真実今川の人間になる、そう決めた義子は、二度目の出陣のすぐ後
三度目の出陣を果たした。
今度は徒党を組んで旅人を襲う四十幾名の大山賊団を相手に
一名の死亡者と一人の怪我人を出したものの、彼女は見事勝利をおさめて見せ。
そうして、彼女はその実力を内外に示したのである。
それは、彼女が人を殺すことを躊躇わなかったのが、一番に大きかった。
もしも、義子が人殺しを躊躇うような『真っ当な』神経の持ち主であったならば
彼女はもはやここには居るまい。
現代の訓練された軍人でも、とっさのときに銃の引き金を引ける新兵というのは少ない。
だが、現代の軍隊においてそれが常識としてまかり通り
訓練をしてなるたけそれを無くせと、引き金を引けないこと、それ自体は許されるのは
現代の軍隊が連携を重視する組織の仕組みであり
一直に伸びる命令系統が存在するからだ。
しかし、戦国の世は違う。
下剋上が横行し、複雑な命令系統を持つこの世では
力を示す(人を殺せる)ことこそが、重要なのだ。
新兵だからといって、躊躇うような人間ではとてもとても。
それが、周囲に引きずりおろしたいと、思われている人物ならば猶更。
義子は、義子が、人殺しを躊躇わぬ人でなしであったが故、今もまだ生き永らえているのである。





「秋ももう終わりかなぁ」
庭先で石に腰かけ、のんびりと義兄が言う。
それにそうですねぇと答えて、義子は空を見上げた。
空は高く澄んでいて、確実に冬の空へと変化を遂げている。
「………もうすぐ、冬ですね」
「そうだねぇ…あぁ、焼けたかな」
ぱちりぱちりと音を立てて、義子と氏真の間で、集めた枯葉での焚き火が燃えている。
その中を器用に木の枝を使いまさぐって
氏真は枯葉の中に隠していたサトイモを、ゴロゴロと救出した。
「それにしても珍しいですね。兄上がこれが食べたいあれが食べたいというなどと」
「うん?あぁ。別になんでもいいのだけど、秋ならば秋らしい風情を感じなければと思って。
でも少し、食べるのが面倒くさいから、もみじ狩りにでもしておけばよかったかと
後悔しているところだよ」
………珍しく、焼き芋が食べたいと言い出した義兄に付き合ったのは
ほんっとうに、食べ物に興味の無い義兄が、食に興味を示したのが嬉しかったからなのだけど。
また、風流とか風情か。
根っからの文化人である氏真は、未だに実用一点主義の義子の対極にいる。
氏真自体を好いてはいるし、この辺り嫌いではないけれど、歩み寄りは出来ない。
そう思いつつ焚き火から救出されたサトイモを布で包んで、はふはふとやっていると
ふと氏真がそう言えばと、声をかけてきた。
「お前を忌み嫌っていた勢力ね、あれはどうやら下火になったようだよ」
「あぁ。三度の出陣でようやくですか」
「十二の女児にして、すでに大人の貫録がある。だって。
喜びなさい、義子
「はい、兄上」
僅かばかりは、足場が安定したと聞かされて、義子は安堵に胸を撫でおろす。
あぁ良かった。
そうして義子の安堵は義兄の安堵でもあるようで、彼は荷が下りた顔をして
義子の頭を撫でた。
「良かった良かった。私の方も、良かったよ。
今更引きずりおろされても、そのぅ、うん。困る」
「はい。兄上」
少し照れながら言った氏真に、義子は珍しくにこりと笑い頷く。
義兄の安堵は義子の安堵。
義子の安堵は義兄の安堵。
左右の車輪は心を同じくしながら、にこりと笑ってサトイモを口へと運んだ。








「それにしてもお前、三度の討伐を経て思ったことはあるのかい」
「思ったこと、ですか」
「何でも良いよ。好きにお話し。聞きたいだけだから」
サトイモ二つを食べ終えた頃、氏真が言いだしたことに義子はきょとりとする。
行き成りそう言われても。
けれど、氏真は膝の上で肘をついて顎を支え、義子の方を見ているので
仕方なしに義子は三度の討伐を思い返して、なんとなく思ったことを答えてみる。
「そう、ですね。…まぁ、まず、案外私は人殺しが平気でした。
自分でも驚きではありましたが」
「良いこと、というのもなんだけれども。
まぁ、こういう立場であるから良いことだね、それは」
「兄上はいかがなのです?」
「私?私は、ほら。面倒くさいが先に立つ。のだけれど、他人に興味が無いからね。
知らない人間を斬ったところでどうとも」
なんとなく聞いてみると、氏真のそれは、義子のそれよりも人でなしであった。
どうにも。は、どうでもいいということ。
けれども、それはある意味真理だ。
知らない人間を斬ったところで、罪悪感は湧くが悲しみは湧かない。
遠くの他人よりも、近くの知人。と思いつつ、義子はさらに促す氏真のために
更に感想を絞り出す。
「…後は、そうですね。…施政者だとか、将だとか。
そういうものは人でなしで無くば務まらない、と思いましたか。
それぐらいで」
三度の討伐を指揮して思ったことがある。
人に作戦を指示するということは。
施政者として、何かの退治や戦争を指示するということは。
指示した人間を殺すことと等しい。
何かと戦えば人は死ぬ。
現に、三度目の討伐では人が死んだ。
義子はその時に激しく動揺したが、ついてきていた泰朝に、動揺するなと叱られた。
…上に立つのは、立つということは、そういうことだ。




動揺は許されない――兵に動揺がうつる。
悲しみは許されない―軟弱だと噂される。
躊躇いは許されない―躊躇えばもっと人が死ぬ。




運悪くすれば死ぬかもしれないが、まぁ、君。死んでくれないか。


それを指示して、屍の山の上に立って、平然とした顔で生き続けていかないとならないというのは
人でなしでなければ務まらぬだろう。
善良な心を持ったまま、善良な人間として将・施政者を務めるのはこの時代において酷く困難だ。
他者に死ねと命令しておいて、その上で国を治め、ある時には
大を活かすために小を殺す選択をしなければならない地位など、人でなしで無くば務めらない。
なんとなく手持無沙汰であるので、サトイモをとって、皮をむきながらそう言うと
氏真は義子の言葉を、全くその通りと全肯定した。
「まぁ、多かれ少なかれ、上に立つ人間など、どこか壊れているものだよ。
案外に、一番幸せに生きられるのは農民や、そのほかの有象無象の人々なのだけど。
彼らは我らが羨ましく見えるらしい。無い物ねだりということなのかな、お互い」
「しかし、兄上が農民であった場合、速攻で死ぬと思います」
どこか羨む響きで氏真が言ったので、義子は簡単に予測できる未来を口に出した。
農業も大変なのだ。
肥料をまいたり、畑を耕したり、種をまいたり、台風から作物を守ったり。
この義兄の性格からすると、いずれも面倒くさがって
すぐに飢え死ぬのは目に見えている。
そう言ってやると、氏真は虚をつかれたような顔をしたが、すぐにそれもそうかと納得をした。
…自分で言っておいてなんだけれど、納得しないでほしい。
本当、この人にはやる気を出していただきたいと義子は思うが
その義子の想いを無視するように、義兄は深く深く頷いて。
「まぁ、それもそうかな。私ではすぐに死んでしまうだろうね。
その情景が目に見えるようだよ」
「…………兄上、もう少し、やる気をですね。一生のお願いですから」
「すまない。面倒くさいのだ」
一撃両断。
いつものやりとり、いつもの日常。
微笑みながら、兄妹は目配せをしあって
「ところで、義子、君は人でなしかね」
「はい、兄上。兄上は人でなしですか」
「そうだね、肯定しよう。まぁどちらかといえば、私は人非人であるのだが。
…あぁ、最後のサトイモはお前が食べなさい。私はもう良い」
和やかに、施政者側で在れるかと質問され、和やかに施政者側であれると、答えた義子
氏真と和やかな空気のまま、秋の空の下そのまましばらく過ごしたのだった。
…その後、二人だけでずるいの!麻呂も誘ってほしかったの!と来客中であったくせに
駄々をこねる今川義元に、怒られるのではあるけれども。





時は、永禄五年。
もうすぐ、冬が来る秋の終わりの頃の話だ。