「大体あっておるの」
「あぁ、やはりそうですか」
ぽーんぽーんと、鞠が青い空に跳ね上がる。
跳ね上がらせているのは、義元と義子だ。
先ほど歩いていたら、義元から蹴鞠に誘われたので、ごますりにつきあっている。
そこで、丁度良い機会なので、氏真のために自分を養女にしただろうと
それとなく聞いてみたら、やはりビンゴだったらしい。
「昔からやる気のない子ではあったけれど
今はもう生きておるのか死んでおるのか良くわからんの、の」
「……………」
さらりと酷評するのは、この人の癖なのかなんなのか。
おおよそ実子に対する感想とは思えぬそれに、
言葉が返せぬ義子は鞠を蹴って高く飛ばす。
そうして、空からふってくる鞠を受け止めては、また空へとうちあげた。
しかし、蹴鞠をしようと誘われて、やっているのは明らかにリフティング練習である。
皆で蹴鞠ると楽しいの♪と、義元公は義子を誘う時に言っていたから
てっきりサッカーのように動き回るのだと思っていたけど。
………これが、蹴鞠か…。
明らか間違った認識を植えつけられながら、義子はぽんぽんと
鞠を空へと蹴り上げる。
「そち、なかなか筋が良いの。
それだけやれれば、氏真のあれこれが上手くいかなくても
まろと蹴鞠ってくれれば城にいてくれても全然構わないの」
「……それは、ありがたいことで」
蹴鞠で繋がる生命線。
芸は身を助けるというが、果たしてこういう助かり方をする人間は
どれぐらいいるのか。
正直やだなぁと思いながら、スポンサー、いや命綱の
お遊戯に付き合っていると、向こうの方から氏真が歩いてくるのが見える。
彼は義子と義元を見つけると、面白そうな表情をして近寄ってきた。
「何をやっておいでです、父上も、義子も」
「蹴鞠っておるの。氏真も蹴鞠るの」
「えぇはい。蹴鞠なら」
「その後、一緒に将棋でもやるの」
「えー。父上将棋やると、軍略がどうこう言い始めるではないですか。
まるで講義を受けているようですので、そっちは嫌です。お断りします。拒否します」
「………」
氏真は、あいかわらずやる気がない。
通りすがった朝比奈泰朝が、その氏真の言葉に「駄目だ、駄目すぎる…」と
肩を落としてとぼとぼ歩いていくのが見えて、義子はその肩を叩いてやりたくなった。
その気持ちは、良くわかる。
けれどもその実父は実父だけあって
「それじゃあしかたないの。皆付き合ってくれぬとは…さみしいの…」
と、ちらちらと今度は義子に視線を移す。
…待て。あんた氏真に勉強させたいんじゃなくて
誰かに付き合って欲しいだけか。
てっきり、氏真が軍略が、だとかいうから
将棋を例えに、将兵の動きについてでも教えてやるのかと思ったら。
自分の相手が欲しいだけっだのか、そうか。
とんだかまってちゃんっぷりを発揮する大大名に義子は頬をひきつらせるが
義元はなおも、ちらっちらっと義子に視線を送ってくる。
「………あの、わたしでよければ、おしえてもらいたいなーなんて」
「じゃ、教えてあげるの、頑張ってまろの相手が出来るように
成長してもらいたいの」
白塗りの顔を緩ませて、義元が笑う。
なんなんだろう、このゆるい感じ。
別に緊張や争いを求めているわけではないが
ここまでのゆるさも求めていない。
戦争に負けてまだ一月と少しだというのに、こんなに暢気にしていて良いのだろうか。
目の前のトップとナンバーツーどもの暢気さに、ただただ、義子はめまいを覚えた。





…勿論、暢気にしていて良いはずもない。
今川の領地のうち、隷属化を進めていた三河は徳川家康が
織田信長につくことを宣言し、今川から離れ
今川領の各地でもまた、混乱が引き続いている。
しかしながら、今川の主たる今川義元は、まぁよかろうという気持ちであった。
まぁよかろう。
次代の今川当主たる氏真には、大器は望めない。
それならば世代交代を見越して、彼の手に余らないように
今川の領土を狭める必要がある。
で、あれば。多少混乱をさせていたほうが良いのだ。
義元一代で広げた版図を、一代限りで狭めなければならないとは、何とも情けないが
氏真ではその狭めるということ、それ自体が難しすぎる。
領地を広げるのは、まだ容易い。
戦争をして、奪い取り、平定し、己が物とすればよいのだ。
だが、狭めるとなると、
他者に土地を譲渡し、領地を無くし、力を無くし。
そしてそれは他国に付け込まれる隙を与える
つまりは、戦争を仕掛けられる切っ掛けを作る、ということでもある。
それを行うには、氏真には知識と経験と周辺他国への繋がりと
その他もろもろ、なによりも、やる気がない。
「ちょっと甘やかしすぎた、の。
うつけ殿のように、演技であれば良かったのだがの」
部屋の中で一人、毬を蹴って、義元は実子の顔を思い浮かべる。
ついでに、尾張のうつけと呼ばれた男の顔も。
さて。
此度の尾張侵攻は、失敗に終わった。
大勢を率いた桶狭間で己は敗れ、小勢を率いた織田信長は勝利を掴んだ。
これは一体いかなるを意味しているのか。
「天かの。運命が、多分信長殿を選んだの」
時は乱世。
世に生きる者たちが、天下を掴まんとする時代。
混乱をおさめるのは一体だれであるのか。
民衆は絶望と期待を覚えながら待ち焦がれ
世の戦国大名と呼ばれる者は、日の本を我こそが制すと息巻いている。
そして、義元もまた、そのうちの一人であったが、しかし。
「雪斎のおらぬ麻呂には、少し厳しいようじゃの。
雅に生きたほうがよいということかの」
うつけと、昔、国の者たちにさえ呼ばれた男の顔を、思い出す。
彼の者の顔は、強く天下を望んでいた。
そして、己はと振り返ってみれば、今川義元という男は
昔はともかくとして、歳をとった今となっては
それほどの気合は残っていない。
ただ、今川の家が残せれば、それで良いかと思う心があるだけだ。
おそらくは、若いころ持っておった野心は、雪斎が連れて行ってしもうたのじゃの。
己の右腕であった僧侶を、久方ぶりに思い出して
それから義元は、今日は殊更よく誰かの顔を思い浮かべる日であると苦笑した。
「とりあえず、麻呂はもう、蹴鞠でも出来れば良いの。
上洛はそのうちうつけ殿がしてくれるの」
ぽぉんっと、毬が天井高く、あがった。

そうして、桶狭間を転機に、上洛と、尾張を獲得しての領地の拡大を望んでいた今川の方針は
家の存続と、ついでに蹴鞠第一に、がらりと変わることとなる。
永禄3年、冬の中頃の事であった。