年末、冷や汗を垂らしながら書いた手紙の返事は
新年が過ぎてから返ってきた。
………いつもならば、ごく普通に使者が届けてくれるというのに
風魔便で届くという形で。
「くく、氏康が心配しておったぞ。忙しく手紙をかけぬほどに
こき使われているのかと。うぬは罪つくりよな」
「………申し訳ありませんと謝罪をしていたと、お伝えください」
「ふっ。逆効果のような気もするがな。うぬは頭の中に藁屑が詰まっておるらしい」
「………………だって、仕事が」
「自分の年齢を考えることだ、藁。我は面白くて良いが、な。
藁、言うてみよ。うぬはいくつだ」
「じ、十三歳です」
本当は二十越えをとうにしている上後半であったが、それは言わない御約束。
自分の歳を苦しげに答えた
義子は、更に言い訳を重ねようとしたが
今回ばかりは根本的に
義子が悪いのだから、切れも鈍るというもの。
ぐぅの音も出ない
義子は、自室にいきなり現れた風魔小太郎にちらっと視線をやって
それから文机に視線を移す。
「………風魔殿、今日はお時間のほどは、いかがでしょうか」
「特に願うのであれば、考えよう」
「……大変申し訳ありませんが、手紙をすぐに書きますので
その間お待ちいただけると助かります」
ははぁ。と矜持も何もなく畳に頭をこすりつければ
小太郎はくつくつと笑いを零して、
義子の頼みを快く(?)聞き入れた。
廊下を通りかかった侍女にお願いをして、饅頭と茶を持ってこさせて風魔に出すと
義子は文机に向かって筆をとった。
その横にあるのは氏康から来た手紙で
義子の心配と、あんまりこき使うようならド阿呆といってぶちのめせ。という旨が書いてある。
…相変わらず優しい。
「氏康も鬼ではない。すぐにすぐ返事を出さずとも
文句は言わぬと思うが、藁」
「ただし、心配しながら。ですよね。
であるのならば、書きます。
………お時間ないのでしたら、無理にとは言いませんけれども」
「いいや。もう北条に帰るだけだ。我には急ぐ理由もない」
壁にもたれて行儀悪く饅頭を口に運ぶ風魔は、そうしていると随分と生物らしく見える。
いつもは完全に人外の気配なのだけれども。
というか、食べ物は食べるのか。
風魔小太郎というものが、人間、むしろ生物であるという認識はさらさらない
義子は
氏康への返事を書きながら、どうでもよいことをどうでもよく思った。
そうしていると、ふと風魔が
義子の頭の高さに手をやって
それからもう大分上の空に、もう片方の手を置く。
「何をやっておいでですか、風魔殿」
視線だけでそれを見て、すぐに手紙を書く作業に戻った
義子がそう問うと
風魔は比べているのだと、短い返答を寄こした。
「比べている?何をですか?」
「藁と子犬との差だ。…愉快だな、藁。これだけ違うというのに
きゃんきゃんと威嚇するとは」
何を言っているのか分からず、二十センチほど手を広げた風魔相手に
怪訝な表情を
義子は浮かべる。
すると彼は、またくつくつと喉で笑った。
その表情に不吉なものを感じて
義子は
「…あの、本当にそれは何の話なのです」
「なに。少しの座興よ。うぬの話を子犬にしてみたならば
構う人間の興味が余所に向いていることに
即座に反応した。そういう戯れの話だ」
「………………何をやってくれているのですか…」
ようするに、北条方で奇特にもこの風魔小太郎相手に懐いている人間に
義子の話をしてやきもちを焼かせてからかって遊んだ。
そういうことを風魔小太郎は言っている。
その奇特な人間と、小太郎がどのような関係であるかは知らないが
義子を巻き込まないで遊んでいただきたい。
そういう意味合いで睨みつけると、小太郎は恐ろしい顔だと言って、馬鹿にしたように口の端を上げた。
いいや、馬鹿にしたように、ではなく、馬鹿にしている。
…性格が、大層悪い。
風魔小太郎と邂逅すると、常に思わされるそれを今回もまた感じて
義子はふぅっと大仰にため息をわざとついた。
「…で、その、話をした人の名前と、性別と、年齢を」
手のひらを小太郎の方へ向け、人差し指を動かし
情報を寄こせと小太郎に言うと、彼は面白げな顔をした。
「聞いてどうするつもりだ」
「その方にも手紙を書きます」
「こまめなことよ」
「風魔殿、仮にも同盟国の北条で
私に悪感情を持つ人を、勝手に作らないでいただきたいのですが」
こまめも何も、風魔小太郎が遊ばなければ、
義子は手紙を氏康以外に書くことなど無かった。
文句をたれた
義子だが、それで聞く小太郎ではない。
彼は
義子の文句など聞こえないような涼しい顔をして、茶を飲み干す。
「さて、な。我はただ、藁は子犬よりかは賢しく
氏康も気にいっておる、奇特なことだ。といっただけのこと」
「………煽っているのではありませんか」
素知らぬ顔で言う小太郎。
そんな彼に筆を投げようかと思った
義子だが、相手方の名前などを聞かなければならないので
で?と我慢をして先を促す。
「で、相手の名前と性別と年齢と性格を」
「やれ、本当に書く気か…名は甲斐姫、年齢は知らぬ。うぬよりかは少し年上であろう」
「甲斐姫…あぁ、小耳にはさんだことがあります。
なんでも、姫だというのに、武勇に優れ戦場にも出る美しい方だとか」
「美しい、な」
その
義子の言葉に、小太郎がくっと笑うものだから
彼女は頬杖をついて彼を眺めて思う。
「…あの、風魔殿」
「なんだ、藁」
「人を、その方をからかうダシにしないでいただきたい」
愉快な玩具を思い出す顔で笑う小太郎にピンときて言えば
彼は賢しいことよと、
義子を微妙な表情をして褒めた。
「子犬、文だ」
「わっちょ、びっくりするから声ぐらい先にかけなさいよ!」
城内を歩いていた甲斐姫の元に風魔小太郎が現れたのは
夕方近くになってからのことだった。
いつもいつも突然現れる小太郎に、いつものように甲斐姫が文句を言うが
気にした様子もなく、彼は懐から文を取り出して、彼女へと押しつける。
「…文、誰から?」
自分へ風魔経由で来るようなもの、とんと心当たりのない彼女が問うと
「今川の藁だ」
「え、なんで!?なんで今川のお姫様から手紙が来るわけ!?
あんた何かやった?!」
「さて、な」
思わぬ差出人に動揺する甲斐姫だが、小太郎が素知らぬ顔をしているので
問いただすのは諦める。
こいつがこう言う顔をしている時には、お館さまだって口割らないんだから。
北条氏康にだけは従順な、風魔小太郎の普段の行動から
潔くも諦めて、甲斐姫は封を破り手紙を広げる。
内容を読めば、どうしてあちらさんからこっちに手紙が出されたのか分かるだろうし
その上で、風魔にまた違った質問をぶつければ良いと思ったからだ。
そうして、手紙の内容に目を走らせ、熟読した甲斐姫は。
「………」
無言で小太郎の腕を叩いた。
それを甘んじて受けた小太郎は、甲斐姫の機嫌がいやに良いことに気がついて
彼女の持った文に視線を落とす。
「子犬、その手紙何が書いてあった」
「あれ、あんた内容知らないの?」
「知らぬな」
「えー………教えなーい」
くすくすと、年頃の少女らしい笑みをこぼして甲斐姫は廊下の向こうへ駆けていく。
走るのは、小太郎につかまらぬがためだろう。
それを見送って、さてあの藁は何を書いたのか。
知りはしないが予想のつくそれに、彼は一瞬面白くなさそうな顔をすると
ふっと風に乗ってかき消えた。
甲斐姫の髪に挿した花が、本人の機嫌と同じように弾んでいるのを思い出したからだ。
拝啓、
厳寒の候。甲斐姫様におかれましては、時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
今川家が姫、
義子と申します。
風魔殿より甲斐姫様の話を聞き、筆をとりました。
会ったこともないというのに、お手紙をさしあげる無礼、どうかお許しください。
風魔殿からお話を伺いましたが、私が戦場に出た頃、私の噂話を二人でされていたとか。
美しく、武勇に優れ、戦場で目覚ましい働きを見せると
今川にも聞こえる甲斐姫様に、噂をされていたと思うと
未だ足りぬ我が身ですから恥ずかしくなります。
ですが、今川の私の周りには、同い年の女子もおりませんし
これもご縁として、仲良くしていただけたらと思い、筆をとった次第です。
厚かましいお願いではありますが、どうぞお呆れにならず聞き届けていただけたら幸いです。
それでは、厳寒のおり、ご自愛くださいますよう、お願い申しあげます。
敬具
今川
義子
「やったわ!今川で美しいって評判だってー!」
「うるせぇぞ、成田の小僧!!」
余談だが、甲斐姫はこの
義子の申し出を快く受け入れ
今川
義子は、北条氏康と甲斐姫の両名と文通をする羽目になった。
「……あれ、
義子、このようなところで遠い目をしてどうしたというの」
「いえ…少し罪悪感を覚えているだけです。
あれでこんなにうまくいくとは…北条の方というのは
今川に比べて真っ当で困ります…」
「え、自分のこといってるの、
義子」
「え、兄上と父上のことですよ」
………と、いう。
義子が嘘をついて、成田の甲斐姫の敵愾心を帳消しにして
代わりに
義子が罪悪感を抱くようになった
永禄六年の新春のお話。
→