「奥州は、そろそろ雪深くなってくる頃であるの」
「は、奥州、ですか?」
ぱちくりと
義子は眼を瞬かせた。
この義父、今川義元の発言が唐突であるのはいつものことだが
今回はいつにも増して唐突だ。
文机の前で、なにやら誰かに手紙を書いている様子の彼に
領内の報告をしていた
義子がそうやっていると、義元は奥州だの、と肯定をする。
「今丁度、朋友・伊達政宗殿に手紙を書いておったところだの!
だから、奥州の話をしたんじゃの」
「あぁ、そういう。…朋友ですか、大分位置的に離れておりますけれども」
一旦は納得した
義子だが、伊達政宗と友人であるという義元に、再び首を傾げた。
今川が治めるのは静岡あたりだが、伊達が治めるのは宮城辺り。
大分、遠いような気がするのだけれど。
両人とも大名であることだし、そうそう領外へと外出もできぬはず。
どうやって出会ったのか。
「政宗殿は鞠友であるの」
けれども、
義子のその疑問は、義元のその一言でもって氷解をする。
あぁ、うん。
この父と蹴鞠が揃うなら、大抵のことは何とかなるし
何があっても驚かない。
深い深い彼の蹴鞠愛に対して、既に悟りの境地にいる
義子は
そうですか…と力なく頷くだけにする。
下手なことを言って、力の抜けるであろう出会いの話などされてもたまらない。
それにしても、大分年が離れているような気もするけど。
それでも、
義子と多分同じくらいの伊達政宗と、朋友か。
今川義元という人は、本当に蹴鞠が好きだなと、
義子は感心をした。
親子ほど年の離れた子供を、蹴鞠だけで朋友と言えるなど
並大抵の愛ではできまい。
………と、和むのはともかくとして。
こほんと咳払いをして空気を一新すると、
義子はで、と報告を続ける。
「それですね、父上。今現在は農閑期に入っておりますけれども
作物を植えないわけではありません。
ですが、今年の冬は殊更寒さが厳しいようで
領内各地で霜による寒害が出始めております」
「で、あるかの。……冬に霜がたくさん降られると
えんどうやら大根やらに被害が出るの。勘弁してほしいの」
困り切った顔でいう義元だが、戦国時代において災害被害が発生するのは珍しくもない。
後は、どうやって早期に手を打って、飢饉を起させぬようにするか。
義元はたっぷりとしたあごを一撫でして、考え込む様子で口を開く。
「農繁期で無いのが、不幸中の幸いではあるの。
ただ、そういう良かった探しは麻呂は好かぬ、の」
ふっくらと太った今川義元が困った表情を浮かべると
本当に、福笑いに似ている。
この人に緊張感が無く見えるのは、この背格好顔のせいだと
義子がそれを見ながら思っていると、義元はどうするかの、と言って
義子を見た。
それに意見を求められていると察した
義子は、少しの時間考えて。
「…地面に藁を敷き、その上から布をかぶせ、寒さや霜を防ぐことを推奨すればよろしいかと」
「では、それの指示、宜しく頼んだの」
「は」
現代で見たことのある光景を思い出しつつ進言すれば
それはすぐさま実行に移すよう、義元から下知される。
即断即決。
こういう時ばかりは、義元も大名らしい。
頭を下げて退出して、ふすまを締めたところで
義子は
さぁどこから話を通すべきかと思う。
寒害被害による農作物への影響と、その対策については
義元のいった通りに農閑期であることもあって
家老に話を通すほど、ということでもないような気もするが。
……まぁ、順当に順番に上から下へと流すべきだな。
仕事というものは、水の流れのように上から下へ流れるべきだ。
一足跳びに実務をつかさどるものに、いくわけにはいけない。
さて、家老といえば三浦氏満である。
朝比奈泰朝もこの間病没した父の家督を継いだので、話を両名に通すべきだが。
殿からの命で、といえば嫌な顔もされまい。
兄上の名前もつけて、連名にしておこう。
途中で話が止まらぬためのやり方を頭の中で考えつつ
義子が歩いていると、ふと庭の水仙が咲いているのを見つけて立ち止まる。
「…もう冬、か」
今年も一年終わるのだ。
思えば濃い一年であった。
いや、昨年もか。
戦国の世に落ちてきて以来、平凡平穏平安とは全く無縁だが
近頃はそれも受け入れて、過ごしているのが事実だ。
もう日常になってしまったから。
合戦とか、戦争とか、他国との駆け引きとか、血なまぐさくなってしまった周囲に
慣れた一年、二年。
これから先もこれが続くのだろうなと思えば、少しは憂鬱になったが
義子は一人ではない。
義子が左で義兄が右。
左右であるのであれば、まぁ、まだ我慢は出来る。
あぁ、義兄はこう言う気持ちであったのか。
そこで初めて氏真の気持ちを理解して、
義子は困ったような気持ちで
庭の水仙を見た。
一人で戦国の世を渡るのは怖すぎるが、信頼のおける人間と二人なら。
赤信号、みんなで渡れば怖くないということかなと
少しずれたことを考えていた
義子だったが
ふと、氏真つながりで名前の似た氏康を思い出して、あっと声を上げる。
そういえば、未だ続いている文通の返事をまだ返していなかった。
「…やばい」
少しばかり、最近忙しかったから。
秋の終わりに手紙をもらって、今は冬半ば。
もうすぐ新年が来るのだけど…。
まだ、一つも文字をかいていませんというか、忙しさにかまけて忘れておりました。
…まずい。まずすぎる。
相手の立場が立場なので冷や汗を流し、
義子は早急に謝罪と近況報告の手紙をかくことと決めた。
「…えぇと、優先順位的には兄上に話を通して
家老連中の了解をとる手紙を書いた後早急に」
北条家当主への手紙の返信を忘れるという失態を思い出した
義子は
だらだらと汗をかきながら、とっとと手前の仕事を片づけるべく
速足で義兄の居室へと歩き始めた。
永禄五年、次の年が迫る頃の、そんな話。
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