「竜爪山に出没する山賊は十五名。
三十名を貸し与えるから、討伐してきてほしいの。
見事、討取って帰ってくることを期待してる、の!」
初陣の話を聞いてから三日後。
駿河の大名、今川義元より正式な下知があり、
義子以下三十名は、竜爪山に向かい出立をした。
三十名以下の中には、朝比奈泰朝の姿もあり
彼は恐らくとして自分の護衛も兼ねて選ばれたのだと思いつつ
義子は、三十名の顔を眺める。
まず注目するべきは、岡部正綱の姿があることだろうか。
重臣である彼を、ただの山賊退治に引っ張り出すということは
この下知が何を意味してのことか、自ずと内外に知らしめる意味を持つ。
これは、ただの山賊退治にあらず。
今川
義子が、今川家次期跡取り氏真の補佐として、十二分な実力を持っているかどうか。
それを諸々の人たちに認めさせるための通過儀礼だ。
いつにもまして、失敗できないと思いながら、次に視線を移せば
そちらには重臣由比正信の子、由比正純がある。
こちらの方は、氏真の時代になった時用だろうか。
丁度同じ時期に代替わりすることになりそうな
彼の父親を思い出しつつ、
義子は人選に納得をする。
さすがは、義父今川義元。
選出に隙がない。
以下二十幾名については、ただの戦闘要員だろうから
この二人、いや泰朝含む三人について、自分は力を示さねばならない。
示せなければ、潰されるだろうし
示せれば、この三人から順次自分のことが広まってゆくだろう。
今後の命運を賭けた大勝負、か。
重たく苦しいと、考えつつも、
義子は目の前にそびえ立った竜爪山を見上げる。
青々とした緑色をしながらそびえ立つ山の中腹にある洞窟に
山賊たちはいるのだというが。
「して、どのようになさるおつもりか」
義子にまず話しかけたのは、岡部正綱だった。
彼は厳めしい顔つきをして、
義子の方をまっすぐにみている。
その瞳は、一部の隙も見逃さぬと語っているようで
義子はそれに内心辟易とする。
まったく、悪い立場に置かれたものだ。
しかし、
義子の意見を皆待っているのもまた事実で
この討伐戦の大将として、
義子は後ろに控える山へと視線を送った。
「まずは、山の中腹まで進み、夜明けを待ちます。
今の時間であるなら、山賊どもは散らばっていて
取りこぼしがあるかもしれません故」
「なるほど。昼間に人は通るものですからな。
今の時間ならば、奴らは散らばって旅人を待ちうけておる頃か」
中天に上った太陽に目をやりながら、で?と言いたげに岡部が次を促す。
それに頷きながら、
義子は控えた三十名の顔を見渡した。
誰も彼も、真実
義子に従っているわけではないが
義父の名の下、一応は働いてくれそうな顔をしている。
で、あるならば。
「まず、明朝、夜が明けきる前に、山賊が根城にしている洞窟に向かいます。
ついた後は、夜明けを待ち、洞窟におるはずの山賊を煙でいぶし
出てきたところを討取る予定で。
が、ただし」
「ただし、なんですかな」
「ただし、正面から全員でかかるのではなく
討ち漏らしの無い様、隊を三方に分けて洞窟の外に配置します。
数は十、十、十。
それぞれ洞窟の正面・左右に部隊を配置し、隠れる。
その後、いぶりだされた山賊たちをまず正面に配置した部隊が先鋒としてひきつけ
この人数ならば勝てると相手が思い、向かってきたところを
左右に控えた十名十名で挟撃します」
胸の前で両の手の指先を合わせ、
義子は。
にやりと、わざと口の端を上げた。
さぁ、大勝負だ。
義子は死にたくない、死にたくないなら生きなければならない。
生きるためには、さて。
義子の立場は今何か。
指揮官である。
そう、今川義元に任された。
で、あるからには、
義子の役目は将兵を減らさず
かつ、賊を迅速に討取り、その力を示すこと。
そうして、示す力の一つには、将としての器も確実に入る。
将としての器とは何か。
現代風に言うのなら、管理職としての態度も含まれるように、
義子は思う。
例えば、管理職についている部長課長が不安げならば
部下も不安になるだろう?
だから、
義子は内心の不安をひた隠し、出来るだけ余裕そうな表情を作って
目の前の屈強な男どもを見渡した。
出来るかどうかは、もちろん不安だ。
けれど、それを気取られたのでは『失格』になってしまう。
死にたくは無い。
一年前、突然に落とされた時のように、草を食んで生きていた時のように
ただその言葉が
義子の頭の中で明滅した。
あぁだけれど、その執着も消さなければ。
必生は虜にさるべきなり。
生きるために、生きる執着を丁寧に潰して潰して
そうして
義子はすぅと気付かれないよう息を吐いた。
早鐘のようになる心臓を抑えつつ、
義子はプレゼンテーションをするときのように
ゆっくりと、落ち着いて、明朗に声を出す。
「さて、隊を三方に分けて得られる効果は主に二つ。
先に正面部隊のみを敵に見させることによって、敵の油断を誘うこと。
もう一つは、左右より、後に部隊を出現させることにより
油断した敵の動揺を誘うこと。
ご理解ご納得いただけて、私のいうとおりにしていただけるのならば
隊を三方に分けたくあるのですが。何か、質問ある方は」
「では、よろしいかな。
義子姫。
隊を三方に分ける場合は、どういう分けにするおつもりで?」
戦法自体に異論は無いが、という調子で言う由比正純に
義子はそれぞれ岡部正綱、朝比奈泰朝、由比正純の三名へと視線を送った。
「正面には、岡部殿、左を朝比奈殿、右を由比殿にお任せしたく思っています」
「なるほど」
正面に岡部を配置するのは、彼が一番経験があり、武勇に優れるからだ。
後詰めに若手を配置するのは、残りものであるから、まぁ、正しい。
順当な部隊分けに、由比正純がふむと頷くと、今度は岡部正綱が、しかしと言う。
「では、あなたはどこに居られるつもりなのか、
義子姫」
岡部の発言の裏に隠れているのは、てっきり左右いずれかの部隊の長として
安全圏から見ているつもりであろうと予見していたのに、だ。
まぁ、
義子の立場はこの場限りでいえば総大将であるから
安全圏に居るのも間違いではない、が。
この時この瞬間において、それは下手である。
繰り返しになるが、
義子は『力』を示さなければならない。
だから
義子はすぅっと、岡部の眉間を指さし、まっすぐに彼に向かって、言うのだ。
きっぱりと、はっきりと。
義子が思う、最善を。
「私は、正面の部隊にて、一番駆けを務めます」
………その瞬間に、空気が凍った。
義子の年は、周囲の認識だけでとらえれば、僅か齢十二ばかりである。
しかも、少女だ。
それが、初めての戦場、初めての指揮、初めてのこのような場において。
この、態度。
この、選択。
全く尋常ではない。
驚愕のあまり固まる三十名の男の中で、いち早く正気に返ったのは、岡部正綱だった。
彼は、見開いていた目を細め、
義子の眼を見て口を開く。
「何も正面でなくてもよろしいでしょうに。正面であるというのなら
一番に多く、敵と戦うということ。拾われものであっても、あなたは姫でありますぞ」
「けれど、正面でなくてはならないのですよ。姫かどうかは関係がありません」
「では、一番駆けでなくても良いのでは、と、言葉を変えましょうか」
「では、こちらも一番駆けでなくてはならないと、言葉を変えましょう、岡部殿」
「危険ですぞ」
「承知の上です」
「死ぬかもしれませんが、よろしいのですかな。
草を食んで生き伸びるような、あなたが」
正念場だ。
ただの拾われた幸運な小娘を見る目から、見定めるものへと
その視線を変化させた彼と目を合わせつつ、
義子はつばを飲み込み、渇いた上顎をひきはがし
そうして。
「父上と、兄上がそうお望みです。私もそれを、望みます。
だから、私は正面の部隊にて、一番駆けを、望んで
覚悟の上で、今だからこそ。私が。務めるのです。岡部正綱」
静かに空気を震わせたその声に、返されたのは豪快な笑いだった。
岡部はその
義子の発言を聞くや否やと言うタイミングで
ぶぁはっはっはっはっ!!という大きな笑い声を立て笑いだす。
今のは笑うところであっただろうか。
戸惑う周囲を置き去りに、岡部はばぁんっと、無礼に
義子の背を思い切り叩いた。
「いっ」
「僅か十二ばかりの女子にして、その意気や良し!!
なるほど、殿が補佐にと望まれたのも、まぁいた仕方なしと思ってやろう。
三方の部隊のその正面を見事務め、一番に駆ける貴女の背を守りましょうぞ。
義子様」
義子姫、から
義子様に呼び方が変わったのに、敏感に反応して
義子は岡部正綱を振り返った。
彼は笑いの余韻を残した表情をして、その
義子の反応に肩をすくめて見せる。
気付かれないように、周囲をうかがうと
彼らは一様に岡部が認めたのであれば仕方がないという顔をして
義子を見ていた。
………勝った。
岡部がまずは認めた。
これで一番に駆けて、幾人か山賊の首を取れば、本当に、
義子の勝ちだ。
本音を言えば、飛び回って喜びたいような気持ちであるが
義子は
義子の立場上それもできない。
義子は喜びの感情を出来るだけ抑えつつ、ありがとうございますと岡部に微笑む。
そうして、一行は、山の中腹まで山賊に出会わぬようそろそろと進み。
義子の策通りに、彼女以下三十名は山の中腹、山賊の根城より
ふもと側にて、夜明けを静かに待つのだった。
…
義子が、人殺しをするまで、あとわずか。
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