草木も眠る丑三つ時。
気持ちよく就寝していた
義子だったが、ふと気配に目が覚める。
瞼をあけて飛び込んできたのは、えらく血色の悪い顔をした男であった。
いや、血色が悪いのではない。
顔を白塗り、両頬に青色の線を描いた男だ。
そこまでを見てとってから、
義子は男を指さし、口を開く。
「……………お化け?」
「どうかな、うぬはどう見る」
目が覚めたらいきなり居た男。
普通ならば、叫ぶところであるが
義子の口をついて出たのはお化け?という疑問符のついた言葉だった。
これが、男が真実、ただの人間であるのなら
義子も真っ先に曲者かと警戒したのだろうけど。
顔を白塗り、化粧をした男の容貌は異様で
おまけに男は、どうも気配からして、人間のものではなかった。
明らかに、異質。異常。
ぼんやりと、暗闇に浮かびあがる人影の言うことに、
義子は起き上がって頭をかいた。
妙なことを言うお化けだ。
どう見る。といわれたところで、
義子には男が人間のようには見えない。
「………お化け?」
現実味のないまま、うにゃりと指さすと、くくっと意地の悪い笑いが返る。
その声にこいつは性格が悪そうだなと、大変に正直な感想を抱いた
義子だったが
呆れた顔をする前に、がっと後ろ頭に衝撃が走った。
ついで、顔に圧迫感が来る。
頭を踏まれ、布団に押し付けられたのだと気がついたのは
一瞬後のことだった。
ごりっと、頭の骨がこすれる音がする。
痛い。
けれども悲鳴を上げた声は、布団に呑まれてくぐもった音を響かせるだけだ。
悪霊であったのか。
思いついた時にはもう遅い。
男はがりがりと頭蓋に響くよう、攻撃を加えてくれた。
痛い、痛い、痛い。
痛みが鋭く頭に走り、頭蓋には今にも割れそうなほど、負荷がかかっている。
「うっぐっぅぅ」
じたばたと手足を暴れさせてみるが、どういう位置に居るのか
男の体に当たる感触はまるで無い。
痛い、痛い、痛い。
ごりごりと、男が足に体重を掛け、頭蓋がこすれる音が耳に響く。
それが十度ほど鳴ったところで、
義子は布団に熱い息を吐いて
全ての抵抗を、やめた。
抵抗したところで無駄だと分かったからだ。
「藁、抵抗はもう良いのか」
「………………」
声は返さない。
ただ、男の様子を静かに伺う。
男はその
義子の様子につまらぬと吐き捨てて
義子の頭から足をどけ
―――次の動作に移るその前に、
義子は体を置きあがらせて
部屋の出口へと走った。
これを、この瞬間を狙っていた。
無抵抗になれば、この手のタイプはつまらないと思って
次の行動に転じるはず。
その読みを当て、
義子は勝ったのだ。
化け物に効くのは何か、塩か。
いやそれよりも、ただ安全なところに逃げるべき。
考えながらも足を動かし、部屋のふすまを開こうとしたところで
とんっと、額が押された。
押したのは白塗り男だ。
後ろに居たはずなのに、いつの間に前に居たのだろう。
いいや、化け物に、距離は無意味だということか。
息をのんで、出し抜いたはずのものに回りこまれた衝撃に打ち震える、その前に。
どうにか出来ないかと、再び
義子は考える。
何をすれば再び出し抜くことができるか
この男から逃げることができるか
どうすれば、生き抜けるのか。
男の動向をつぶさに伺い、一歩退きそうになる足をこらえる。
獣は、退くものを追う。
ならば、男もまたそうなのではないかと、
義子は考えたからだ。
そうして向かいあって暫く。
男が唐突に口を開いた。
「たっての命令で様子を窺いに来たついでではあったが
面白いものを我は見たものだ
うぬは、賢しき子供よな」
「……………はぁ、それは、どうも」
愉快そうに言われた言葉には、返答を返すべきなのかどうなのか。
大体、
義子は子供に見えて子供で無いことだし。
迷った末に、曖昧な言葉を発すると、男はくっと口の端を吊り上げる。
「生き汚く、それゆえ流されるから、藁のよう、か」
自分のことを指されているのだとは思うが、それは失礼すぎやしないだろうか。
しかも当たっている分腹が立つ。
無意識にむっとした顔をする
義子に、男はくくっという低い笑い声を洩らした。
「愉快よな、藁。子犬とはまた違った面白さよ」
身を引きかけた
義子の腕を掴み、男は、化け物は、彼女の耳元へと顔を寄せ
「我の名は風魔小太郎。いずれまた会うこともあろう。
覚えおくが良い」
ざらりとした低い声での名乗りを終えると、男の姿は闇へとかき消える。
その様に、やはりお化けかと、
義子は気の抜けた体で思い。
「…寝なおそう…」
お化けならばどうしようもないと、とりあえずまた布団へと神経太く戻るのだった。
そうして、
義子が再び風魔と、その主北条氏康と出会うのは、五ヶ月後
春も真ん中となった頃の話となる。
現在は、永禄3年。冬の最中のどうにもない出会いの話であった。
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