将に五危あり


―必死は殺さるべきなり

必死になり過ぎる者は危うい。
心のゆとりを殺してしまえば、大局の判断もできず、犬死をする。

―必生は虜にさるべきなり

生に執着しすぎる者は、危うい。
生に執着する余りに臆病になり、卑怯なふるまいをした挙句に
捕虜にされてしまう。

―忿速は侮らるべきなり

苛立つ者は危ない。
怒りをすぐに覚えるような者は、部下からも敵からも
足元を見透かされる。


―廉潔は辱しめらるべきなり

潔癖すぎる者は危うい。
恥を気にして、実を取ることを忘れてしまう。

―愛民は煩れるべきなり

人情家は危ない。
同情をし過ぎて厳しくなれない。
それは、将兵としてよろしくはない。



「…では、私が気をつけるべきは、必生は虜にさるべきなり、ですね。
あとは、必死は殺さるべきなりでしょうか」
「そうであると、自分でお思いですか?」
兵法の指南役に問われて、義子ははっきりと頷く。
「はい。私は自己保身が強く、生への執着が激しい。
そのために、心にゆとりを持てぬこともあるでしょう。
あぁ、それを思えば、忿速は侮らるべきなりも、気をつけるべきなのやも知れません」
「では、廉潔は辱しめらるべきなりと愛民は煩れるべきなりはよろしいと」
「そうであらぬよう、気をつけるべきではありますが
上げた三つほどではないかと、自己分析いたします」
ゆったりと手を腹の前で組み合わせ、義子は指南役に答えてみせた。
今上げた五つは、将が気をつけるべき心構えだ。
それをもとに、自分を考えてみれば、自ずと、気をつけるべき点は決まってくる。
義子は、今答えた通りに自己保身、生への執着が激しい。
で、あるならば、必生は虜にさるべきなりは最も気をつけるべきである。
次に、その連鎖として、自分の生が脅かされた時、心にゆとりが持てなくなるのは必至。
なら、必死は殺さるべきなりは、その次に気をつけるようにすることだ。
忿速は侮らるべきなりも然り。
逆に、潔癖と人情は、義子とはあまり関係のない事柄であるから
後半二つについては、あまり気にせずとも良いように、思える。
義子は、見栄より実が好きだ。
人情も、あまり好きではない。
責任ある立場であるのなら、職分を超えた感情をあまり表に出すべきでは、ない。
無論、上に立つ者にも優しさは必要だろう。
けれど、問題が発生した場合において、時に優しさと言うのは
無責任にも通じるところがある。
その時には、無用な情に押し流されぬ自分でありたいと、そう思う義子
愛民は煩れるべきなりは、特に不要であった。
「………ふむ。義子姫」
「はい」
「良く、自己分析できております。あとは、実戦にてそれを活かすのみですな」
「はい、ありがとうございます」
お褒めの言葉を賜ったので、頭を下げて礼を言うと、指南役は
「覚悟ができているようで、結構」
………良く分からない発言を、した。
「……えぇと、その、それは、いかなる意味でしょうか、指南役」
恐る恐る手を上げて、指南役に問いかけると
彼はおやという表情で、片眉をはね上げる。
「聞いておりませんかな」
「なにをでしょう」
義子姫」
「はい」
指南役の真剣な声に、居住まいを正せば、彼は緊張した面持ちで義子を見た。
その、指南役の態度になんとなく展開が見えて、義子はつぅっと汗が背中を伝ったのを感じる。
「…義子姫」
「はい」
「…私が言っていいものかどうかは分かりませんが
…あなたの初の出陣が、お決まりになりました」
やはり、そうか。
読めていたが為、動揺もせず静かに受け止めた義子
指南役は重々しく頷き、良く活かし、良く働き、帰ってきなさいと声をかけた。








………そのように指南役に聞いた義子は、丁度、稽古の約束をして居た義兄に
木刀を向けながら経緯を話して、彼に首を傾げて見せる。
「と、いうことで出陣が決まったようですが。相手を聞いておりません。
一体誰と戦えば?」
「ん、山賊だよ。落ち武者だという話であるけど」
「山賊ですか。して、どの辺りで?」
「竜爪山だよ。まぁ、ここに近い場所で山賊に好き勝手されては困るということでね。
まぁ、早急にという話になって、丁度良いということで、お前に白羽の矢が立ったのだ」
「なるほど。人数その他については」
「そんなに数は多くないという話だけど、今、調べの者をやっているから少しお待ち。
それよりも、ほら」
ぱぁんっと、音が鳴り、木刀が叩き落とされる。
………話の最中だろうと氏真を見ると、彼はさらりと
「戦場では話の最中と言う言い訳は無いよ」と言い放った。
「いつもは、戦場は嫌だ嫌だと駄々をこねる癖にして…」
言いながら、お返しをするべく、踏みこんで木刀を打ち下ろす。
が、やはり氏真はさらりと避けて、こちらに向かい逆に木刀を振るった。
それを受け止めいなせば、義兄はひゅうっと行儀悪く口笛を吹く。
「やるようになったではないか、義子
「本気で打ちこんでなかった癖をして、良く言います」
力を五割も込めてなかったそれだから、何とか受け流せたのだ。
睨みつけながら腹を突こうとすると、氏真は簡単に義子の木刀を払いのけ
怖い怖いと声を立てて笑う。
相変わらず、余裕面をして。
腹の立った義子だが、そのような感情を発露させる間もなく、氏真が未だ笑いながら
義子の脳天に向かい、木刀を思い切り振りおろした。
その速度にはっとして、急いで両手で木刀を支え、一撃を受け止めようとする、が。
「…っく」
あの速度、あの力の込めよう。
とても木刀では堪え切れない。
おそらくは、受け切れずに折れるであろう木刀を予見して
義子はとっさに横に転がる。
すると、次の瞬間に、義子の居た位置を通り抜け
地面にぐさりと氏真の振るった木刀が突き刺さった。
「………あの、兄上」
まるで地面が豆腐か何かであるように、三分の一ほど綺麗に
埋まりこんだ木刀の状態を見た義子は、さすがにちょっと…と思いながら義兄を見上げる。
すると義兄は悪びれることなく、はっはっはっと、笑い声を上げた。
「まぁまぁ。要するに私が言いたかったのは
私より強い山賊はまずいないだろうから、安心して行ってきなさいと、いうことだよ」
「出来れば言葉で言ってくださると助かりますね……!
地面にめり込むまで木刀を力いっぱい振り下ろすことは無いでしょう、振り下ろすことは!」
「何を言ってるんだ、義子。力いっぱい振り下ろしたら
お前が避ける前に、お前の脳天がかち割れていたよ」
「そういう意味で無く…!!」
死んだらどうする、と思いながら義子が地面を拳で叩くと
氏真はにこにことしながら、彼女の頭を撫でた。
「まぁ、気をつけて、ね」
髪を梳かれ、降ってくる声の優しさに、義子は一度眉間にしわを寄せ
それから、黙ってこっくりと頷いた。
まったく、心配で落ち着かないのであるならば、素直にそう言ってくれれば良いのに。
こう言う時ばかり分かりにくい義兄に、義子は前髪をかきあげ、言葉を飲み込み
ただ、帰ってきますと、答えるに止めた。