「ところで、最近
義子は頑張ってるようだの」
「父上、最近も、ですよ。
義子は頑張り屋さんなんですから」
「………兄上、父上に呆れられますよ」
なんという義兄馬鹿発言。
そう思って義兄を窘めた
義子だが、義父は気にせず、そうだの、
義子は頑張り屋さんであるの。
とのほほーんと頷いている。
永禄五年、冬の日であるというのに、そこだけが春であった。
…春っていっても、頭の中があったかいってことだ。
失礼にそう思いながら
義子は鞠を綺麗に蹴りあげ、後ろ足でキャッチした。
武芸の稽古を始めてからというもの、身体能力が上がっているのを感じる。
無駄じゃないってことかなと思いながら、更に蹴って頭で受け止め
更にくるりと回ってつま先に、のせる。
意味のない行動だが、他二人にはえらく受けたようで
氏真と義元は
義子の曲芸に手を叩いて、歓声を上げた。
「わぁ、凄い凄い。鞠をよく扱えるようになっているね、
義子」
「鞠は友達!と言える日も近いの!その時には麻呂と是非蹴鞠るの!!」
「そうですねー。その時が来たら、えぇ。はい」
義父も義兄も、とりあえず適当にあしらっておく。
まともに会話をしていると、どこに吹っ飛ばされるのか分かったものではないからだ。
……しかし、今、まさに蹴鞠っているのだけれど、さらに義父は構ってほしいらしい。
鞠を蹴りながら口々に言う二人の様子を見て、
義子は心底親子なのだなぁと思った。
改めて考えるとこの二人、顔は余り似ておらぬものの
長身であることと、構われたがりなところが良く似ている。
似なくても良いところばかり似て。
兄上の母である、父上のご正室はどのような方であったのか。
…ちゃんと義兄と似ているところあるのだろうか。
まさか、面倒くさがるところだったりはすまいな。
疑問に思いながら、
義子は二人と蹴鞠遊び(?)を楽しむ。
近頃は稽古事ばかりであったから、三人でこうして和やかにしている時間というのも
中々とれなかった。
しょっちゅうあると鬱陶しいだろうが、たまにはこういう時があっても良い。
嫌いじゃあない氏真と義元を見ながら、
義子は密かに悪くないと思った。
うん、嫌いではないのだ。この二人とのこういう時間。
心が許せるもの、というよりも味方のほぼいない
義子にとって
味方というのはこの二人のみだ。
泰朝は、あれは認めてはくれたものの、義兄のお付きで、
義子の味方ではなかろう。
そうして、ただ二人の味方と一緒に居て、心が安らがないはずがない。
久方ぶりにリラックスできた気がして、
義子が肩の力を抜いていると
鞠を蹴りながら、そういえばの、と義元が口に出す。
「美濃の斎藤は、義龍が落ち、龍興に代替わりしたそうだの」
「あぁ、聞き及んでおります」
その話は城内の噂で聞いた。
人の口に戸は立てられぬ。
それが隣国の秘密にするようなことではないなら、余計に。
あっというまに噂になったそれを、耳に入れていた
義子が反応すると
義元は満足そうに頷き
「
義子は耳が早いの。で、うちのせがれはどうじゃの」
水を向けられた氏真は、どうでも良さそうに鞠を蹴った。
「また叔父上の物言いを真似されて……。
耳に入れてはいましたけど。それでどうなるかって言ったら
織田の美濃侵攻が更に加速するだけでしょうに。
一年、二年、もっとかな。落ちるのが早まるだけです」
「…もっとやる気を出すと良いの…」
「面倒だから、お断りします」
尾張・織田が美濃を手に入れるというのは、近くにある今川にとって
かなり重大なことなのだが、どうでも良さそうにそれを言った氏真は
更に鞠を高く飛ばして、指先で受け止め、義元を見る。
「元から、織田が美濃を手に入れるのは分かっておったことです。
織田信長は、戦に関して、天賦の才を持っている。その上運もある。
なにせ、寡兵で、桶狭間で我らのから勝利をもぎとったのですから。
ならば、慌てることではありますまい。全て、予測できたことです」
そう、慌てることは無い。と言いたげな彼のその様子に、
義子はしかしと反論をする。
兄上はそうお望みだ。そのような気がした。
「けれど兄上。美濃が落ちるのは分かり切ったことであっても
それが早まれば予定が狂います。
早々には実が生らぬ外交計画の修正を行うのであるなら、十二分に慌てるべき事態かと。
それに、信長公が美濃を手に入れ、更に浅井と同盟を結んだままであるなら
上洛に一番近いのは彼となります。
そうしたことを鑑みて、更に更に、今川は織田をどうするのか
優先順位を上げることを考えなければならぬ問題が、浮上してきますが」
「ふむ。なるほど。………と、
義子は申しておりますが、父上」
ぽんと、
義子の頭の上に手を置いて、氏真がにこりと笑って義元に言う。
その氏真の顔を見上げながら、
義子は氏真の置いた手に自分の手を重ねた。
「…というか、これは私の反応が見たくて言いだされたことでしょうに」
氏真の冷えた手を触って言えば、義元もまた、
義子へ近づいてきて
良い子良い子と頭を撫でる。
「
義子は本当賢い、の!」
「…………いえ」
それが年の割に、ということなのか、それとも本当に頭が良いと思っているのか。
義子は計りかねて、曖昧に返答をする。
褒められるのは嬉しいけれど、どちらの理由にしても、
義子は増長するわけにはいかなかった。
もしも年の割になのだとしたら、それは
義子の中身と外見の差による貯金にすぎない。
そうでないにしても、
義子はまだまだ自分の中身に納得がいかなかった。
生きるためには、もっともっともっと、力と知識が欲しい。
義子の生は今川の生と同義である。
生きるためにと受け入れた、左右の車輪の提案は
よくよく考えてみればそういうことだ。
それに気がついた時には、
義子も相当青ざめたが、しかし。
受け入れた以上は、責任を持ってやり遂げなければならないし
ここを出るにも、出た後行くあてがあるわけでもない。
氏真と義元に、愛着がないわけでもない。
いざ、となればどのようにするかは自分でもわからないが
とりあえず、
義子は今川と自分の生がイコールであることを
表面上受け入れた。
で、あるからには、現在の
義子程度の中身では
現在の乱れ切った世の中から、今川の国を守りきることなど到底不可能。
更に高みを目指すべし。
そんな気持ちでいる彼女を、多分人はあらゆる意味で、自分が見えていないなと思うことだろう。
現在でも彼女、十四歳男子並みの剣技を持ち、それなりの用兵学を頭に叩き込まれた
ハイスペックであるのだけど。
ただ、残念ながら、落ちてきて一年でそれだけ考えられたら、とりあえず頭の方は十分だって。
と、つっこんでくれる人材は彼女の周囲にはいない。
居るのは、ただ褒め投げをしつつ、もっと頑張れという人間たちだけだ。
おそらく諸葛孔明クラスの人間にならなければ、満足しないだろう
義子は
きりっとした表情で、いろいろと頑張ろう、と決意を新たにした。
…今川
義子、不言実行の、色々としょっぱい生きものである。
とりあえず、その彼女の努力の結果が、実を結ぶ日は
なかなか先、半年後の夏の頃のこととなる。
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