君の為の食育
【伝染】(後編) 仕事を終えた俺は、その足で岩崎の住むアパートに向かった。古いがぼろいというよりはどちらかというとしっかりとした造りのそこへは、1度潰れた岩崎を送っていったので知っていた。 俺を迎えてくれた岩崎は、食べているときも呑んでいる時もやけによく喋り、意外と内弁慶なのか?と思ったりもした。店に居るときも外に呑みに言った時も、喋りはするがお喋りではないという印象だったので、その違いには少し驚いた。 だが時折じっとこっちを見てきて、何だかその睨みようが尋常じゃなくて俺が思わず「どうした?」と聞いても「風邪ひいて少しぼーっとしてるだけだろ」とはぐらかされた。 「風邪?子供じゃあるまいし夏風邪か?」 「そのガキから伝染ったんじゃねえか、すぐ治る」 そういって岩崎はふいと視線を逸らしてビールをあおった。声が掠れている気がする。 確かに熱はありそうだった。飲んで顔が赤くなったのかは判らないが、体温が上がっていそうだ。 「熱、あるんじゃないか」 「ん?おい」 仕事柄どうしてもこういうのは気になる。ふと右手を岩崎の喉に当てると、ゴクリ、と岩崎が喉仏を動かすのがわかった。祖父母に大切に育てられてきた俺とは違う野性的な部分を見せ付けられたような、どきっとした気分になった。この動悸は、コンプレックスを刺激されたからなのか、それとも何か他の理由があるのか。 「…園田」 「…熱は、ないようだ、な」 俺の言葉を聞いた瞬間、岩崎は手にしていたビールの缶をゴンッと音を立てて脚の短いテーブルの上に置いた。 そしてそのまま俺に、抱きついた。――だけで済めばよかったのだが。 気がつけばキスまでされていた。 唇同士の軽い接触、といってもはばかられないようなそれは、しかし岩崎の真剣な目で冗談や事故ではないんだな、というのが解った。 夜、男の部屋に行って、酒を飲んでたら抱きしめられてキスされた。 なんて月並みなのだろう、――男女だったら。 「…なんつー顔してんだ」 「何だよ」 岩崎が顔と顔の距離を詰めてくる。キスした時に気になったネギの匂いだが、今は全然苦にならない。…そういや俺も岩崎のお手製ネギチャーハンを馳走になったっけ。こいつの料理は基本がやっぱり中華系で、そっち方面に暗い俺は非常に感心したのだが。だが。 「今までで一番驚いたって顔してやがる」 「ラーメン食って驚く顔なんてしないからな」 「……やっぱ驚くよな」 「当たりま…」 「好きだ」 「………」 ――本当に、熱があるんじゃないのか。 抱きしめられた所が熱い。ただでさえさっきエアコンを消したばかりだというのに。 「園田、好きだ」 「……」 他に意識をやろうと思ったのに、岩崎はそれを許さないとでも言うかのように真剣な目と真剣な口調で続きを口にした。 「なぁ、園田」 「……何で」 何か言わなければ、言わなければと思っていたらそんな言葉が出てきた。聞きたいようで聞きたくないぞこういうことは。 「話が合う。俺のラーメンと飯を美味いっつってくれる。…あと、顔」 「……ホモだったのか」 案の定恥ずかしすぎた返答に、俺は目を逸らしたくても逸らせなくて、目を細めてそう言った。冗談めかす事でこの空気が変わるとは思っていないんだが。 俺の言葉に、岩崎は憮然として鼻を鳴らした。いちいち行動が荒くて男らしすぎる。 「隠してた訳じゃねえよ、聞かれなかったから答えなかっただけだ」 認めやがった。別に俺だって差別してる訳じゃない。ただ、こんな男らしい男が、女性からして魅力的に映るだろうこいつが、男にしか興味がないというのに驚いただけだ。 沈黙をどうとったのか、岩崎は続けようと口を開く。やっぱりお喋りになってるな。…いや、俺が無口になりすぎてるだけか。 「お前に彼女がいねぇっつーから、今がチャンスだと思ったんだよ。このままだと病院の院長から進められるがままに見合いしそうで怖ぇ」 その言葉に瞠目した俺とは逆に、岩崎は切なげに目を細めた。今日は何だか見たことのない表情ばかり見ている気がする。 「怖いってお前」 そんな言葉、岩崎には似合わない。もっと堂々として『俺の飯をくえ』と言ってくるタイプだと思っていた。まぁ言ってるけど普段。 「怖ぇよ、当然だろ」 額と額がくっつく。岩崎の、虎みたいなちょっと色素の薄い鋭い瞳が伏せられた。 「…岩崎」 「……俺じゃ駄目か」 ――その聞き方はずるい、と思う。 男特有のずるさだ。女性に対して言うなら有効だろうが、生憎俺は男だし、向こうも俺が男だって解ってそれを口にしている。自然に出てきてる言葉なのだ。そこに嘘も計算もない分、岩崎の真剣さが伝わってくる。 「…駄目だ」 「園田」 ――ああ、何て顔をしてるんだこいつは。 さっきの俺よりもずっと辛そうだ。眉間に皺を寄せて。 「…少なくとも、そんな自信のない岩崎は好きになれない」 「園田…?」 園田園田うるさい。 「祐悟だユーゴ。…そんなに俺がいいのか」 岩崎は少し浮上したようだった。抱きしめてくる腕の力が強まる。そろそろ骨が悲鳴をあげそうだ。 「今まで会った男の中で、祐悟が一番ぐっときた」 「…そうか」 「祐悟」 改めて目が合う。今までこんなに人の目を見つめたことなんてない俺は、このままこの目を見つめていられるんだったらいいかな、とほだされてきた。正直俺みたいな男のどこに「ぐっと」くるのかさっぱり見当がつかなかったが、俺も一応「あばたもえくぼ」という言葉くらい知っている。 俺だって、こいつの掠れた声は、どう考えても女性のそれとは違うのに好みなんだ。ぐっとくるんだ。…ついさっき自覚したことだが。 「…お前に祐悟って言われるのは嫌じゃない」 「…」 「抱きしめられるのもまぁ暑くなきゃよしとする。…今ちょっと整理中なんだ、頭の中。黙って聞いててくれ」 返事の代わりかゴクリと岩崎の喉が鳴った。こいつはどうしてこうも野生動物みたいな動きを普通にするんだろう。 「職場が近い。話があう。お前の作る飯も好きだ…俺の作る飯とジャンル違うしな。しがらみはまぁ男同士って所か、でも」 「……」 岩崎がキスが出来そうなくらい近くに顔を寄せてくる。…ここで駄目だ、と言ったら、もう二度と岩崎は俺にこんな事は仕掛けてこないんだろう。 そう思うと、心の中がしん、となった。…それは、何だか、嫌だ。 「…岩崎」 「何だ」 吐息が混じる。熱い。岩崎はきっと毎日これ以上に熱い所で料理を作ってるんだ。だから奴もこれくらい熱いんだ。 「…何か、お前の風邪がうつったみたいだ。」 「あ?」 よく解っていないような岩崎の声につい笑ってしまう。 「…お前の所為で体が熱い。責任取れ」 そう言って、今度は俺から岩崎にキスをする。 男らしい固めの唇は、やっぱり少しネギ臭かった。 だがそう思うのも束の間で、直に岩崎の熱い舌に意識を絡め取られる。 お互いに熱を伝染しあって、俺たちの新たな付き合いは始まった。 |