君の為の食育


――俺は、今、多分今までの一生で一番驚いた顔をしている。
あ、でも小学校の頃の林間学校で教頭先生扮するおばけに驚いたときよりは多分、ましか。

目の前にはつい最近知り合った男の顔。
いたく真剣だ。さっきこいつはこんな顔で俺にキスをしたっけ?
かすかにネギの味がしたぞ、おい。真剣な顔も台無しだな。
大体風邪が伝染ったらどうしてくれるんだ…って
論点はそこじゃないか。

問題は、どうして俺たちがこんな状況にまでなったのか、という事だ。





【1、伝染】(前編)





俺は、最近になってやっと念願の小児科医という肩書きを手に入れ、この街でも優しくて評判のいい開業医の下で働けるようになった、働き盛り、夢に向かってまっしぐらの26歳だ。まだ20代なことも手伝ってか、看護婦からは「園田君はかっこいいのに細くてかわいいんだからちゃんと食べなきゃ駄目よ」とかからかわれているが、とにかく日々順風満帆に医者としての生活を送っていた。
先に看護婦たちにからかわれている、と言ったが、俺は確かに普通の男よりは細身かもしれないが、それでも食に関してはかなりこだわりがあるほうだ。小さい頃早くに亡くなった両親の代りに俺を育ててくれた祖父母は、教育と食育にとても熱心だった。そのおかげで、彼らが一昨年亡くなった後も俺はきっちり3食自分で作って食べていくことができたのだ。本当に感謝してもしきれない。祖父母の仏壇は叔父夫婦のもとにあるが、俺はいつもマンションを出る時には玄関にある写真に必ず挨拶をしていく…て、どうでもいい、こんなことは。
ともかく、きっちりと育てられた俺は、きっちりと医者になることができ、きっちりと…いや、ぎっしりと働いていた。
しかしここ数日の夏風邪流行にはいくら若い俺だって疲労困憊していた。俺が風邪をひいて疲れているというのではなく、子供達の風邪が意外に厄介でたまらなかったのだ。水疱瘡が併発してしまった時なんてかわいそうで仕方がない。
院長も気のいい人で、俺が来るまでは一体どんなハードスケジュールをこなしていたのだか解らないくらい沢山の患者をみる。その人にあてられたのだかはよく解らないが、「休んでいいよ」と言われても到底休む気になれず、結局2人と看護婦たち総出で午前と午後の診療をするのであった。ただ、それで終わりならいいのだがうちの病院は時間外でも往診に行くことがあった。勿論子供なんて大人の都合どおりに寝付いてくれたり元気になってくれたりするものではなく、親ならば小さい子供の些細な異変は気になるようで、「街でも優しくて評判のいい」広瀬小児科はそんな母親達の憩いの場…というわけでもないか、とにかく素敵な病院なのである。確かに外観もいいし内装もいいし看護婦さんはお喋り好きな人ばかりだし、広瀬院長はダンディーだ。で、俺も若いし。

だがそんな俺の憩いの場所といえば、外観は古いし内装はシンプルだし店員は変人のラーメン屋だった。

先に「3食自分で作って」とかなんとか格好いいことを言ってみたが、こうも仕事が激しくて気温が高くては俺も弁当なんて作っていられなかった。こう忙しいと普通、病院が弁当屋からの弁当を頼んだりするのだが、うちは院長が愛妻弁当こそ至福、だとか何とかステキな事を言っているのでそういう兆しは皆無であった。
本当、近くにラーメン屋があったことに感謝せざるを得ない。
いくら忙しくても自分でおにぎりかサンドイッチを作るかか、もしくはただのパンを買ってしまうかまででとどまっていた俺がラーメン屋に通うようになってしまったのは、ひとえにそこのラーメンが美味しいからにほかならない。

「いらっしゃいませー、お、園田センセだ」

今日も今日とて病院の匂いと子供の泣き声から逃げるようにして、ラーメン屋の暖簾をくぐった。
中から迎えてくれたのはこの狭い店で1人で配膳を担当してる女の子だ。名前は池田という。明るくてラーメン屋にふさわしい感じのパワフルな子だ。
「先生はやめろって言ってるだろ、白衣脱いでるんだから」
「そりゃそーよ、白衣にラーメンの染みでもついた日には園田センセファンのお母さんたちがないちゃう」
「なんだその理論」
ぶ、とふきだしそうになりながら俺はカウンターの席に座る。初めて来たのはいつだったかよく覚えていないが、ともかくはじめっからこの席にしか座った事がなかった。
「センセ今日は何にするー?」
おおよそ店員らしからぬ口の利き方で池田ちゃんは言うが、俺は逆に彼女のそういう所が看板娘たる所以なのではないか、と踏んでいる。
「そうだな、なんかさっぱりしたの」
「ラーメン屋にさっぱりとか、お前喧嘩売ってるのか」
内容をしっかり把握してしまってるお品書きを見ながらどうしようか、と悩んだところで後ろから声がかかった。厨房の岩崎だ。
「お岩さーん、出前おつかれさまでーす」
「ああ。あっちぃのな今日も」
お岩さん、だなんて似合わないにも程がある呼び名で呼ばれながらも、いやな顔ひとつせずに岩崎は池田ちゃんに返事をする。
「園田、今麺冷やしてたから冷やし中華食ってけ。ナスつけてやるよ、午後もあんだろ」
「ああ、頼む」
俺の返事が素直だったからか、岩崎はにっと笑って中に入っていった。
岩崎はさっきは出前になんか行っていたが、れっきとしたラーメン屋だ。といっても独立しているわけではなく、この店の主人でもある頑固親父に弟子入りして働いている。

そんな岩崎がラーメン屋に通い始めた俺を見て「お、噂の先生」と言った事から俺たちの付き合いは始まった。
岩崎のいるラーメン屋、丹生麺屋にも近くにマンションがあるからか主婦が訪れる事があり、その人たちの会話を聞いて俺の事を知ったらしい。ちなみに池田ちゃんもそれと同じクチで俺の名前を知ってたらしい。
始めは先生、と呼ばれる事に酷く疲れていたのだが、それに気づいてか岩崎はすぐに「園田」と呼ぶようになった。岩崎は料理人だけあって、なかなか勘は鋭いのだ。

俺と岩崎がお互いの名前を呼び合うほど仲良くなれたのは、お互いの立場が近かったからかもしれない。
お互い医者とラーメン屋というなりたいものになれて、今は独立するまでの修行中。聞くと年も一緒だったし、お互い食には気を使う所でも話が弾んだ。普通厨房に入ってなければいけない岩崎が、俺がくる時間帯は人があまり居ないからという理由で店内に出てこれた事も大きな要因ではあったと思う。

「園田、今日呑みに行かねえ?」
ひやし中華に揚げ茄子の酢醤油漬けを食べていた俺は、その言葉にふいと顔をあげる。岩崎は次の日が俺の休診日である木曜にいつも俺を呑みに誘ってくれる貴重な友人だった。お互い働いているところが近いから一緒に呑みに行くには最適だった。
「おう、あ、でも今日はカルテ整理するから遅くなる」
「んなのいつもだろうが。あーでも月末か。だったら俺の家来いよ、メシとつまみも用意してやるから」
「本当か?じゃあ行く。行かせて頂く。酒も任せた」
ひやし中華を食べる手にも俄然力が入る。さっさと食べてさっさと子供を元気にしてさっさとカルテ片付けて、呑もう。
正直今月は殆どアルコールを体に入れてなかったのだ。多少のストレス発散は必要だろうと思ったが、この夏はその時間ですら睡眠と仕事におされていたのだ。まあ、逆を言えばここに通うようになって岩崎や池田ちゃんと話す機会が増えたのだが。
「よっしゃ、そうこねぇとな。しっかり泣く子を元気にしてくるんだぞ先生」
「任せとけ」
「園田センセーかっこい!」
ごちそうさま、といって金を払えば、岩崎と池田ちゃんが応援の言葉をかけつつ俺を見送ってくれる。こういうときにかけられる「先生」と言う言葉はなんだかくすぐったい。
ブレスケアのガムを噛みながら、俺は気合を入れようと腕を夏の青空に向けて伸ばした。


――夜、あんな事になると知っていたら、そんなことはしなかったとは思うのだが。