屍として、そこにあった。
「………死んだ、んだ」
呆然とする。
よく知っているわけでもない。
言葉を交わしたわけでもない。
けれど、前々から知っていた人間も死んだのだと知った
義子の心は
激しい衝撃を受け、潰れそうなほどの鈍い痛みを覚えていた。
戦争は、人が死ぬ。
あっけなく生きていたものが、死ぬ。
それを見知っていた、あのよく知らぬ将の死によって
義子は初めて実感したのだ。
もう彼は、
義子に嫌味を言うことも無く、行軍中に知己と喧嘩をすることも、無い。
そうしてそれを行ったのは武田軍だが、決定したのは今川だ。
武田が命を奪い、今川がそれをさせた。
今川にも責任がある。
北条に援軍を出し、武田の力を削ぐと決定した、今川も彼を殺したのだ。
………で、あるならば彼の死も氏真と、
義子の責任でも、ある。
氏真は今川氏真、今川の跡取り息子で
義子は、もう今川
義子、今川の跡取りの補佐だ。
義子が決めた、そう決めた。
だから
義子は今川で。
―彼は、私たちが殺した。
それに思い到れば、胸の内に生まれるのは深い悔恨とやり場のない怒りであった。
もっと、やりようがあったはずだとか、選択が間違っていたのではないかとか
色々なものが
義子の胸に去来して、彼女を責め立てるまま胸に居座る。
彼が死に、連れてきた兵たちも逃げるか死ぬかをしてしまった。
置き去りに行軍したうちの、置き去りのいくらかは生き延びていたようで
その数は半分であると先ほどの将達は言っていたけれども。
―これは、敗戦だ。
敗戦だ。
戦略目的も果たせず、総数を半分に減らし、将の命をやたらに奪った。
これは敗戦以外の何物でもない。
義子の目から、つつぅと涙がこぼれおちる。
痛みによるものではない。
どうしようもない、悔しさを含んだものだ。
体が子供であれ、その経緯がどうであれ、
義子は将だ。
将として命令を出来る上の立場にあった。
上の立場にあるものは、下にあるものに対して一切の責任を負わねばならない。
それであるからには、この敗戦、成したのは武田信玄だが
責任のいくらかは、少なくとも今川分に関しては、今川
義子と今川氏真が負わねばなるまい。
だから、今の、この今川兵の惨状は、
義子と、氏真が、作った。
致し方ないとかそういう言い訳は通用しない。
今川の兵たちは死んだ。
死んでしまった。
損なわれたものはもう元には戻らない。
だから
義子はそれを粛々と受け止め、その結果に応じた行動を、とらなければ。
義子は、手を眼前に持ってきて、眺める。
真田幸村の槍を一合しか受けられなかった、柔くて脆い手。
それが悔しくて悔しくて、赤備えの一人も殺せなかったのが痛くて
なんて…役立たず
「ぅ……ぁ、…ぅ…ひっ」
義子は泣いた、声を殺して泣きじゃくった。
戦況を赤備えという、連携も何もない個々人の武勇によって構成された部隊に覆され
それに対して恐怖することしかできなかった己の未熟さが悔しくて。
人が沢山死んだことが痛くて。
人が沢山死んだ責任が重くて。
―生き残ったことが、それでも嬉しくて。
ないまぜになった感情をどうすることもできず、ただただ涙を零して
そのうちに
義子は泣き疲れて意識を手放した。
痛かった。
眠る
義子の前に立ったのは、相模の獅子、北条氏康だった。
義子が今川の兵に対して責任があるというのなら
この男は北条の兵と、それから援軍を要請した今川の兵に対して、責任がある。
重い、責任だ。
それを今までの積み重ねによって、受け止めて、氏康は平然とした顔を『作って』
その場にと立っていた。
敗戦かどうかといえば、北条方にとっては此度の戦、引き分けに近い敗戦であった。
小田原の城下は燃やされたが、小田原は健在。
追い詰められていた北条氏康のせかれどもは、揃って救援出来
そうして、武田信玄だけは取り逃がして、今川の兵は半分にまで数を減らした。
―此度の戦で一番先まで侵攻出来ていたのは北条の兵で無く今川の兵であった。
思わぬ抵抗をする武田兵に手を取られ、引きとめられていた北条に比べ
跡取りとその補佐である将が率いた今川の軍は、武田信玄まであと一歩というところで
惜しくも赤備えに、進行を阻まれた、が。
それを褒め称える声が、陣のあちらこちらでは聞こえるけれども
氏康はとても褒める気にはなれない。
泣き疲れて眠ったのだろう少女へと、一番先までよく進軍した。
よくぞ信玄を追ってくれた、偉い、感謝する。
そう言って、褒めるのか?
それは違うだろう。
武田信玄を追って、屠るのは北条の軍でなくてはならなかった。
今川はあくまでも援軍だ。
北条ですらない援軍が、一番勇猛に戦って、平然としていられるのなら
そいつは上として最悪だ。
氏康はそう思って、キセルを咥え、ぷはぁと煙を吐く。
今川に対してするのなら、不甲斐ない自分たちの謝罪しかない。
眠る少女の髪の毛を、そっと分けてやって
氏康は重傷を負った氏真と
義子を思いながら、胸中で呟く。
いつまでたっても、敗戦は、苦げぇ。
失われた者たちを忘れまいと考えながら、氏康は
義子と氏真が生き残ったことに
それでも安堵の息を吐くのであった。
よく、生き残ってくれたと。
そうして、永禄六年、夏。
長くて短い三増峠での戦は、このように幕を閉じたのである。
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