永禄六年、弥生。

今川氏真、今川義子は京に在った。
駿河に滞在する公家、冷泉為益と共に京に上った彼らの目的は
公家方との人脈繋ぎである。
いくら衰退したとはいえ、公家、貴族の人脈、権威は侮れぬところがあるのもまた事実。
それだから、今川義元は公家との交流を深め、人脈を作り
絶やさぬようにしてきた。
今回のこれもその一環なのだ、が。
「………暇すぎ」
行儀悪くも逗留する宿の窓に腰かけ、京の町を見下ろしていた義子
ばりばりと頭をかいて、そう呟いた。
行儀は良いが、出自が悪く、蹴鞠は出来るが、歌は壊滅的。
そういう義子が公家との会合に出席できるはずもなく
当初の予定通り、彼女は会合時にはお留守番をしている。
そう言う予定で来たのだから、そういうつもりで義子もいたけれど
さすがに三日も宿でゴロゴロとしていると飽きが来る。
おまけに城なら読む書物もあるけれど、宿屋となるとそれもなく
暇つぶしの道具すらないのだから、これがもう。
『京は今荒れているけれど、まぁ、お前の腕ならば好きに出かけても良いよ』
ありがたくも初日に言い残して出かけて行った義兄の言葉を思い出し
義子は窓の外、広がる京の町をちらりと見た。
確かに氏真の言うとおり、広がる景色は大分荒れてはいるが
暇をつぶせないこともなさそうだ。
「………出るか」
義子は立ち上がり、刀を腰に差すと京の町へとぶらりと出かけることにした。





おぉ酷い。
京の町を歩く義子が見るのは、焼けただれた建物の数々だ。
応仁の乱で大半が焼け落ち、その後も度々戦火に巻き込まれている京の町は
未だに復興があまり進んでいないらしい。
かろうじて営業している店が、いくつか並んだ大通りをふらりふらりと歩いていると
義子の眼に団子屋が飛び込んできた。
小さな店が前に、団子の暖簾をかけたその店は営業中であるようで
店の前に並べられた長椅子には、幾人かの客が座っている。
………どうしようかな。
思えばここに来てから、外で買い食いするというのもほとんどやっていない。
…ほとんどというか、初なのではないだろうか。
今川に迎えられてからは、ほぼ外に出ずに生活してきた義子
久しぶりに出来る買い食いの機会に気がついて、パッと顔を輝かせた。
「すいません、団子をひとつ…いや二つ下さいな」
「はぁい、あら可愛い」
店のお嬢さんに近寄って注文をすると、彼女は子供の客が珍しかったようで
営業用でない笑みを浮かべると、ちょっと待っていてねと店の奥に引っ込んで行った。
しばし待っていると、彼女は皿に乗った団子とお茶が置かれたお盆を持って
義子の方へとニコニコと近寄ってくる。
「はぁい、お嬢ちゃん」
「ありがとうございます。これ、御代金」
手にあらかじめ用意していた代金を握らせ、長椅子に腰かけ
足をぶらぶらとさせながら食べる。
団子は正直そんなに美味くは無かったが、礼儀も気にせず食べる解放感と
久方ぶりの買い食いということも相まって、格別の味がした。
「………ん」
団子を一串食べ終えて、お茶を飲んで一息ついていると
向こうの方の通りから、異様な二人連れが歩いてくるのが見えた。
…いや、異様なのは一人で、あと一名はそのお付き、といったところか。
黒に近い紺の着物を身にまとい、大股で歩く男と
それに従う黄色い着物の小男。
異様なのは、紺色の男の方だった。
彼は、ごく普通の着物を着ているというのに、圧倒的な威圧感を放ちながら
往来を歩いている。
……もしあれが、やんごとない身分の方のお忍びなのだったら、全く忍べていない。
モーゼの十戒のように割れている往来を歩く人の波を見て
義子はおいおい、と他人事ながら思う。
お忍びでこれなら、もう少し警護をつけるか、それか忍ばせなかったらどうだ。
だから、警護をしているであろうお付きの黄色い男は
割れる人並みに、あちゃあ、あちゃあという顔をしながら
紺の男の周囲を油断なくうかがっている。
正直可哀そうだ。
しかも、黄色い男の方はなにくれとなく、紺色の男に気を使って話しかけているようだったが
紺の男はといえば、それに鷹揚に頷くばかりで、鬱陶しがっているのか
それとも面白がっているのか、判別付かない雰囲気であった。
「…かわいそうだなぁ、あの人」
色んな意味で精神の休まらなそうな人を見て同情していた義子だったが
傍観者気分でいられたのもそこまでで、紺色の男が団子屋に目を止め
黄色い男に向かって店を指さす。
「………」
黄色い男は最初慌てた様子だったが、紺色の男が引かぬのを見て
肩をがっくりと落としながら、店の方へと駆けてきて
お店のお嬢さんをひっ捕まえた。
「すいません、あのう、団子を二つもらえんじゃろうか」
「は、ぁ。あの、お持ち帰りですか?」
「いや…ここで」
お嬢さんも二人の様子を見ていたようで、明らかにげっという顔をしながら
黄色い男に折れろ!と言わんばかりに首を傾げたものの、駄目だった。
黄色い男は申し訳なさそうな面をしながらも、お嬢さんに地獄の宣告をしたのだった。
そうすると、早いのが周囲の人たちで
黄色い男が一旦紺色の男の元へと戻った隙を見計らい
ざっと一斉に立ち上がり、そそくさと店を離れてゆく。
義子もそれに倣おうとしたが
「あ、お嬢ちゃん!お茶のお代わりいるでしょ。はいどうぞ」
「………あの、……どうも」
お店のお嬢さんに先手を打たれ、哀れ義子は立ち上がるタイミングを失った。
一人は嫌ってことか。
タイミングを逸しては仕方がないので、残った団子を食べつつ、茶を和やかに飲んでいると
男二人は団子屋に到達して長椅子に腰かける。
「…………」
それに、義子はなんでさ!と胸の内で激しく突っ込んだ。
男二人が座ったのが、よりによって義子のすぐ後ろの席だからである。
先に言っておくが、長椅子は全部で六つあって
義子の座っているところ以外、全て空いている(空けて逃げて行ったともいう)
それで、何故、空いている五つの内で、義子の背後を選んだ。
紺色の男の胸ぐらをつかんで問いただしたい気持ちでいっぱいの義子だったが
本当にそうするわけにもいかない。
結果、大人しくまたちびりちびりとお茶を飲んでいると
お嬢さんに団子を運ばれてきた男二人は
ミスマッチに団子片手に会話をしだす。
「それで、の………吉太郎様。いい加減戻らねば、皆が心配いたします」
「サル、団子を食べよ」
「………はい」
…会話が一瞬で終わった。
他人事ながら、黄色い男の可哀そうさにぶわっと涙が出そうになって
義子は思わず顔を天に向けた。
………団子を食べよで一蹴されるとか、可哀そうすぎる…。
その可哀そうさは、普段の義子の、義兄義父に振りまわされる時の
それと同じ部類のもので、義子は黄色い男に対して親近感を持たざるを得なかった。
分かる、そういう人の話を全く聞かない手合いの人間って、諌めるのに苦労しますよね!
…まぁ、義子があの二人を真の意味で諌められたことなどないわけだが。
兄上は、面倒くさがるの直してくれないし
父上は、段々蹴鞠馬鹿になっていくしなぁ…。
別に嫌いじゃなくて、最近は好きだと思う二人を思い浮かべつつ
義子が遠い目をすると、ふと後ろから視線を感じた。
それに振り返ってみると、紺色の男が、義子の方をじっと見ている。
………何?
見られる覚えが無くて首を傾げると、紺色の男は義子の方をじっと見て
それから店のお嬢さんを片手を上げて、呼んだ。
「あの、はい、何でしょう」
「団子をひとつ」
駆けよってくる店のお嬢さんの狼狽ぶりも気にせず
紺色の男は、すっと義子を指しながらそう言う。
……え?
展開が分からずに、ただ固まっている義子を置いて
お嬢さんはただいま、と店の奥に入り、速攻で義子の前に団子を置いて、立ち去る。
そのお嬢さんを追いかけて、団子の代金を渡しているのは黄色の男だ。
苦労症だ…あぁ、うん。
思いながら、義子はぎぎぃとぜんまい仕掛けの人形のように動かしながら
紺色の男へ目を向ける。
表情の読めない紺の男は、義子の視線に気がついて
己もまた、義子の方へと目を向けた。
…そのまま、視線を交わし合うこと数秒。
「………えぇと、ありがとう、ござい、ます?」
「食べよ」
………いや、あぁ、うん。
うん?
え、何だろうこの展開。
正直意味が分からないと思いつつも、男の奢りの団子を食べないわけにもいかない。
戸惑いながら団子を口に運ぶ義子
視線を外さない紺色の男。
………気まずい。
何だろう、この展開。
もう一度思った義子は、帰ってきた黄色い男と目が合って
なんとなく会釈をする。
すると、黄色い男も会釈をしながら、戸惑ったように紺色の男を見た。
どうやら、紺色の男は相当に珍しいことをしているらしい。
本当に、なんで奢られているのか。
よくわからずに口をもごつかせていると、無言で団子を食べる空間、というのに
耐えきれなくなったらしい黄色い男が、義子の方へと話しかけてくる。
「それにしても、こんな荒れておるのに、女児が一人で
団子を食べておるとはわしも思わんかったのう。
娘、名は何と言う」
義子です」
義子か。わしは藤吉郎、こっちは主の吉太郎さまじゃ」
「あ、すいません、ご丁寧にどうも」
………………。
反射的に頭を下げた後、義子は無言で男二人を眺めた。
隠す気あるのか、その偽名と思ったからだ。
織田信長の幼名は、吉法師。
豊臣秀吉の以前の名は、羽柴藤吉郎。
紺色の、常人でない威圧感の男と、黄色い小男の取り合わせ。
話に伝え聞く、織田信長の側近豊臣秀吉は随分な小男だという。
そうして、義兄の話では、織田信長は怖い人。
………まるで、目の前の人みたいな?
唯人とは思えぬ、目の前の男を見て、義子はそう思い。
…………………そういう、手がかりの切れっぱしを総合して考えていくと
行きつく答えは一つしかない、が。
………よし、気がつかなかったことにしよう。
義子は現実から全力で目をそらすことに決めた。
例えば、目の前の二人が織田信長と豊臣秀吉であったところで
義子がそれに気がついて、気がついたことを彼らに確認しても何の利益もなし。
皆が心配いたしますという、秀吉、いや藤吉郎の言から察するに
取ってある宿か何かに山ほど護衛がいるのであろうし
それに加えて、この京に入京している信長…じゃなくて吉太郎たちの目的が
恐らくは将軍への面会と、あとは上洛への行路決めであろうことは
予想に難くないけれども。
それをここでばらして確認したところで、繰り返すが義子には全く利が無い。
むしろこの場はこのままやり過ごし、そして宿に帰ってから
早急にこの件を義兄に報告するべきだ。
そう考えた義子が、適当に話をして帰ろうと決めたその矢先。

「あれ、義子

………。
人生とはうまくいかぬもので、義兄が後ろから声をかけてきた上。

「あ、信長公と秀吉殿だ」

「今川の、か」
「あ、今川の」

互いに指さし合って、存在認識までしてくれたものだから、もう、もう。

「何をしてくれてんですか、兄上えええ!!」

「あ、義子って義子姫じゃったか」
「で、あるか」

義子としては、義兄の胸ぐらをつかんで揺するしか道は無く
彼女は可哀そうに、一生懸命に考えたのに、何一つとして実行に移せぬまま
なしくずしに、織田信長・豊臣秀吉に顔が割れてしまったのだった。